11月10日 1989年の本日ベルリンの壁が崩壊しました

つい最近の出来事のように思っていましたが 25年も前に起こっていました。ベルリンの壁とは 第二次世界大戦に敗れたドイツがソ連という社会主義国とアメリカ、イギリス、フランスという資本主義国によって分割統治されたことによってそれぞれ東ドイツと西ドイツに分割されたことから建設された西ベルリンを取り囲む形の壁です。

米、英、仏の三国がドイツのおよその西半分を統治したのに対して ソ連がベルリンを含む東半分を統治しました。ベルリンはドイツの首都であったため ベルリンという都市の西半分は米英仏の三国が統治して 東半分をソ連が統治しました。つまり西ベルリンは東ドイツの中に西ドイツの飛び地として存在しました。分割統治が始まると資本主義国によって統治された西ドイツでは勿論資本主義経済が展開されましたが、東ドイツではソ連によって統治されましたから 当然社会種国が誕生してしまいました。

ドイツ国民にすればこれまでが資本主義社会で生きてきましたから 当然社会主義によって統治される国家には馴染み難くて当然西ベルリンを経由して西ドイツへ亡命する国民が相次ぎました。その為に西ベルリンをぐるっと囲む形で壁が建設されてしまいました。そして検問所を通らなければ行き来ができない状態になってしまいました。この壁はのちに東西冷戦の象徴となりました。

その後社会主義の本家であるソ連でも社会主義の限界と突きつけられた形で徐々に改革が進んでいきました。ゴルバチョフ大統領がすすめたペレストロイカ政策によってソ連および東欧諸国の民主化への道は進みました。所が当時のドイツ社会主義統一党のトップであったホーネッカーは民主化へ向けた改革に全く背を向けていましたので ゴルバチョフを失望させました。それを見た他の党幹部たちがホーネッカーを失脚させて東ドイツの国民が自由に国外に出ることを認めることを11月の9日に発表しました。その為にベルリンの壁の存在意義がなくなったという事で 翌日である10日から一斉に壁が取り壊されました。これがいわゆるベルリンの壁の崩壊の顛末です。

日本もドイツと同様に第二次世界大戦の敗戦国となりましたが 幸いなことに日本全体をアメリカが統治しましたから何も問題は起きませんでしたが もしソ連がしゃしゃり出て来て 北海道だけはソ連が統治することにでもなれば それこそ南日本と北日本に分裂する可能性もあったのかもしれません。ソ連がしゃしゃり出てこなくてよかったですね。

 

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