1月20日 1709年の本日 「生類憐みの令」が廃止されたのだそうです

徳川五代将軍綱吉が発令した「生類憐みの令」は よく天下の悪法と称されます。1687年に動物の殺生を禁止する法令を制定したのが始まりなのだそうです。「生類憐みの令」は、1本の成文法ではなく、135回も出された複数のお触れを総称する呼び方なのだそうです。何しろ日本史は得意分野ではありませんので ウィキペディアなどを読んでの その場限りの受け売りの知識ですので 表現が伝聞朝になることはお許しください。発令した原因は 綱吉が長寿を望んだのと 世継ぎに恵まれなかったこと の解決法として 前世で動物を殺生したのが原因だから 動物の命を大切にしなさいとアドバイスされたことによるのだそうです。特に綱吉が戌年生まれであったために 犬を大切にすることを強調したのだそうです。
この法令が百回以上も発令されたのは さすがに人の命よりも犬の命を優先するような 馬鹿げた意味合いの法令でしたから 幾ら将軍様からの通達であっても まともに人々に受け入れられなかったみたいです。よくある逸話としては ほっぺたにとまった蚊を叩き潰したために 厳しい刑罰を受けた と言うのがありますが どうやらこれは事実ではなさそうです。この法令がある程度守られていたのは江戸や京都などの大都市で 役人の目が細かく行き届いた地域だけだったそうです。田舎に行けば このような法令はその存在すら知られていなかったようです。
ただこの法令で綱吉が保護しようとした対象は 動物だけではなくて 当時凄く頻繁に発生していた捨て子を守ることも含まれていたのだそうです。勿論経済的な理由からでしょうが 捨て子を決断する親が頻発したために 綱吉はわざわざ生まれたばかりの赤ちゃんについて 戸籍のようなものを作り 定期的にチェックして その親たちがきちんと子育てをしていることを確認までしたのだそうです。それから 当時の風習として病人や年寄りなど 弱ってしまった人間を 例えば山中に 若しくは旅先で 置き去りにすることが珍しくなかったのだそうですが そのような行為も禁止していました。
現在の感覚からしたら 当たり前の事ですが 綱吉の生類憐みの令には 人間 特に弱者を守ろうとする気持ちも強くあったことが窺えますから 単純に悪法と決めつけてしまうのは早計なのかもしれません。それに 普通に考えたら 現代でも動物を愛護するための法律が制定されていますから 勿論その細かな設定には行き過ぎた部分が少なからずあったことは否定しませんが 動物を大切に可愛がりましょう と言う考え方には 私の仕事から考えても 拍手を贈りたい気持ちもあります。
結局この法令は二十年以上にもわたって発令され続けたのですから ある意味綱吉にとっては ライフワークとして捉えていたのかもしれません。綱吉の遺言では この法令を100年続けるように望んでいます。所が現実には綱吉の死後わずか十日後には ほぼ完全に廃止されてしまったのだそうです。こんな話をきいてしまうと 綱吉は「犬公方」等と 蔑んで表現されていますが 何だか 独りよがりで一生懸命に頑張ったのに あまり正当に評価されていない可哀そうな将軍様 と言う風に思えてしまうのは私だけでしょうか。 

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