Dr.喜作のブログ

2015年2月 の記事一覧

  • 2月18日 本日は待ちに待ったナーチャンの写真集の発売日です

    先日乃木坂のファーストアルバムを購入した時に 予約しておいた西野七瀬ファースト写真集「普段着」を買いに平和堂まで出かけていきました。いつものように奥様に買ってもらって受け取りました。やっぱり自分で買うのは 何となく恥ずかしいからです。価格は1700円でしたが 高いのか安いのか全然見当がつきません。ナーチャンのファンなら価格がいくらに設定してあっても絶対に買うからです。

    内容的には A3の大きさで何十ページあるのか分かりませんが殆どがカラー写真で たまに白黒写真が混じっているのが 良いアクセントになっているように思います。タイトル通りの普段のナーチャンの素顔がふんだんに溢れていて最高の写真集だと思います。大部分はカメラ目線ではなくて ナーチャンの無意識な表情が捉えられているので 構えた写真が並んでいるよりもファンにとっては嬉しいと思います。

    但し 私には個人的に少し残念な写真がありました。まあ、アイドルの写真集だから当たり前なのかもしれませんが 水着の写真が何枚もありました。現在の私にとって ナーチャンは 天使か 妖精のような存在なのです。私の頭の中では ナーチャンは使い古された表現かもしれませんが 絶対にうんこもおしっこもしない存在なのです。

    ですから ナーチャンに女とか人間であることを感じたくないのです。水着姿をみると どうしても胸のふくらみに目が行ってしまいます。男としては 当然こんな魅力的な女の子の胸のふくらみに触れてみたい欲望はありますが 心の底で天使か妖精のように思っているナーチャンですから 絶対にセックスの対象としては考えたくないのです。恐らくナーチャンのファンだったらきっと分かってもらえると思います。

    取り敢えず病院の受付の所において 患者さんのいない間はずっと 眺めていたいと思えるとっても魅力的な写真集でした。奥様に言わせると 「あなたががナーチャン、ナーチャンと大騒ぎをしているのも 何時まで続くのかしら、次にどんな女の子が好きだと言い出すのか 楽しみやね。」だそうです。確かに私の好きな女性は 周期的にどんどん変化してきましたから そんな事を言われても反論できませんが カズミンやナーチャンが大好きな状態は きっと当分続くと思います。

     

     

  • 2月17日 ラジオ体操をやってみました

    ラジオ体操というのは今でも小学校で習って 体育の授業で体操しているのでしょうか。夏休みの朝近所の公園に集合してラジオ体操をやって 参加するとハンコをもらう行事は現在もなお継続しているのでしょうか。奥様から健康の為にラジオ体操をしなさい という指令が出されたので インターネットでその動画を検索して 何十年ぶりかでやってみました。

    もうほとんどの動きを忘れてしまっているので 受付のパソコンのモニターを見ながらやってみました。狭いスペースなので あまり本気で大きな動きは出来ませんでしたが 久しぶりに体操をしてみて 思った以上に体が動かなくなっていることを自覚させられて 驚いてしまいました。

    例えば前屈の運動にしても 以前なら床に手がついていたのに 全然床に手が届きません。背伸びの運動で両手を思いっきり上にあげて伸ばす運動もかなりしんどく感じました。もっとも数年前までは いわゆる五十肩で 手が真上に全然あげられない状態の時がありましたから 今はなんとか五十肩が治まってくれているみたいなので 一応両手を真上に伸ばす形にはなれます。

    以前ならジャンプなど意識しなくても簡単に体が浮き上がりましたが 今では体重が凄く増加している事と 勿論ジャンプするための筋肉が衰えているために かなり頑張らないと体が浮き上がりません。体をひねる運動でも 普段そのような動きを全くしていないので 頭で考えている動きの半分もひねることが出来ていない事に気付きました。第一が終わった段階でかなりしんどくなっていましたが 続いて第二体操もやってみました。

    ラジオ体操の第一はそれでもまだある程度は体の動きを覚えていましたが 第二になるとその動きを殆ど覚えていませんでした。小学校の六年生になると 夏休みの朝集合してやる体操の責任者になるので 皆の前で模範演技をしなければなりません。その為にわざわざよその小学校まで 講習を受けるために出かけて行ったことを覚えています。模範演技は皆の前で向かい合って運動するので普段とは左右が逆にしなければならず やり慣れている第一体操でも結構戸惑いました。殆ど真面目にやったことのなかった第二体操は きちんと覚えるのに苦労したのを覚えています。

    第二体操とまじめに取り組んだのはその時だけですから 体の動きなど現在では全く覚えていませんでした。画面を見ながらやってみましたが ジャンプする運動なんて 講習を受けた時には辛うじてできていたのかもしれませんが もともとリズム感のない私には 現在では到底できそうにない運動に思えました。

