4月18日 1943年の本日山本五十六さんが戦死されました

59歳でお亡くなりになられました。私が今年の誕生日を迎えると58歳になります。山本さんのように凄く偉大な方と私を比較するだけでも恐れ多いのかもしれませんが ほとんど同じ年齢なのに成し遂げてきたことのあまりの違いに生きていくことが辛くなってしまいます。

今の若い方にはあまり有名ではないのかもしれませんが 第27代連合艦隊司令長官を務められた海軍大将で戦死後元帥となられた方です。海軍の要職についておられながら 当時としては驚くべき先見の妙があって 日本とアメリカが戦っても国力にあまりに違いがありすぎて 万に一つも勝ち目がない事を分かっていて 徹底的にアメリカと戦う事に反対されました。勿論太平洋戦争が始まってしまってからは 日本の為に精一杯働かれました。

但しアメリカに勝つためではなくて 太平洋におけるアメリカの海軍の拠点であるハワイ、マニラ。ミッドウェーを徹底的にたたいて アメリカの戦意を喪失してもらい 日本との戦争に本腰を入れないうちに 日本に有利な講和を結ぶためのものでした。

当時から日本がアメリカに勝てるわけがない事に気付いていた日本人も多少はいたかもしれませんが その様な事をうっかり口走ったら 非国民として警察に捕まり 悪くするとシベリア辺りに送り込まれた時代ですから 大多数の国民は「鬼畜米英、日本万歳」と叫ばざるを得なかったのかもしれません。59歳で亡くなられたわけですから

山本さんが戦前に予測していたように 開戦して一年二年は日本海軍は大活躍をして有利な戦いをすすめました。しかし、アメリカが本腰を入れて戦争の準備を全力で始めたら 所詮戦争は消耗戦ですから 国力の違いが如実に表れて日本の敗色がすぐに濃厚になりました。早い時期での講和を目指していた山本さんとしては自分の予想通りの展開に頭を痛めて 前線の士気を高めるために飛行機で出かけて その情報がアメリカに傍受されて飛行中に攻撃を受けて戦死されました。

山本さんの名前を有名にしたのは 連合艦隊司令長官としての活躍とともに 残された多数の名言にあると思います。もっとも有名は発言が「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」というのがあります。一度きいただけでも 素直に納得できる名言だと思います。この名言にはさらに続きがあって、「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば 人は実らず」というものです。

山本さんの器の大きさが感じ取れる名言だと思います。こんな偉大な方が わずか59歳で亡くなられてしまったわけですから やはり戦争は二度と繰り返してはならないと思います。陰ながら山本さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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