8月13日 1939年の本日 桂枝雀さんが生まれました

枝雀さんは 私が知る落語家で 最高に面白い方でした。全身を使った身振り手振りは 邪道だという意見もあったのかもしれませんが とにかく落語なんて 面白ければいい 笑い転げられればいい と考えている私には 最高のエンターテイナーでした。私は漫才や落語は 笑わせてもらってなんぼ という考えなので 東京の落語は 全く面白くなくて笑えない人が殆どなので だいきらいです。東京の落語家さんで無条件に笑えたのは 先代の円楽さんと 小朝さんだけです。落語なんておもろけりゃいいわけで 聴き終わって「うん上手い」なんて話芸を堪能したような感想しか出てこない東京の落語なんて 最低最悪だと私は思います。
枝雀さんは 神戸生まれで神戸育ちであり 神戸大学の文学部にすんなり進学しましたが 直ぐに中退して 米朝さんに弟子入りして 落語家としての人生をスタートさせました。若手の頃の芸名が 桂子米さんでした。AMラジオによく出演されていましたが 独特のもっちゃりとした喋り方で 友人には嫌う人もいましたが 私は個性的であり味わい深くて 結構好きでしたし 幾つもの番組に出演されていましたから それなりに人気があったのだと思います。
落語家としては やはり枝雀と言う名前を襲名されてから 魅力を増しました。よく言われていたのが「笑いとは緊張の緩和」という言葉でしたが あまりピンとはきませんでした。落語の落ちを幾つものパターンに分類して 学問的に研究されていたみたいですが 私にとって落語とは 何にも考えないで聴いていて 転げるぐらいに笑える芸能だと言う事で十分なので 落語の理論的な解説には 全然興味がありませんでした。
とにかく枝雀さんの落語は 聞いていてではなくて あえて見ていて 楽しかったです。ゲラゲラ笑えて 本当に幸せな時間を提供してくれました。あれだけの話術の才能は 恐らく天賦の才と言えるものだと思いますし、若くしてほぼ完成されていたように思います。その人気も凄かったのですから 仕事にも恵まれていたみたいですので 落語家としての人生は順風満帆だったはずです。所が枝雀さんは あまりにも完璧主義者だったみたいで お客さん百人のうち九十九人が腹を抱えて笑ったら 常人なら大成功と考えるのに もう一人を笑わせられなかったことを 悔い悩んでしまうような性格だったために うつ病にかかってしまいました。
周りから見れば 天才的に面白い落語が出来て 人気も人望もあり 当然収入もたっぷりとあって 落語家として ひょっとしたら将来 米朝さんに続いて人間国宝にさえ なれる可能性があったように思います。あまりに真摯に落語に打ち込みすぎてしまって 悩んでしまって 人間完璧なんてありえないのに 完ぺきではない自分に落ち込んで 最後には自らの死を選択されてしまったのだと思います。はっきり言って 上方落語界にも 下手糞すぎて 落語家なんてやめてしまえばいいのに と思ってしまう落語家さんが 結構いらっしゃいます。昔巨人の王さんが 「ホームラン三十本打てなくなったら 引退します」と言っていましたが プロ野球選手の九割以上のバッターが 一度も一シーズンにホームラン三十本打てずに引退するのです。
枝雀さんの足元にも及ばない落語しかできない 落語家さんが元気に生きておられるのに どうして名人枝雀が 死なねばならなかったのか 私には 全く理解できないし どう考えても納得がいきません。ある意味日本の大切な財産 変わりのきかない存在みたいな方でしたから 人間として円熟してからの 完成の域に近づいた枝雀の落語を見てみたかったものです。
私が枝雀さんと同等に面白かったと評価するのが 枝雀さんとは兄弟弟子にあたる 桂吉朝さんです。この方の落語も 理屈抜きに笑える 本当に面白い落語家さんでした。師匠の米朝さんが 「枝雀には自分の50を教え、吉朝には100を教えた」と仰ったように 米朝一門のツートップだったのかも知れません。しかし こちらの天才落語家さんも わずか五十歳で 心不全でお亡くなりになられました。落語家さんで五十歳なんて まだ若手の部類かもしれません。これから本当の面白さを表現してくれたかもしれない二人の天才落語家さんのご冥福を心からお祈りいたします。現在はお二人の落語がインターネットで 幾らでも鑑賞できますから 今夜はじっくりと笑わせてもらおうと思います。

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