    第一と第二体操を続けてやってみましたが 勿論狭いスペースで会った為もありますが 殆どきちんとした動きにはなっていませんでした。以前ならラジオ体操ぐらいやっても全然疲れませんでしたが 今現在では途中で息が切れてしまいましたし、腕を方よりも高く引き上げる動きですら 辛くてあがりにくい状態なっていました。

    大分前にラジオ体操というものはきちんとした動きでやってみると かなりの運動量があり 普段体を動かさない人にとっては 凄く健康的にも望ましい運動である と誰だったか忘れましたが 結構お偉い先生がおっしゃっていましたが 久しぶりに実際に体操してみると その有難さが微かにですが分かったような気がします。

    奥様から当分毎日するようにと指令が出ましたので 頑張って続けてみようと思います。

  • 2月16日 遺産相続に関する用事で 法務局に出かけました

    私には今年米寿を迎えた父親がおり 交野に住んでおります。昨年の夏には 全身麻酔での手術を受けてかなりぼけてしまい もう長くないだろうと覚悟していましたが いまだ健在です。入院中に要介護度の審査を受けたら それまでが要支援の一段階だったのが 要介護の三段階まで 一気に状態が悪化しました。私としては病院の仕事がありますし 傍で面倒をみてやることが出来ませんので 施設に入れるしか方法はないと判断して その時期に集中してかなりの種類の施設を実際に見て 話を聞いて勉強しました。

    所が父親が病院を退院する間際になって その類の施設に入ることを断固拒否したのです。私としてはそのような施設の方が 勿論その道のプロの目が行き届くから 何かあった時にも安心できるし、何しろ三食上げ膳据え膳で 洗濯や掃除なども全て面倒をみてもらえるので 父親自身が楽な生活ができると思ったので そんな施設に入所させることを真剣に考えました。

    父の為に良かれと思っていたのに 急に一方的に拒否されたので だったら勝手に実家に帰って野垂れ死にすればいいというような気持ちにその時にはなってしまいました。しかし、ケアマネージャーさんやヘルパーさんの協力もあり 住み慣れた実家での生活によって 容態がいい方に向かっているようで 先日の介護度認定審査の結果 要支援の二段階にまで回復してきたようです。まあ一応喜ぶべきことだと思います。

    まあおかげで大分頭もシャキッとしてきたようで 遺産相続についても現状に即した遺書を作り直す事に 私から要望しなくても 気付いてくれました。約十年前に一応父の残す遺産は私と妹で基本的に折半になるように振り分けられました。当時は交野の実家の価値が約数千万円であり、現金や有価証券などがほぼ同額ありましたので 実家を私が譲り受けて、現金と有価証券を妹が相続することになっていました。

    ところが最近病院に出入りしている銀行員にその話をすると 土地の価格が下落している現在 十年前に比べて実家の価値が相当に目減りしていることを覚悟しなければならないし、逆に現金などはかなりの額の年金を受け取っていますから 増加している可能性が高いので そのままの分け方を適用すると私と妹の取り分には かなりの差がついてしまう事を教えてもらいました。

    とは言っても 半分ぼけてしまった父親に生臭いお金の相談を持ちかけるのは なにか潔くないようなきがしていましたので どうしたらよいものかと思案していましたところ 父親のほうから遺産分配について遺書を書き直す件で電話がありましたので ホッとしておりました。遺言書を書き直すので 現在の実家の土地について確認したところ 私が病院を開業する時に国民金融公庫から借金をするので 設定された担保設定条件がそのまま残っているらしいのです。別に相続するのに邪魔にはならないけれども 簡単な手続きで外してしまえるらしいので その手続きをするために国金さんに連絡を取るようにという要件でした。

    国民金融公庫に電話をかけたら 現在は日本政策金融公庫と名称が変更されていましたが 用件を話すと当時の書類を調べてくれて 抵当権を外すのに必要な書類を交野の実家に郵送してもらう事になりました。昨日ようやく交野の実家にその書類が届いたらしいので 今日早速法務局に出かけて担保設定を取り外す手続きをしてもらいました。

    公文書の作成ですから ひょっとしたら司法書士さんに依頼せねばならないかもしれないと思っていましたが 法務局の方が丁寧に教えてくださったので その指示通りに記入して必要な個所に押印して 印紙を貼って提出しました。水曜日の二時以降に完了所が出来上がるので また取りに来るように言われました。司法書士さんに依頼すれば恐らくウン万円はかかったかもしれませんが 自分でできたので印紙代の二千円で済みました。

    法務局は病院の土地を買い取るときなどにお世話になりましたが 次は病院を売り払う時にお世話になると思います。出来るだけいい価格で買い取ってもらえればうれしいのですが どのような流れになるのかは見当もつきません。まあなるようになるのでしょう。

     

