11月27日 大学生の就活が 不思議に思えます

現在の大学生の就職活動は 凄く早い時期から 長い期間にわたるのだそうで よく理解が出来ません。普通に四年で卒業する学生の場合 業種や仕事内容を知識として知り 浅くではありますが 実際に体験してみる事を二年生のうちから スタートするみたいなのです。そして現実に企業からの内定を受け取るのが三年生のうちなのだそうです。普通四年生の大学の場合 卒業論文を作成してから 卒業していくことは 現在も私たちと同じような形だと思っています。ひょっとしたら このスタート時点の考えから間違っているのかもしれませんが 今更詳しく確認してみようとも思いません。
私が就職活動をしたのは 四十年近くも昔の話ですから 現在の状況とはかけ離れていても 当然なのかもしれませんが 現在の大学生は一体何のために大学に通っているのかを考えると 可哀想になってしまいます。昔からよく言われていた事ですが 日本の大学は入学試験をパスして 入ることは大変だが 一旦入学を許されてしまうと 遊びほうけていても形だけは何とか卒業できる みたいに言われていました。大学受験をパスすることに全精力を集中するので 入学してからは思い切りのんびりしてしまうのが 極当たり前のような風潮でした。
日本では 取り敢えず名のある大学を卒業しさえすれば そこそこの会社に就職が保証されているようなものだからかもしれません。かくいう私も 立命館大学と言う 一流と名乗るのには少し気のひける大学を卒業しました。理工学部化学科に在籍しており 三年生の終わりに 卒業研究室を選択します。研究室によって当然ですが取り組む課題が全く異なります。私は高分子化学研究室と言う所に希望を出して 無事に配属されました。希望者の多い研究室の場合 恐らくは成績順で選考されて 選ばれなければ 第二志望の研究室に回されたものもあったみたいです。
私が高分子化学研究室を選んだのは 授業の内容が興味深かったのと 先生の人物そのものが魅力的であったからです。それと教授自身が ボーリングが大好きだし とてもお上手でしたので ゼミなどで全員集合すると必ずその流れでボーリングに出かけることが有名でしたので ボーリングが得意なものが 集まったのかもしれません。大学の研究室ですから 普通なら成績の優秀なものがイニシアチブを取りそうなものですが うちの研究室ではボーリングのスコアの良いものが 偉そうに振る舞っていたように思います。勿論私もボーリングの腕には多少自信がありましたが みんな凄く上手くて 調子が悪いと最下位争いをしていました。
四年生の授業が始まったころに 初めての就職説明会があり 先ずは自分の進みたい業種を絞るように指導されました。理科系ですから 一応は研究職等を希望したかったのですが ある程度しっかりした企業での研究職には 東大、京大の修士位持っていないと 相手にもしてもらえません。私は性格的に 毎日きちんと机に向かっているような仕事は続きそうになかったので 理科系の知識を生かした営業職がいいかもしれないと思いました。そこで製薬会社の営業職 一般的にプロパーと呼ばれる職種が面白そうに思えて その分野について色々と調べてみました。
製薬会社も大手になると誰でも知っている会社が多いので 何となく寄らば大樹の陰みたいなこともあり 先輩のいる会社に先輩訪問をしてみました。まあ訪ねてきた大学の後輩に 悪い話、しんどい話はしないのかもしれませんが そこそこやりがいを感じられて お給料もそこそこ良さそうな話で かなり気持ちが傾きました。何時の間にか自宅に送り届けられていた会社の資料を読んでみて よさげな会社が見つかり 取り敢えず電話をかけてみました。電話を受けた方の印象もよかったので 一度大阪の支社を訪ねてみました。六月の梅雨の時期だったと思います。会社を訪問して 人事担当の方と話をすると 一週間後ぐらいに東京の本社での面接を受けてみないかと言われました。東京ですから 新幹線に乗りますし一泊しなければなりませんが 勿論交通費から宿泊費まで全部会社が持ってくれるという話でしたので 物は試しと出かけてみました。
生まれて初めて 面接試験と言うものを体験しましたが かなり緊張してしまい 受け答えがぎこちなかったように思います。まあその日のうちに何とか内定らしい指示を貰いました。一つ目のまあいってみればすべり止めみたいな気持ちで受けた会社から 初の内定をもらいホッとしました。続いては やはり大学の先輩のいた 中外製薬に先輩訪問してみました。すきっとしてかなりカッコいい先輩の姿に憧れてしまい 面接を受けてみたいと意思表示すると その先輩が人事部につなぎを取ってくれて いきなり東京本社へ招かれました。それまで殆ど新幹線に乗った経験がありませんでしたが 就職活動で 費用は会社持ちで二往復もさせていただきました。こちらも無事に内定を頂きましたので 最初の内定を頂いた会社には 電話で御断りを入れました。新幹線の指定席で往復させてもらって そこそこのホテルに宿泊させてもらって 結構美味しい食事までご馳走になりましたから 申し訳ない気持ちも少なからずはありましたが 自分の人生がかかっていますから致し方のない事だと考えました。
