2月15日 私が大学に二回通った理由

 正直言いまして ブログに書くネタがどうしても思いつかなかったので こんなリアルな題材を取り上げてみました。まあ簡潔に一言で言えば 私が馬鹿だった、の一言に尽きますが そんな言い方をしては身もふたもないので もう少し具体的に書きたいと思います。

 そもそも高校は 四条畷高校です。私たちの年から学区制が変わり 五学区制だったのが九学区制になりましたので 四条畷は第四学区のトップ校になり そこそこ賢い子たちが入学しました。言ってみればクラスで一番か二番だった子たばかりが集まっているわけで 正直くテストで平均点をとるのにもかなり苦労しました。私たちが操業する時から京大に30人前後は合格するようになりました。そんな中で本命の大阪府立大学農学部獣医学科に失敗して、滑り止めに受けた立命館に進学するべきか否か悩みましたが 結局楽しい大学生活にひかれて入学してしまいました。この選択がそもそもの間違いの発端だと思います。どうしても獣医さんになりたい自分の気持ちをしっかり確認して 合格できるまで何度でもチャレンジすればよかったのだと思います

 理工学部の化学科高分子研究室を卒業して 塩野義製薬に就職しました。自分の性格が机に向かってする仕事は不向きであり どちらかといえば人と接する仕事の方が やりがいが感じられるのではないかと思ったからです。塩野義製薬と言えば誰もが知っている一流の大きな会社です。お給料や待遇面では 申し分ありませんでしたが 仕事はいわゆるプロパー 医者に薬の営業をする仕事でした。はっきり申し上げて 殆どの医者から見ればプロパーなんて虫けら同然の存在と思っている様に感じました。

 医者相手の営業ですから 言われたことには殆ど絶対服従みたいなものです。まあ自分の能力にすれば破格の好待遇で働かせてもらっているのだから 仕事が辛くてやりがいを感じられないのは当然だと思いました。ただこの会社での対話メモという報告書には我慢できませんでした。自分が医者とどのように対話したのかを文章で再現する報告書ですが 殆ど嘘ばっかりで 架空の報告書を作ることを要求されました。勿論報告する上司も架空の報告書と分かっていて受け取るわけで このシステムにはどうしても馴染めませんでした。私は 毎日ブログを更新するように文章を書くことは苦手ではありませんが 架空の報告書を提出するのは 何とも虚しくてやる気をそがれました。

 仕事に意欲を感じられずに悩んているころに 一人の女性と出会い お付き合いして結婚まで考えました。もし結婚したら 養うべき家族が出来るわけで 仕事を続けざるを得ません。でも現在の仕事を辞めて本当に自分のやりたかった仕事にチャレンジしてみたい正直な気持ちを相手に告げると なんとその女性も以前に獣医師を目指したが 志半ばで諦めた過去があったのです。似たような過去があったから惹かれあったのかもしれません。お互いに傷を舐め合いながら生きていくよりも 現在の境遇にきっぱりと見切りをつけて再チャレンジをする方が まだまで長い人生にとっては有意義ではないかという結論に達し仕事を辞めて受験生に戻りました。

 再チャレンジをすると簡単に言いますが 獣医師になるためには獣医学科を卒業して国家試験に合格しなければなりません。そんなことが可能なのかどうかもはっきりとわからないままに 取り敢えず受験勉強を再開しました。私が最初に受験した時代は共通一次試験すらなかった頃なので 受験体制自体が大きく変わっていました。まずは立命館時代の友人で高校の教師をしているものと連絡を取り教科書を入手するところから始めねばなりませんでした。

 ただ勉強をし直してみると十年振り位の事でしたが意外に記憶が残っていてそれほど戸惑いは感じませんでした。それに塩野義時代にかなり厳しい仕事を経験したので 受験勉強とは要するに入学試験で必要とされる点数を獲得するためのスキルを身に着けることであり そのためにはまず綿密な計画を立てて あとはそれを絶対に妥協せずに実行していくことだと 解っていたので割と順調でありそれほど不安を感じませんでした。 

 受験する大学は大阪府立大学だと自宅通学になるので 次に大阪から近い岐阜大学にしました。一度は両親に世話になって大学を卒業させてもらっているので 今度の大学生活は完全に自活してやり通したかったからです。あっという間に受験日が来て受験してなんとか合格できました。正直ホッとしました。失敗したらカッコ悪い事この上もありません。

 約十年ほど回り道して また大学生に戻りましたが 同学年の学生との年代の違いは想像していた以上にしんどかったです。それと年齢的な衰えを試験の時に痛感しました。立命館時代にもテストは勿論ありましたが試験の前日に集中的に勉強してなんとか試験を終えるまでは覚えていられましたが 岐阜大学では約十歳年をとっているので 集中的な記憶力も弱くなっているみたいで試験が始まった時には覚えていることが試験の問題を解いているうちに消え去っていくのです。情けない話ですが 結構な回数再試験を受けました。

 結構苦労はしましたが なんとか留年もせずに卒業できて 国家試験にも合格できて現在に至っております。かなり回り道はしましたが なんとか病院もつぶれないようにやっていけていますし 仕事にはそれなりに遣り甲斐みたいなものを感じられて そこそこ頑張っているつもりです。長くなりましたがそんなわけで大学に二回も通い通算十年間も大学生活をおくりました。楽ではなかったけれど普通の人には体験できないようなことを経験できて まあ悪くはないのかなあと思っています。

 

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