  • 2月15日 イスラム国人質問題について一言思うことを書きます

    私が人質事件で印象に残っているのは2004年のイラク戦争の時の事です。あのころは 丁度小泉さんの人気が絶頂だった時代です。人質を取った相手側からの要求は 現地からの自衛隊の撤退でした。それに対して小泉さんが 断固拒否の姿勢を示しました。人質の家族にすれば 人質の為に自衛隊の撤退を望む意見を表明するのは当然だと思いますが 小泉さんの人気絶頂期であったために その小泉さんの考え方に逆らったからと言って 大いに人質のご家族がバッシングされました。

    当時はまだインターネットが現在ほど普及していなかったし ブログやツイッターが炎上する事はあまりなかったのかもしれません。一般人の馬鹿どもが調子に乗って 罵詈雑言を口にするのは 分からないでもありませんが、新聞、テレビなどのマスコミまでが小泉さんに一方的によいしょする姿は情けなかったし 心底恐ろしい現象だと思いました。

    今回の人質事件が起きた時も総理大臣の立場としては似たような状況に見えます。現総理である安倍ちゃんは 正直言ってかなり無能な政治家だと思います。それは一回目に総理になった時のピンチに陥った場合の対処の仕方に現れていると思います。無責任にも総理としての仕事を体調などという本人にしか理解できるはずのないわけの分からん理由で投げ出してしまったのです。

    たまたま今回自民党の総裁に返り咲いたのが 民主党の無能さに国民が気づいてしまって とりあえず自民党の政権に戻そうとした時期と重なったために まるで安倍ちゃんの功績であるかのような選挙での大勝でした。野党時代にそれなりに頑張っていた谷垣さんは全く評価されていないみたいなので本当に政治家には運不運というものがあるように思います。

    本来小選挙区とは二大政党が存在する国でなければ成立しない選挙制度なのです。アメリカやイギリスのようにしっかりとした基盤のある二大政党の存在する国ならではの小選挙区制度なのです。日本でも小選挙区制度が成立した時には 新進党という寄せ集め軍団を作りました。しかし単に小選挙区制度で戦うために寄せ集められた政党が 長持ちするはずもなくて あっという間に分裂してしまいました。

    新進党が分裂するのは必然的な事でしたが 分裂する前に選挙制度を中選挙区制という日本特有の制度に戻さなければならなかったのです。小選挙区制はしっかりとした二大政党が存在しなければ 一番大きな政党に有利に働いて 徐々に一党独裁政権が成立してしまうのです。一番大きな政党に有利な選挙制度を一番大きな政党が変更するはずがないので このまま日本では当分自民党の独裁政権が続いてしまうのは必然だと思います。次に政権交代が起こるとしたら また大多数の国民が自民党では駄目である事に気付く数十年後まで待たなければならないと思います。

    選挙制度の話にポイントがずれてしまいましたが 要するに安倍ちゃんが総理として有能であるから二度の総選挙で大勝したわけでは全然ないという事が申し上げたいのです。たまたま掲げた「アベノミクス」という看板が取り敢えずは円安とそれに伴う株高という現象に辿り着きました。勿論前政権である民主党も似たような結果を求めていたはずですが 結果がでなかったわけで 取り敢えずは円安と株高という結果を出したのは安倍ちゃんの功績と言えるのかもしれません。

    しかし、「アベノミクス」の前振りとしては庶民の生活が楽になる事だったはずです。その事に期待して庶民は選挙で自民党に投票して 自民党が大勝してしまったのです。だけれども冷静になって考えてみると 円安になって喜んだのは輸出に関わっている会社だけだし、株高になって喜んだのは一部の投資家たちだけでした。

    安倍ちゃんは庶民のお給料ももう少ししたら上がると嘘をつきましたが 何年待ってもさっぱり庶民のお給料は上がりません。昨年の父親の年金受給高は何のかんのと理由をつけられて一年で二十万円以上も減少しました。庶民の生活は楽になるどころか「アベノミクス」のおかげでかえって苦しくなっているのです。円安のお陰で差損が発生して輸入品の価格が上がり 食料品などの値段が上がってしまい 尚更家計はひっ迫してきているのです。

    御免なさい私の前振りも非常に長すぎましたが ここからが私の申し上げたいポイントです。こんな無能な総理大臣ですから 今回の人質問題に対する対応も はっきりとしたポリシーがないままに ただダラダラと時間を浪費して 二人の人質が殺害されてしまうという残念な結果になってしまいました。

    所が不思議なのが この事件でも総理としての無能さを存分に発揮した安倍ちゃんなのに 何故か新聞とテレビという二大マスコミが全くその責任を追及しようとしないことです。人質になってしまった方の自己責任論をやんわりと持ち出してきて むしろ安倍ちゃんは安倍ちゃんなりによく頑張ったかのような雰囲気を醸し出そうとしています。総理の人気が高いからと言って何でもかんでもよいしょするのは如何なものでしょう。

