9月10日 45歳定年制 と言うのが一部の人から提案されたみたいです

サントリーホールディングスの社長さんが セミナーの中で 発表されたご意見なのだそうです。私は 普通に一つ目の大学を卒業した時に 塩野義製薬 と言う誰でも知っているであろう大企業に就職しました。三年ほど無我夢中で勤めました。さすがに大企業であるからでしょうけれど 給料を含めた待遇は申し分がないし 医者相手の営業と言うのは 精神的にも肉体的にも 凄くストレスの大きな仕事でしたが 頑張った分売り上げの数字が上がると それなりにやりがいを感じられなくもありませんでした。ただ私は子供の頃から 秘かに憧れていた獣医師と言う仕事への未練が強まりましたので 諦めきれず退職して 受験勉強をやり直して 岐阜大学 農学部 獣医学科を受験し直して 何とか卒業して 国家試験にも合格して 三十年ほど前に この地で動物病院を開業して 今日まで何とか頑張ってきました。
獣医師は私一人で 奥様にある時は看護師として またある時はトリマーさんとして手伝ってもらって 何とか潰れない程度には経営して参りました。個人経営の病院ですから 勿論定年と言うのはありませんから 自分が辞めようと決意した時がこの仕事の辞め時です。昨年末に父が亡くなりましたので 私を仕事に引き留める要素は無くなりましたので 自分で踏ん切りがつけられたら 具体的には来春位に仕事を引退しようと考えております。一つ目の大学の時の友人たちは 同年代ですから サラリーマンや公務員を務めあげた連中は そろそろ定年を迎えたみたいですが 65歳で年金がもらえるまでは 収入がないと不安みたいで 再就職して 働いている人が殆どです。
現在常識的には サラリーマンの定年は少しずつ延長傾向があるみたいですが やはり会社の規模を問わず60歳と言うのが 一般的みたいです。高校の還暦同窓会の時に 同じクラスに偶然同じ塩野義製薬に就職した人がいたので 少しだけ話を聞けたのですが やはり60歳の誕生日を迎えると 卒業みたいな話をチラッと聞きました。テレビドラマのように 最後に一言挨拶して 花束を受け取って と言った芝居じみたセレモニーはなかったみたいですが すんなりと四十年近く勤めあげた会社から 静かに卒業したのだそうです。私は 正直な所 日々の仕事がしんどくて 薬屋さんの営業と言う仕事から 逃げ出したのかもしれませんから 偶然同じ部署(担当する地域こそ異なりましたが)で勤めあげた彼を凄く尊敬の念で見つめたのを覚えております。彼は 再就職などせず 潔く老後の生活をスタートさせたみたいですが それはタップリと退職金を受け取ったのでしょうし65歳になれば 厚生年金も含めると 相当な金額の年金を受け取れることが間違いないので それなりに余裕があるのかもしれません。
所謂常識的な定年が60歳であるのに対して サントリーの社長さんが提案された45歳で定年を迎えるというプランは かなり画期的な意見だと思います。ただ日本の企業は 昔から弊害としてあげられている年功序列的な 昇給制度の問題を改善するためにそれなりのメリットがないでもないように思います。私はこのプランを新聞で読んでチラッと聞きかじった程度の知識しかございませんから 偉そうにこの提案の良し悪しについて 語るのはおこがましいと自覚しております。ましてや サラリーマンが務まらなくて 敵前逃亡したような私が 一番発言権がない立場だと承知しておりますが やはり思ったことは 私のブログですから書かせていただこうと思います。
45歳定年制と言うのは 何も45歳になったら 会社から追い出されるという事ではないようです。但し その後会社に留まる場合 それまでのように定期昇給的なことが期待できない立場になるらしいのです。ですから 各人としては 45歳までに 出来るだけ仕事のスキルを上げて 実績を積み重ねて 自分の地位や基本給を高く釣り上げておくように 一番の働き盛りである三十代に目の前の仕事をこれまで以上に頑張るようになるはずだから その頑張りこそが 会社にとっての一番の利益につながる という発想のようです。
