1月17日 1995年の本日未明に 阪神淡路大震災が発生しました

もう二十年以上も前の話になるわけですが 開業して間もなくで 病院の二階で一人で売らしていたころの事でした。当時から 眠っていても 割と些細なことで目覚める事が多かったのですが さすがにその時の揺れかたは 初めて味わうぐらいの大きさと長さでした。異変に気付いて目覚めた時には まだ暗くて殆ど訳の変わらない状態でしたが 私は反射的に目が覚めたら 立ち上がって 食器棚と本棚の間に立って その両方が倒れないように 手で支えていたのだけは覚えています。今から考えると そんなことをするのは 自信の時には 一番にゃっちゃいけないことかもしれませんが 取り敢えずは食器棚と本棚が倒れないように という事だけを考えてしまいました。
しばらくしてようやく揺れが治まったので 取り敢えずはテレビをつけて 地震情報を調べてみました。すぐに震源が神戸から淡路島辺りで 大阪のこの地でも相当な震度が記録されましたが 震源地の値rでは 普段あまり見たことがないような震度とマグニチュードが発表されていましたから その被害の大きさが心配されました。取り敢えずは 病院の二階で寝ていましたので 二階では殆ど何にも被害がないことが確認できましたので 階段を降りて 一階の病院の部分で何か被害がないかと点検してみました。パソコンなどの電源を入れてみましたが 取り敢えずは正常に作動してくれました。血液検査の機会やレントゲンの機械などもチェックしましたが どうやら何も異常はなさそうでした。薬棚から プラスチック製の薬瓶が一つだけ床に落ちて転がっていただけなので 実質的にうちは 病院も二階の生活部分も何にも被害がなかったようなのでホッとしました。
朝になってから 実家に電話をかけてみましたが 実家でも特に被害はなかったようでしたので 一安心できました。ただその頃になると 神戸近辺の被害の状況が かなり判明してきていましたので その辺りの被害は甚大なものになりそうで とても心配しておりました。まだ開業して何とか辛うじて潰れない程度に 営業を継続しているだけの状態の私でしたから 他人様の心配をしているほど余裕はありませんでしたが 罪のない人々が 毎日毎日たくさん亡くなられたことが確認されていましたから 同じ日本人として 関西人として 正直な所 心を痛めておりました。
二十年以上が経過しましたから 町並みなどの見た目的には かなり震災前の状態に戻ってきているのかもしれませんが 当たり前ですがお亡くなりになられた方は戻ってこられませんし 自分の土地 故郷であっても家族が亡くなってしまった場所に生き残った方たちがすんなりと 戻ってこられるとは限りません。本当の意味で元のような状態に戻れるわけはないはずですから 何とか新しい形ででも復興を遂げていただきたいと 心よりお祈り申し上げます。その後東北でも大きな震災がありましたが 自然による災害は そこに暮らす人たちには 何の責任もないのに 命や大切な財産を奪ってしまいますから 本当に恐ろしいと思います。
私は これまで六十数年生きてきて 本格的な自然災害による被害を受けた経験がございません。今後移住する大分県も 将来的に自然災害による被害を受けにくい所だと言われております。但し阪神大震災も東日本の大震災も 全く予測されてはいませんでしたから 被害を受けにくい土地であるという予測も 全然あてにならないのかもしれません。私のように ろくでもない人生を歩んできた者ですから 最後に痛いしっぺ返しがやってきても 全然不思議だとは思いません。まあ私の人生もあと残りわずかだと思っておりますので 出来ましたら平穏無事に過ごせることを祈っておりますが 何かあってもし方がない位の覚悟はしておりますので いざその時になっても それほど落ち込まないだろうと思っております。

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