    まあ、一応マスコミは中立の立場に立って報道するのが建前だから百歩譲って 安倍ちゃんの無能な対応を攻撃できないのなら 私がもっと納得がいかないのが 共産党の動きです。名前も知らないような議員がツイッターで安倍ちゃんを罵倒したのだそうです。その内容はすぐに削除されてしまいましたから 私はその内容を読んではいませんが かなり感情的な表現であり 客観性が欠如していた内容だとは聞いています。

    私は 現在まで恥ずかしながらツイッターというものを全く経験したことがないので その存在自体にどのような客観性があるものなのか全く理解できません。でも本来のツイッターというのは あくまで個人が感じた事 思ったことを書きこむ場所ではないかと思います。

    個人が思ったこと、感じた事を発表する場で 勿論 人を傷つけるような表現や事実に反する事は 避難されてもしょうがないのかもしれませんが 人間には思い込みや勘違いもあって不思議ではないとも思いますから、ツイッターでささやいたことに関して 余りに過敏に反応して そのツイッターが炎上するというのが理解できません。

    私は選挙の度に共産党に投票していますから どちらかと言えば共産党を応援している人間ですが 当然ですが共産党が政権を取る事など全く望んでいません。万が一にもそんな事になってしまったら 日本という国が根底から覆されてしまうと思うからです。ただ私はあくまでも共産党を応援している人間でありますが 共産党の存在理由は与党である自民党に対して いちゃもんをつけることだと思っています。

    現在ある政党でも ずっと自民党に喧嘩を売っていたのは共産党だけです。民主党にしても 根っこは自民党出身なんていうのが幹部を務めていますから 表面的には喧嘩をしていても腹のなかではつながっているかもしれません。共産党だけが自民党と対極に存在し続けていたと思いますから、その共産党議員が安倍ちゃんを非難したのは 別にほめられることでもないのでしょうが 特に叱られるような行動ではないと思います。あくまでその議員が個人的に呟いたことであって 共産党を代表して受け答えしたわけではありませんから。

    なのに共産党のトップある志位さんがその議員の行動を非難していました。新聞もテレビもビビってしまって全く批判しない安倍ちゃんの無能さについてつぶやいただけなのに 何故共産党自体からまで非難されてしまうのでしょう。共産党の存在意義は自民党にいちゃもんをつけることなのです。本来なら志位さんが先頭を切って安倍ちゃんの無能さを批判すべきなのに マスコミと同様にビビってしまって 肝心の自民党批判が出来ないのなら 共産党の存在意義はないと思います。

  • 2月14日  本日はバレンタインデーです

    私がもらえるのは勿論奥様だけですが 九時少し前の仕事始めにコーヒーを入れて飲もうとしたら 奥様からチョコレートを頂きました。先日旅行に出かけた時にディズニーランドで購入されたミッキーさんとミニーちゃんの顔がプリントされているハート形の缶に入ったチョコレートでした。私はありがたく頂戴しました。勿論中身のチョコは奥様が召し上がられると思います。

    それと可愛らしい包装紙でラッピングされた雑誌のようなものを頂きました開いてみるとアイドル雑誌で乃木坂がフューチャーされているものと 以前から買おう、買おうと思っていてなかなか手に入りにくかった季刊乃木坂でした。去年の初頭から発行されている雑誌で記念すべき一巻目の表紙がなーちゃん、二巻目がマイヤン、三巻目がナナミン、そしてこの四巻目がエリカ様でした。これで現在の一列目にいる子たちが一巡しました。(兼任の松井玲奈を除いて)次号の表紙が一体誰になるのか楽しみなような、心配なような複雑な気持ちです。

    そもそもバレンタインデーに 女の子から男の子にチョコレートを渡す習慣というのはチョコレート会社の策略でした。昔は日本の女の子は 普段は奥ゆかしくてなかなか男性に告白できないのだけれど 何故かこの日だけは女の子から告白できる日になってしまいました。現実は草食系の男子が増えているみたいだし 逆に積極的な肉食系の女子が増えているみたいなので 女性から告白するのは この日に限った事ではなくなっているみたいです。

    まあ、私のようにもてない男は一生女性から告白されるような経験はない事を自覚していますが 一生に一度くらい女性から告白されてみたいと心の片隅では期待しながら生きていくと思います。但し 偉そうないい方になってしまうのかもしれませんが、私は自分から告白するような女の子はあまり好きではありません。

    ついこの前の節分の恵方巻きを食べる習慣も それほど歴史がある事ではないと思います。確か海苔の売り上げを伸ばそうとして 関西の海苔業者の方が 言い出した習慣なのだそうですが、結構関西では浸透してきていますし、その習慣の行われる地域が徐々に拡大しているみたいなので いずれは節分に行われる日本のごく一般的な習慣になるのかもしれません。バレンタインのチョコレートだって 最初はお菓子メーカーが何をわけの分からないことを言っているのかと 世間で笑われていたことが今では常識の様になってしまっていますから。