私は僅か三年ほどしか 会社勤めをしておりませんでしたので まだ実質的に会社の戦力として働けていないうちに 退職してしまいましたが 一年毎に少しずつでしたが 基本給の部分が上昇しておりました。長年勤めていれば 無論能力によって昇給額に差はつけられるのでしょうが さぼらずに懸命に頑張っていれば そして大きな失態をしでかさないでいられれば かなりの金額を受け取っていられたはずです。まだ入ったばかりの頃でしたから 定年についてなど勿論考えたことはございませんでしたが たまたま同じ営業所に定年を迎えられた大先輩がおられて 少しだけ話を聞いたところによると 仕事を覚えるまでの数年はつらかったけれど 慣れてくるとそれこそ定年まであっという間だった と言う話を伺いました。
営業マンですから 毎月 毎週 前年同期と売り上げを比較されるデーターが毎週月曜日に手元に届くのですが 新人だったので責任ある立場でもなかったし 大きな大学病院を担当していて 先輩方の雑用係として 駆けずり回っていただけのような存在でしたので数字に追われた自覚は全くありませんでした。でもある程度仕事を覚えたら 自分なりのオリジナリティを発揮したいとは考えておりました。二年目に金沢から 富山に赴任地が変更されたので 新しく担当した大学病院では 毎朝各科の外来の先生の机の上に 塩野義の薬のそこそこ分厚いパンフレットを一ページごとに切り離して 置いてみました。毎朝 八時半ごろに十分ぐらいかけて 一月以上配布してみました。自分の担当している科だけではなくて 全外来の先生の机の上にです。
週に一回ぐらいは ボールペンやメモ帳などのプレゼントも添えてみました。医者は 薬屋からいろんなものを貰いなれているので ペンやメモ用紙位で 喜ぶはずがないことは分かっておりましたが 熱心にアピールしている気持ちが伝わればいい位のつもりでしたが 結構各科の外来担当の先生たちから いい反応があったみたいで 会社の先輩方から 褒められてうれしかったのを覚えています。医者の無茶な要求を聞き入れるので 男芸者みたいな仕事と 揶揄されることもしばしばありましたが 一時期は真剣に頑張ってみようという気持ちになっていた時期もございました。
ただこの仕事を一生続けるのは如何なものかと 反発する気持ちが自分の中で芽生えてしまったために退職してしまいました。その選択が正しかったのか どうなのかは未だにわかりませんが まあ自分の人生は人よりも回り道をしたけれど まあまあの出来だったと思っておりますから 完全に間違いだとは思いません。でももしサラリーマンを続けていたとしたら しばしばやめたくなる気持ちとの戦いの連続だったのかもしれません。でもそのゴール地点が ほぼ四十年後の六十歳ではなくて 二十年後の四十五歳だとしたら かえって頑張れたのではないかと思います。
順調に勤め人を続けていれば その年齢では 結婚して子供が中高生位の年齢ですから 一番お金のかかる年代なのかもしれません。だとしたら 猶更仕事でいい結果を出して 実績を積み重ねて 昇給を目指して懸命に頑張りそうに思います。個々人の頑張りが 結局は会社全体の利益につながるのでしょうから 四十五歳を一つのゴール地点と定める事は 頑張らざるを得ないご当人たちにしてみれば 辛いことこの上ないのかもしれませんが 会社のメリットとしては 決して悪くないプランのように 他人事だからでしょうが思えてしまいます。但し そのプランを提案していて 議論して決定する人たちが ほぼ間違いなく45歳以上の年齢の人たちばかりなのでしょうから その辺りに何となく腑に落ちない要素がないでもないのかなと 思ってしまいます。
でも会社の定年が 六十歳と決まっているよりは 入社するときに定年の年齢がいろいろある方が選びがいがありそうに思ってしまいますが もうすぐリタイヤするお気楽人間だからかもしれません。でも会社によって 定年にばらつきがあれば その事も会社選びの一つの重要な条件になりそうですから サントリーの社長さんの思い切った提案は とても意義のある素晴らしい発案だと私は思いました。

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