11月15日 坂本竜馬は1835年の本日生まれて 1867年の本日暗殺されてしまいました

歴史の話をするときに「たられば」は 厳禁とよく言われますが どうしても日本の歴史を振り返る時に織田信長と 坂本竜馬には もう少し長生きをさせたかったと思ってしまいます。信長が本能寺で死ななければ 勿論十五代も続く徳川時代はなかったでしょうから その後の日本の歴史は全く異なる展開をしていたように思います。キリスト教を含めて西洋の文化を積極的に取り入れていた信長が 国づくりをすれば キリスト教が禁じられることはなかったでしょうから 日本人の宗教観そのものが根本的に違ってきていたように思います。勿論鎖国もしなかったでしょうから 外国の影響をもっと大きく受けて その事自体が日本にとってプラスになったかどうかは見当がつきませんが 少なくとも日本の伝統的な文化そのものに大きな影響を受けていたでしょうから 日本と言う国が現在とは全く雰囲気の異なる文化を持つ国となっていたのではないでしょうか。
坂本竜馬にしても お互いを天敵と考えていた薩摩と長州を同盟させるという 空前絶後の発想の持ち主ですから もう少しでも長生きしてくれていたら 明治維新にどのように関わっていったのか見当がつきませんが 明治政府にそれなりの影響力を持つ存在であることは間違いなかったと思います。若い頃に読んだ文献で 竜馬は亀山社中と言う商社を立ち上げていましたから 明治政府の役人になるつもりはなくて 商人として世界を相手に貿易をしようと考えていたみたいです。勿論竜馬は金持ちになることを望んでいたわけではないのでしょうから 世界を相手に貿易をして新しい文化をどんどん吸収して その後の日本の発展に大いに貢献してくれていたのではないでしょうか。私の勝手な想像ですが 西郷隆盛が明治政府の中で孤立してしまったときに 上手く仲介して 西南戦争のような悲しい結末を迎えることもなかったのではないかと思ってしまいます。
「たられば」の話を広げても 情けなくなるだけなので このあたりで終りにしようと思いますが 竜馬が亡くなったのはわずか32歳の時です。私がもうすぐ還暦ですから 私の本の半分ほどしか生きていないのに 竜馬の存在を知らない日本人は死後150年近く経ちますが恐らくいないでしょう。男なら竜馬の生き方に憧れる方は非常に多いと思います。竜馬はやはり一種の天才だったのだと思います。その柔軟な発想と 頭の回転の速さや抜群の知識の吸収力は 常人ではなかったのでしょうから そのような天才と 凡人の中でも味噌っかすの私を比較すること自体が おこがましいのは間違いありませんが 一人の男としては 私が生きてきた証 と言うかこの世の中にほんの小さな爪痕でも 今後の人生で残していきたいと思います。

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