  • 2月13日 1953年の本日 栗本薫(中島梓)さんが誕生されました

    栗本さんのお名前は このブログでも何度も登場していますし、ご存知の方も多いとは思いますが、いわゆるSF小説に興味のない方の場合 聞いたことも無い方もいらっしゃるかもしれませんから 一応紹介いたします。天才的なSF小説家であり、その仕事量 発行されている書物の量の多さは 滅茶苦茶に多い作家さんだと思います。

    中島梓という別名で 評論家や音楽家 それに「クイズヒントでピンと」の回答者としてタレントとしても大活躍されていました。小説の代表作としては「グインサーガ」「魔界水滸伝」「伊集院大介」などがあります。私がグインサーガと出会ったのは岐阜大学の一年生の夏休みでした。殆ど同時期の全く別方面の三人の友人から推薦されたので 読み始めることにしました。その当時は確か三十数巻まで本屋さんに並んでいました。

    一冊目の「豹頭の仮面」を読み出したら、面白くてたまらなくて 夏休みで時間に余裕があったのも手伝ってか 殆ど一日で一冊のペースで読み続けました。ほぼ一月で三十数巻目まで発行されている分は読み切ってしまいました。私の人生でも 若い頃は結構小説を読んでいた方だと思いますが一月で三十巻以上の本を読み通したのは最初であり恐らく最後だと思います。とにかく面白くて、それまでの人生でこれほど面白い小説に出会ったことはありませんでした。

    ただそこからが結構辛いグインサーガとのお付き合いが延々とはじまりました。栗本さんは何本ものシリーズを書き下ろしながら 評論活動や音楽活動、タレント活動も同時進行でこなしておられました。栗本さんの小説を書くペースは驚異的に早い作家さんでしたが グインサーガは年間ほぼ五~六冊二か月位の間隔で発行されていました。つまり二か月に一度しか発行されないのですから ファンにしてみれば待ち遠しくてたまりませんでした。

    所が 栗本さんのファン、というよりもグインサーガの熱心なファンは 待ちに待った新しい本が手に入ってもいきなり小説からは読み始めなかったはずです。まずはあとがきから読み始めるファンが多かったろうと思います。あとがきには栗本さんの最近の出来事やマイブームなどが記されていて ファンからの質問に答えてくれている場合もありファンと栗本さんの交流の場みたいになっていたように思います。時には細かい小説の内容の矛盾点を指摘されることがあり 栗本さんが弁明したりお詫びをしたりすることもありました。ですから、まずは栗本さんの近況を確認してから 小説を読み始めていた方が多かったはずです。

    そもそもグインサーガという大河小説は栗本さんの頭の中でほぼ百巻で完結する予定で書き始められたのだそうです。所が最初に主要な登場人物の紹介を五巻ぐらいまでで終わらせる予定だったのか ドンドン話が膨らんでしまって、人物紹介が終わったのが二十巻目位だったそうです。ですから、この小説が完結するのは一体何巻目になるのか 誰にも見当がつかない事態になっていたのだそうです。

    全く残念なことに栗本さんはわずか五十六歳で 現在の私よりも一つ若い年齢で すい臓癌なんて極稀な病気にかかって、2009年に他界されました。その為に百三十巻で 未完のままこの小説は絶筆となりました。ストーリーに関するメモは残っていて 栗本さんとしては 誰かに引き継き この小説を書き継いでほしい気持ちもあったそうですが 栗本さんの後を継げる人間なんてこの世の中に存在するはずがありません。グインサーガのファンにしてみれば 何十年も付き合わされて 結局未完のまま終わってしまうのでは あまりに寂しいと思いますが こればかりは致し方がないのかもしれません。

    本当に素晴らしい才能を持っていながら 若くして亡くなられる方がちょくちょくいらっしゃるのは 残念でたまりません。栗本さんにはグイン以外にも書きかけのシリーズが幾つかありましたし 長編でなくても心に残る作品は沢山ありましたから 人生に厚みも加わって これからさらに面白い話をたくさん生み出して頂けることが期待されていただけに 勿論ご本人も、周囲の人間も 沢山のファンも悔しい気持ちで一杯のはずです。今更ながら 心よりご冥福をお祈りいたします。

    グインサーガが九十三巻まで発行された時に グインの文字数が三千万を超えたので 世界で一番長い小説としてギネスに申請したのだそうです。所がギネスとしては 一冊にまとまった本しか認めないという事で却下したのだそうです。結局ギネスが認めた世界最長の小説の文字数は千四百万ほどだそうです。グインサーガは百三十巻まで発行されましたから 恐らく文字数としては四千万を超えているはずです。ギネスも一冊にまとまっているか否か等と細かい事に拘らないで グインサーガを世界で一番長い未完の小説として認めるべきだと思います。

