6月30日 本日で今年の半分が終わってしまいます

年齢を重ねれば重ねるほど 年月が過ぎるのを短く感じるものなのだそうですが 還暦を通り越した現在 この半年の短さにも 改めて愕然としてしまいます。この半年 幾つかの大きなイベントがありました。二月には 移住を予定している長野県の伊那谷地方に 信州の冬を体験するために訪れてみました。気温的には マイナス十度の朝を迎えてみて 窓の内側が凍る現象に驚きましたが それほど厳しい寒さは実感できませんでした。もしそこで暮しても 何とか生活していけそうに思いました。
三月には一つ目の大学の合唱団の泊りがけの同窓会に参加しました。この集まりには 二学年先輩で 現在もドイツで音楽活動をされている先輩が参加されるという事なので 土曜日の夜と日曜日の午前中を休診にしてまで 参加してみました。この先輩こそは以前このブログで書きましたが 橋本環奈ちゃんの叔母さんにあたられる方なのです。この同窓会の二日後にも 環奈ちゃんとあって食事をする予定だと伺いましたので 環奈ちゃんについての裏話など伺いたかったのですが 何しろ久しぶりに日本に帰って来られましたから 話したい人間が一杯いて 私は直接お話しが出来ませんでした。
四月には 高校時代の還暦同窓会が盛大に開かれました。四百五十人の卒業生のうち 二百人以上が集まりましたから 幹事さんは凄く大変だったと思いますが 凄く充実した 有意義な同窓会だったと思います。担任の先生も四人参加されましたが 四十年以上も経っているのに 未だご健在の方ばかりで嬉しくなってしまいました。私は体重が三十キロ以上も増加してしまい 変わり果てた醜い姿をさらしましたが 男性でもっと剥げている人間がいるかと思っていましたが意外に少なくて 高校生の面影が感じられる人が多かったですが 女性は全く変貌してしまわれている方がかなりいらっしゃって驚きました。
五月には やはり一つ目の大学の合唱団の卒業生がたまたま枚方に四人もいるので 一昨年私が呼び掛けて食事会を開きましたが その二回目をやっぱり私が企画して開催しました。前回は 私を含めて五人での食事会でしたが 今回は奥様にも参加してもらって 何と十二人集まっての そこそこ盛大な食事会になりました。一回目よりも参加人数を増やしたいとは考えておりましたが まさか倍以上に増加するとは考えておりませんでしたので 幹事としての準備もそれなりに大変でしたが 参加して頂いた方皆さんから 楽しかったとのお言葉を頂きましたので 頑張った甲斐がありました。
他にも細々とした出来事は 思い返すといろいろありましたが 過ぎ去ってみればほんの一瞬に感じてしまうのは やっぱり年をとったからなのでしょうか。私は 不整脈と言う心臓病に 糖尿病と言うやはり一生縁の切れない病気まで患っていますから あと二十年はどう頑張っても生きられないだろうと覚悟しています。二十年前私が四十代になってしまったころの事を思い返すと 勿論それなりに色んなことが起こっています。凄く嬉しかったことはあんまりありませんが 母が亡くなるという大きな悲しみを経験しました。病院の仕事も 正直売り上げや儲けは 多少減少傾向にあるのかもしれませんが そこそこ楽しくて充実した生活をしながら 老後に向けての目標としている金額の貯蓄は順調に進んでいますから 感謝しなければならないと思います。
二十年と言えば それなりの長さだと感じますが 二十年後には 自分がこの世の中に存在していないのだろうと考えると ぞっとします。まあ恐らく奥様が傍にいてくれて 今以上に面倒をかけ続けるのだとは思いますが 私が死んでから奥様が安心してのんびりと暮らせるだけの蓄えは出来ていますから そういう意味では安心して死んでいけるように思います。
この半年に起こった出来事で 一番うれしかったのは 中学時代に憧れの存在だった女の子と ひょんな切っ掛けでメールのやり取りが出来るようになったことかもしれません。その女の子とは 当時から不思議な縁があったのかもしれません。私は枚方市立開成小学校を卒業して 枚方市立第四中学校に進学しました。五月ごろようやくクラスに友達が出来てきた頃に 隣のクラスに凄くかわいい子がいるので 見に行こうというツアーが企画されました。普通はその類のイベントには参加しない私が 何故か興味をそそられて 隣のクラスの教室までのこのこと出かけました。その時に見かけた女の子が 現在私とメールのやり取りをしている女性なのです。その時にその可愛らしい顔と名前はしっかりと頭にインプットされました。勿論あちらは私の存在を知る訳がありません。
中二になって 家が交野市に引っ越したので 二年の頭から交野中学に転校しました。転校は初めての経験でしたし こちらの中学は男子は坊主頭を強制されていましたので 正直あまりこの中学には好感が持てませんでした。でもすぐに仲の良い友人が出来て楽しく過ごせました。中三になって驚いたのは 中一の時密かに憧れていた女の子が やはり交野中学に別のクラスでしたが転校してきたのです。そして二人とも同じ四条畷高校に 進学して無事に卒業しましたから同じ中学に入学して 同じ中学を卒業し 同じ高校に入学して卒業をしたのは 私たち二人だけと言う 奇妙な御縁があったのです。
但し一度も同じクラスにはなりませんでしたから こちらはあちらの存在を意識していましたが あちらから見れば私はその他大勢のうちの一人に過ぎなかったはずです。そして二人とも高校の還暦同窓会に参加していました。高校の同窓生にとんでもない秀才 永長直人君がいることをブログに書き込んでいたのですが 彼が今年の春の紫綬褒章を受章しましたので その事もやはりブログに書き込みました。彼女が「永長直人」で検索した所 私のブログがヒットしたみたいで ドクター喜作と言うのは一体誰なのですか?と言う問い合わせのメールを頂いたのが メールのやり取りの始まるきっかけです。
メールのアドレスから 送り主が じゅんこと言う名前であることが想像されましたし 問い合わせの文面の内容から 私はその女性が密かに憧れていた女の子だと直感的に悟りました。まあ正直な気持ち 彼女にすれば このブログの主は一体どこのどいつだ と言った軽い気持ちでメールを頂いただけですから こちらから返事を出しても あちらからの返事は帰ってこないだろうと思いながら 二人のこれまでの不思議な御縁の事や 自分の近況をダラダラと長ったらしい文面のメールで返信しました。
かなりの日にちが過ぎてから 私の返信に対するお返事メールが返ってきました。私は喜び勇んで すぐにまた返信メールを送ると 今度はそれほど日にちをおかずに返信メールが返ってきて これまでに結構な回数のやり取りをしています。勿論お互いに還暦を過ぎているのですから 今更実際に会ってどうこうしようなどと言う気持ちは全くないはずですが 中学高校と言う青春真っ最中を同じ学校で過ごした者同士の 何とも言えぬ連帯感が 互いを刺激し合ってこまめなメールのやり取りにつながっているのかもしれません。当面私の一番の楽しみなので 上手くメールのやり取りと言うお付き合いが続いてくれることを期待しております。 

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