2月20日 1791年の本日チェルニーが生まれました

チェルニーと言われても ピアノを先生について習ったことのない方には あまりピンとこない作曲家だと思います。逆にピアノを習ったことのある方なら 少なくとも日本でのピアノの練習においては必須の練習曲集だと思います。私がピアノを習い始めたのは 小学校の三年生の時でしたから 結構遅い目かもしれません。幼稚園の頃からマリンバという楽器 要は木琴の下にパイプをつけて音が美しく響くようにした楽器 を習っていました。

父親がかなりの音楽好きであり 自分は何にも楽器を演奏できないのが相当に残念だったみたいで 私と妹は幼い頃から楽器を習わせられました。幼稚園の頃からマリンバの練習は朝学校に行く前に少なくとも三十分間は毎日していました。妹も幼稚園の頃からオルガン教室、小学校に上がったらピアノの個人レッスンに通い始めました。

2DKの狭い団地住まいだったのに アップライトのピアノが購入されましたので 私がうっかりピアノにも興味があることを口にしてしまったがために だったらマリンバとピアノ両方習いなさい、という事になってしまい 小学三年生から二足の草鞋を履くことになってしまいました。

お陰で私は 朝の七時ごろから マリンバとピアノの練習を三十分ずつするノルマが課されてしまいました。当時は団地住まいでしたから よくご近所からの苦情が出なかったものだと思います。マリンバはちょっと特殊な楽器だったので 小学校を卒業する時に辞めましたが ピアノは高校二年生の時まで習い続けました。

私は小学校三年生でピアノを習い始めましたが マリンバの経験がありましたので ピアノを習い始めるときの最初の教本であるバイエルは一週間で卒業しました。だいぶ昔の事なので記憶が曖昧ですが 習い始めて半年ぐらいしたところで 「チェルニーの30番」という練習曲集を練習し始めたと思います。

一つの練習曲を練習しはじめて 先生に合格を貰えるまでに 勿論毎日ソコソコ練習してもに三週間はかかったと思います。ですから、「三十番」には三十曲の練習曲が収められていましたから この練習曲集を卒業するのに二年以上もかかったはずです。やっと「三十番」を卒業したと思ったら すぐ次に「チェルニーの四十番」という練習曲集を与えられました。「三十番」よりもずっと技術的にに高いものを要求されますし 曲数は十曲も増えているのですから、かなりの絶望感に襲われました。

事実 シューマンは「退屈でイマジネーションに欠ける練習曲集」と評しましたし、ルービンシュタインは「子供への拷問」と評していました。ですから世界的にはピアノの演奏技術をあげるための練習曲集としては それほどポピュラーではないのだそうですが、取りあえず日本でのピアノの練習では 避けて通れない曲集だったみたいです。

とにかく難しくて 毎日練習しても先生から合格を貰えるまでにはひと月以上かかることがザラでした。恐らく「四十番」を卒業するのに五年以上かかったと思います。やっと卒業できたと思ったら すぐ次に「チェルニーの五十番」が手渡されました。どんどん難しくなるのに 曲数は増えていくのですから ルービンシュタインの言うとおり 本当に子供への虐待だったと思います。

当時私は高校生だったと思いますが まだ素直な子供だったので 有難くその練習曲集を頂き 正面から練習に取り組みました。結局、高2の終わりで 大学受験の為という理由で ピアノを習う事を終了しました。「五十番」の途中、確か十番まで合格を貰ったと思います。それでチェルニーとの縁は切れましたが、 なんと「五十番」を卒業しても「六十番」が待っているのだそうです。

私の妹は はっきり言って私よりも上手くなかったと思いますが(発表会では私の方が後で演奏していましたから) 音楽の道に進み 大阪音大のピアノ科にすんなり入学しました。音大を受験するためには それなりの先生について十分な準備をしていたようですが 最終的に「チェルニーの五十番」は 私よりも進んでいなかったと思います。まあ、それぐらい日本のピアノ教育においてチェルニーの練習曲集は 重大な位置を占めていたのだと思います。

チェルニーはピアニストとしての才能も高くて その演奏を聴いたベートーベンが直々に弟子に取った位です。作曲家としても 何もピアノの練習曲ばかりではなくて ピアノコンチェルトや交響曲まで作っているのだそうです。でも私はチェルニーの作品を演奏会などで聴いたことがないし 恐らくほとんどCDにもなっていないと思いますから、やはり練習曲専門の作曲家のイメージが拭えません。

ベートーベンの弟子であったチェルニーにベートーベンから自分は多岐に渡る作曲活動の為に時間が足りないので 練習曲集などの音楽教育のためのプログラム作りの仕事を託された という記録が残っているらしくて チェルニーがそのベートーベンの期待に応えたのだと思いますから それなりにすごく立派な作曲家だと思います。でもやっぱりその練習曲集は「子供への拷問」であるように思ってしまいます。

私は大学に入るまで自分よりも上手にピアノが弾ける友人は ほんの二三人しかいないと思っていましたが、立命館大学理工学部化学科に入学してから 私など足元にも及ばない位にピアノの上手な友人と出会いました。同じ化学科で名前が早田君だったので 学籍番号も近くていつも一緒に実験などをしていた子でした。

早田君はずんぐりむっくりな私と違ってスラーっと背が高くて指も長いので 十度(ドから1オクターブ上のミまで)簡単に押さえられました。私なんか 手足も短ければ当然指も短いので八度(1オクターブ)が精一杯でした。この指の長さの違いは 特にラベルやドビュッシー等の仏近の作品を弾く時に如実に現れます。

早田君はチェルニーの練習曲集はあまり頑張っておらず むしろショパンのバラードやポロネーズなど 弾いていて楽しい曲を中心に練習してきたそうです。はっきり言ってチェルニーの練習曲は上手に弾けるようになってもそれほど楽しくありませんから やはり弾いていて楽しい曲を練習するのが上手になる早道なのかも知れないと思いました。単調で楽しくない辛い練習よりも やっていて楽しい練習の方が 結局は一生懸命が長続きするので上達につながるのではないかと考えます。

そういう意味では チェルニーは疎ましい存在のようにも思いますが こんな根性なしでヘタレ野郎の私でも 辛い事を投げ出さないで続けることが 多少でもできるようになったとしたら それはチェルニーのお陰なのかもしれません。

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