    ちなみに、私は恥ずかしながら グインを途中でリタイアしてしまいました。あまりに膨大な話でありますし、登場人物も非常に多くてその関係はかなり複雑になっていますし、何しろその小説に触れるのが二か月に一度なので だんだん訳が分からなくなってきてしまったのです。恐らく仕事をリタイアしたら また百三十巻まで一気に読んでしまうとは思いますが、その時に未完のまま絶筆という悲しい結末に耐えられるかどうか心配です。

  • 2月12日 1959年の本日 岡田奈々さんが生まれました

    AKBにも同姓同名の女の子がいます。正直な所、現在の私はAKBには全く興味がないので 顔と名前を知っている程度ですが そちらもそこそこ可愛らしい女の子だと思います。本日お誕生日なのはそちらではなくて五十代の男性なら絶対にご存知のはずの岡田奈々さんです。イメージとしてはセーラー服のとてもよく似合う 清純そのものの女子高生でした。

    またまた正直な所、五十代の男性なら少なくとも一度はオナニーのオカズにしたはずの存在です。私は中学、高校の頃には浅田美代子さんのファンだったのもあってか 岡田奈々さんは勿論凄く可愛らしい女の子とは認識していましたが 殆どオナニーのオカズとしては登場しませんでした。かと言って美代ちゃんもあまりオカズにはしていませんでした。

    当時の私は 勿論彼女などできるはずもなくて 恥ずかしながらほとんど毎日のようにオナニーをしていましたが おかずとして登場するのは同じクラスの女の子ばかりでした。芸能人のような遠い存在よりも同じクラスの女の子の方がよりリアリティを感じられたからだと思います。当時の同級生だった女の子たち 勝手にオカズにしてごめんなさい。

    とにかく当時の岡田奈々さんの清純そのものの可愛らしさは 現在のナーチャンに匹敵する位だったと思います。もう数年前になりますが テレビのバラエティー番組にたまたま出演されたのを見ましたが 丁度五十歳だったのだそうですが その可愛らしさは殆ど失われておらず 本当に奇跡の五十歳だと思いました。

    それだけチャーミングな女の子でしたから さぞ幸せなご結婚をされて素敵な家庭を築かれていると思いきや、なんと一度も結婚されていないのだそうです。奈々さんから結婚を望まれたら 拒否できる独身男性なんてまず存在しないと思います。なのに五十歳まで未婚でいるとしたら よっぽど性格が悪いのか 結婚に向かないのかもしれません。

    私は結構世の中で信じられている「可愛い女の子は当たり前のようにちやほやされるので 性格が我儘で自分勝手になってしまう」という迷信は絶対に間違っていると思います。可愛い女の子は少なくとも男性からは 必要以上に優しくされると思います。場合によってはその部分で女性から反感を買ってしまう事がある可能性は認めます。でも人間は周囲から優しくされるからこそ 周囲に対して優しく接する事が出来るのだと思います。逆に可愛らしくない女の子は どうしても男性から優しく扱われる可能性が低くなります。人間は周囲から優しくされないと なかなか周囲に対して優しく接する事は難しいのではないかと思います。

    例えば可愛らしい女の子が数学の問題が分からなくて 隣の席の男の子に教えを乞うた場合、その男の子は自分の分かる範囲で精一杯丁寧に教えてあげると思います。可愛い女の子は優しく接してくれたその男の子に対して 優しく接するようになるのは当然の結果だと思います。所がもし、可愛らしくない女の子が同様に隣の男の子に教えを乞うたとしても 面倒がられて断られるような結果になってしまうのかもしれません。その結果 可愛らしくない女の子が隣の男の子に対して 優しく接する事はかなり難しくなるのではないでしょうか。

    ですから私は可愛らしい女の子の方が 勿論例外があることは認めますが 周囲に対して優しく接する事が出来る可能性が高いように思います。即ち、女の子が可愛らしいからと言って チヤホヤされて我儘で自分勝手になるとは限らないと思います。むしろ周囲の人たちに対して 優しく接する事の出来る いわゆる性格の良い女の子である場合が多いと言えるのではないでしょうか。

    要するに 岡田奈々さんが 未だにきわめてチャーミングでおられるのに 結婚をされなかったのは 余りに可愛らしすぎて 皆からチヤホヤされてしまい 性格が悪くなってしまって結婚できなかったのではなくて 根本的に結婚生活に不向きな性格でいらっしゃったのだと思います。今からでも岡田さんが積極的に婚活をすれば 恐らく一週間以内に相手は見つかり結婚できると思います。まあ、結婚に不向きな性格のままだと幸せに離れないのかもしれませんけれど。