私たちの頃にはまだ存在した 就職協定 という有名無実の取り決めによって 一応正式の会社訪問 人事関係の人間と学生が接触を許されるのは 十月一日からと決まっておりました。そこで 既に内定を出して青田刈りをした学生を囲い込んで 他の会社を訪問できないように何かしら休むことの許されない様な行事を行う会社が一般的でした。所が中外製薬は 解禁日に何の制約もありませんでした。中外製薬は テレビでもよくコマーシャルの流れる 誰でも知っている会社ですから 私としてはお世話になるつもりでおりましたが せっかく正式に会社訪問が許されるその日に なんの就職活動もしないのは 勿体無いような気がしてしまいました。
中外製薬は日本の製薬メーカーとしては 規模や売り上げ的に十位前後の会社でした。製薬会社は不思議な事に大阪の道修町に本社のある場合が多いのです。最大手の武田や当時ほんの一時的にですが凄く勢いのあった藤沢 そして塩野義等の日本のトップを争う会社の本社がすぐ近所に集中していましたので 別にどこを狙ったわけでもなくうろついてみました。武田は薬剤師でないと採用しないと知っていましたので 藤沢と塩野義の本社を覗いてみて 雰囲気の良さそうだった塩野義を選びました。全く準備などしていませんし いきなりこの日に訪問しても 実はすでに採用枠の内定者が全て決まっているのかもしれませんから かえって全然緊張しないで面接をこなせました。
全然緊張感が無かったのが良かったのかもしれませんが 最初は一対一で話をして つぎに三人の面接官と話をしました。帰りがけに滋賀にある医療施設で健康診断を受けるように指示されました。どんな指示に どういう意味があるのかわからないままに 取り敢えず大学に戻って 就職課で初めて塩野義のこれまでの採用に関する情報に触れました。その中で 滋賀にある施設で健康診断を受けるように言われることが 実質的な内定と考えていいという事を知りました。全く準備をしないで 期待もしていないので 緊張もしていなかったのが いい様に転がったのかもしれません。正式な私の就職活動は 現実には六月から動き出しましたが 十月一日の一日だけと言えるのかもしれません。
ほんの数年で退職を決意したのですから 結果的に塩野義に就職できたことが良かったのかどうか分りませんが 現在の自分の人生にあんまり後悔はありませんので 恐らくよかったのではないかと思います。塩野義製薬は 日本でも二番目か三番目位の規模の会社です。製薬会社の割には給料が安いのと その割には仕事がしんどい というのがもっぱらな評判だと 入社してから知りました。只もし中外製薬に就職していたら 塩野義ほど仕事がしんどくなくて 中途半端にサラリーマンを続けてしまい 結局は定年を迎えていたのかもしれませんから よかったと考えるしかないのかもしれません。
私の就活は 結局三つの会社から内定をもらい 拘束された日数的には全部で一週間にも満たないように思います。私の学生時代 今から四十年ほど前だと こんなもので標準的なのではないでしょうか。所が形ばかりの就職協定が20年位前に無くなってしまってから 全く歯止めが効かなくなってしまったみたいで 現在の学生は 二年生のうちから自分が進みたい業種に関する勉強を始めて 三年生のうちにほぼ内定してしまうのが 大まかには順調な就職先決定のプロセスみたいになっているみたいです。
三年生なんて まだ自分がその学部内でどのような分野の卒業研究室に配属されるかさえ決まっていない段階のはずです。自分が一番熱心に取り組む研究の方向さえ決まっていない段階で 就職先が決まってしまうというのは 如何にも大学の名前だけで就職先が決まってしまう日本の愚かな姿勢が浮き彫りにされているようで 滑稽にしか思えませんが どうしてこのような事になってしまったのでしょうか。やはり 私たちの時代ですら有名無実化していたと言われる就職協定が ある程度はまともな形に近い就職活動を形作ってくれていたのかもしれません。
就職氷河期という時代がかなり続いたようにニュースで見ていた時期がありましたが 現在は一応売り手市場なのだそうです。勘違いした馬鹿な学生に 振り回される企業があわれに思わないでもありませんが 氷河期には 採用する側が上から目線で好き勝手に選別していたのでしょうから 時代の流れに従わざるを得ないのかもしれません。学生としても 就活をする時代の風潮に従って 精一杯の事を頑張るのでしょうが 何も就職先だけで自分の一生が決まってしまう訳ではないので 気楽に考えて 自分の能力を上手く活用できるような職場を見つけて欲しいように思います。
私は会社を辞めてから 受験勉強をやり直して 六年間も大学に通い直して 自分の病院を開院するまでに十年ぐらいはかかっているのです。人生なんて幾つになっても 何度でもやり直しは可能だと思いますから とにかく自分の納得のいく仕事を 目先の収入や 友人など周囲の環境に惑わされることなく じっくりと腰を据えて見つける努力をしていただきたいと考えます。

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