11月11日  本日はジュエリーデーなのだそうです

1909年ですから今から百年以上も前に 宝石の国際重量単位としてカラッと(=0.2g)が制定されたのだそうです。私は男ですから 勿論宝石なんかには一切興味がありません。奥様は女性なので人並みに宝石やアクセサリー指輪やネックレスの類に興味がおありなのだそうです。「たまには指輪位プレゼントしなさいよ」と言われますが その存在価値が理解できないし、そこそこ高価なものですから 恐らくプレゼントすることは無いように思います。

女性の喜ぶプレゼントで男性に理解ができないもう一つのものが花束です。まだ宝石はその価値がきちんと保管すれば永続しますが 花束はどんなに上手に扱っても数日で枯れてしまいます。女性に言わせるとほんの数日で枯れてしまうものをプレゼントされるから余計に嬉しいのだとおっしゃいますが 全然理解できません。でもまあ私も奥様と出会ったばかりの頃には 奥様の気を引こうとしてせっせと花束をプレゼントしました。今でも奥様の御機嫌をひどく損ねてしまったときには プレゼントします。

宝石に興味はありませんが それらの写真などを見ると 確かにキラキラして美しいとは思いますが どうしてそんなものに大きな価値が付加するのか全く理解できません。きらきらと美しいからと言って 人間の生活に実質的に役立つことは全くないのです。それからもうひとつ不思議に思う事があります。

金の価値についてです。金は昔から日本でも富の象徴のような存在でした。アジアでもヨーロッパでもアメリカでも同様だったみたいです。私から見れば 宝石と同じで ただキラキラしている融点が低くて加工しやすいだけの金属にすぎないと思います。昔から人類は金を貨幣として用いてきました。紙幣とはもともとは同等の価値を持つ金と交換できるから 即ち兌換紙幣であったからこそその存在意義が認められていました。残念ながら現在は不換紙幣になってしまっていますけれど。

洋の東西を問わず昔から金の存在をめぐって争いやいさかいが起こってきました。私も確かに金閣寺を見れば その美しさと荘厳さに目を奪われますが 住まいとしては銀閣寺の方が落ち着きと安らぎを感じます。ですから昔から 高価な宝石や巨大な金塊をめぐって人が争うのが不思議でしょうがありません。

人間五体満足でありさえして 一生懸命に働けば 自分と家族を養っていけるぐらいの稼ぎは得られるはずです。人は自分の背丈にあった生活をすべきだと思いますし、それ以上を望んでもろくなことは無いと思いますから 地道に着実に生きていくことを考えることが賢明な生き方だと思います。

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