  • 2月11日 建国記念日でせっかくの休診日が台無しです

    そもそも建国記念日というのは どのような謂れのある日であるのか ご存知ない方も少なからずいらっしゃると思いますので 簡単に説明しておきます。本日は神武天皇が即位された日なのです。神武天皇とは日本で一番伝統と格式のある家柄である天皇家の初代の方なのです。勿論神武天皇にもご先祖様はいらっしゃるでしょうが、初めて天皇陛下という身分に就かれた方なので初代と申し上げても差し支えないのだと思います。神武天皇自体は神話にも登場されていらっしゃいますが 古事記や日本書紀にも記述されていらっしゃいますから実在の人間であられたのだと思います。これほど古くから 高い格式をほんの一日も途絶えずに守ってこられた血筋は 世界的に見ても類を見ないのです。つまり日本の天皇家の歴史と格式は 世界に誇るべき存在なのです。

    それ以来日本では一番尊い血統の一族として 常に殆ど全ての日本国民から崇め奉られてこられた方々です。力さえを持てば下の者が上に立てる下剋上の戦国時代ですら 天皇ご一家は超別格の血筋として崇め奉られていました。別に私は 国粋主義的なポリシーは持ち合わせていませんし、共産党のように天皇家に対して否定的な考え方でもありませんが 以前に偶然京都で天皇陛下と皇后陛下のお乗りになった車と通り合わせました時には ごく自然に頭を下げました。ごく普通に日本で生活してきた国民なら 至極当たり前に天皇陛下ご一家に対して 敬意を持ち合わせているものだと思います。

    天皇陛下は普段どんなことをなさっておられるのでしょう。天皇陛下の御一族はいわゆる日本神道の総本山でありますから 神社におられる神主さんの大親分のような存在です。ですから天皇陛下の一日は 日本国民が本日も平和に暮らせますようにと お祈りをされることから始まるのだそうです。

    天皇陛下は国民の象徴であり、日本の元首と法律で定められています。世界的に身分の高い人の称号としては ナポレオンなどが即位した皇帝、キリスト教信者の大親分であらせられるるバチカンにお住いの法王、例えばイギリスのエリザベス女王、アメリカ合衆国の大統領 現在の日本国の首相である安倍ちゃんなどがあると思います。客観的に身分の高いと認められているランク付けをすると 現在はあまり存在しないと思いますが皇帝とバチカン市国にいらっしゃる法王がほぼ同程度で最高ランクに位置するのだそうです。そして日本の天皇陛下もほぼ同格なのだそうです。そこからいくらか下がって王様、ずーっと下がって大統領、さらにズーンと下がって首相になるのだそうです。

    もし日本にローマ法王がお越しになられることがあるとしたら 世界で唯一天皇陛下が上座を譲られる存在なのです。現実にエリザベス女王が来日された時もアメリカ大統領が訪日された時も天皇陛下の方が上座に座られたのだそうです。天皇誕生日や建国記念日位はマスコミが天皇陛下の客観的なお立場や普段なされているお勤めについてもう少し国民にアピールをすべきではないかと思います。そうでなければ普段の学校教育でもっと天皇陛下についてのしっかりとした内容を組み込むべきだと思います。もし中国や韓国の馬鹿どもが 何かしら文句を垂れくさらしたら 「じゃかましい、ひっこんどれー」とはっきりと発言すべきだと思います。

    まあ何にしてもせっかくの休診日が祝日と重なってしまいましたから どこにも出かけられません。祝日だと道路も観光地もお店も混みあっていますし、料金も休日料金になってしまいますから 本日は旅行明けでもありますし のんびりとしてしっかりと休養したいと思います。本日一日ゴロゴロしていれば旅行で蓄積した疲労は全て無くなると思いますから 明日からまた仕事に頑張ります。

  • 2月10日 部分入れ歯をすすめられ、ショックを受けました

    昨日右の下の奥歯を抜歯したのでその後の消毒に歯医者さんに再びやってきました。消毒の処置はすぐに終わりましたが 左の下の奥の部分に部分入れ歯を装着することを勧められてしまいました。左の下の奥は 一昨年の顎の骨の嚢胞を摘出する時に 親知らずも含めて三本まとめて抜歯されてしまいました。それは嚢胞をきれいに摘出するために必要な処置でしたから 仕方がないと納得しています。ただし、左の奥の部分はそのままの状態で放置してありました。手術をして頂いた市民病院の先生からは その後入れ歯を入れるのかどうするのかについては 近所の歯医者さんと相談してくださいと言われていました。

    部分入れ歯というのはもうすぐ六十歳の私としては致し方のない事なのかもしれませんが 本当に老人になってしまったようでショックです。テレビのCMで 部分入れ歯と歯茎の隙間に食べ物が挟まって食べ辛い、とか口臭の原因になる 等というのを見ていて自分はそんな状態になりたくないと思っていましたが、もうしょうがないのかもしれません。

    現在左の下の奥の歯がない事で特に不自由には感じていません。 しかしこのまま放置すると左の上の歯が下から受けてくれる歯がない事でどんどん下がってくる心配があるのだそうです。まあそんな事態になったら上の歯にとっても困ったことになってしまいますから ここは一応先生の勧めに従って入れ歯を作っておこうと思いました。勿論着脱は簡単なのでしょうから 違和感がひどければ自分の意志で外しておくこともできると思いますから。

    それにしても今回の部分入れ歯を勧められたことで 自分が本当に年寄になってしまったのだと 自覚させられてかなりのショックを受けました。もうだいぶ前になりますが心不全を起こして入院してから ずっと薬と飲み続けていますから その事でも自分は死ぬまで薬を飲み続けるのだと思ってショックを受けました。

    五十歳になった時に映画館の夫婦割引で一人千円で切符が買えることになった時にも少なからずショックを受けました。もうだいぶ前で何時の事か全然覚えていませんが 普段鏡など殆ど見ない私が たまたま自分の髪の状態を見て 真っ白になりボリュームも全然なくなっている事に気付いてからは 尚更恐ろしくて鏡が見られなくなってしまいました。あと二年たったら還暦で赤いチャンチャンコを着なければならない年齢であることをもう少し強く自覚すべきなのかもしれませんが やはり自分がそのようにどんどん衰えていることを受け入れたくなどありません。なるべくそんな事には気づかない振りをして 生きていたいのですが無理なようで 周囲がそれを許してくれません。

    本当の老人になってしまって 体が思い通りに動かせなくなってしまってからでは せっかく南の島に移住しても 楽しくありませんから 少しでも早く仕事を切り上げることを真剣に考える必要があるのかもしれません。でももう何年かはここで病院の仕事を続けますので どうかよろしくお願い致します。

  • 2月9日 歯医者さんで奥歯を抜きました

    二三週間前に 右の上の奥歯が何となく痛くなりました。虫歯の様にズキズキと痛いわけではありませんが 何時もなら我慢できなくなるまでほったらかしにするので 今回は早目に歯医者さんにかかることにしました。旅行前に一度診察を受けましたら 虫歯ではなくて歯茎に膿が溜まっているという事で 内服薬で治療を始めました。その部分は丁寧に歯を磨くように心掛けると ブヨブヨしていた歯茎が引き締まったような気がしてきましたしその後同様の痛みを感じることも無くなりましたので 一応その部分の状態は改善したみたいです。

    ところが最近 右の下の奥歯が 普段は痛くありませんが その歯で咬もうとすると痛くて咬みづらい状態になっていましたので 本日はその歯について相談しました。初回の診察時に レントゲンを撮ってあるので 先生がその部分をよく見て 「根っこがかなり融けてなくなっているし一部分は折れてしまっていいるみたいなので 直ぐに抜いた方がいいよ、」と言われました。

    先生はごく簡単に抜いた方がいいと勧めてくれますが 永久歯ですし、奥歯ですから ちょっと躊躇してしまいました。今日直ぐ抜いてもいいし 日を改めてもいい、と言われました。何しろ本日は歯を抜いてもらおうなどとは 一切考えずに来院していましたから 心の準備ができていません。只、日を改めてもその日まで歯を抜くことへの恐怖と戦わねばなりませんし、取りあえず奥様になんで今日抜いてもらわなかったの となじられるのはほぼ確実です。

    三十秒ほど悩んでから 今日抜いてくださいとお願いしました。まずは麻酔を注射でかけますから最初はチクリとしますが 直ぐに感覚が無くなってしまいます。外側からと内側から何度も麻酔の注射をされて 効いてくるまで少し待ちました。もともと根っこが融けてぐらついている歯ですから抜くのは一瞬で抜けました。折れた根っこを鉗子ではさんで取り除くまで十秒もかかりませんでした。後は脱脂綿を噛んでお終いです。

    抗生剤と止血剤、鎮痛剤を貰ったので病院に戻ると直ぐに飲みました。病院に帰り着いて奥様に歯を抜いてもらったことを報告しました。私としては その勇気ある行動を少しでもいいので褒めてもらいたかったのですが 当然褒めてはもらえませんでした。もし日を改めたりしたら 散々詰られて馬鹿にされたと思いますから やはり本日抜いてもらってよかったと思います。

    もともと簡単に抜けるぐらいの歯ですから 麻酔が切れてもそれほど痛くもありませんし殆ど出血もありませんでした。明日傷口の消毒にまた来るように言われました。歯を抜いた後の消毒だけですから 痛くないのは分かっていますが連日歯医者さんに通うこと自体が大きなストレスなのですが まあしょうがないでしょう。

    取り合えず 今日の所は 奥様に全然褒めてもらえませんでしたが 歯を抜くことを即決できた自分を自分で褒めてあげることにしたいと思います。よく決心しました、えらい。