12月3日 1568年の本日 黒田長政が誕生しました

黒田長政は それなりに立派な優秀な武将であったのだとは思います。関ヶ原の合戦でそれなりの武功をあげて たいそうな所領をもらい 黒田家が繁栄する礎を築いたのは間違いないとおもいます。しかしやはりお父さんの官兵衛が偉大すぎたためか 凄くありきたりな人物に思えて仕方がありません。

今年のNHKの大河ドラマで やっと黒田官兵衛が主人公として取り上げられました。私は 父親が司馬遼太郎の大ファンだったお蔭で 殆どの作品を所蔵していましたから 子供の頃からその全てを繰り返し読んでいました。司馬さんの作品は戦国時代を扱ったものが多いので 当時の武将の中で凄く好きな人物が出来てきました。

一人目が蒲生氏郷です。それほど有名ではありませんが 武将としての能力が高く 諸大名たちからの人望も厚く 戦国武将としては 一番かっこいいと私は思います。信長が自分の娘を嫁にとらせようとしましたし。秀吉の家臣の時には会津で92万石もの大領を与えられた時代もありました。側室を置かなかったので 家督を継ぐ跡取りに恵まれなかったのが不運でした。当時の大名は家を継ぐ跡取りを作るために側室を置くのはある程度義務のような時代に 正室だけを大切に愛したために 跡取りに恵まれなくて その後の蒲生家は廃れてしまいましたが 一人の女性を大切にしたところが 男としても凄くかっこいいと思います。

二人目は河合継之助です。この人物がいたことが 長岡藩にとって良かったのか悪かったのかは さまざまに議論されていますが 自分の信念を堂々と主張して 貫いて生きた所がこれまたかっこいいの一言だと思います。新政府軍が会津征伐の為に通りかかった時点で 非戦、恭順の姿勢を示そうとした長岡家の家老たちの選択は 決して間違ってはいなかったと思います。ただ河合継之助という 極めて優秀であり 強い信念を持つ家老が存在したために 結果的には長岡家はえらい目にあってしまうのです。私は継之助の考え方が好きですから 好きだからかっこいいと思いますが 客観的に見たら忠臣とは言えないのかもしれません。でも私は好きです。

三人目が「播磨灘物語」に登場する黒田官兵衛です。播磨の片田舎から 歴史の表舞台に登場するまでに とっても時間がかかるところが退屈ですが 荒木村重を説得に単身赴く無謀なところが 自分の知力を過信しすぎているみたいに思えて 反ってかっこいいと思います。関ヶ原の合戦の時の九州での働きは スケベ根性が丸出しみたいで あまり好きではありませんが 男たるもの戦国時代に生きていたら 天下を望むのは致し方のないことかもしれません。でも出来たら最後まで知的でスマートな軍師としてふるまって欲しかったように思います。また 息子の長政は もう少し父の気持ちを察して 一日で決着のついてしまう野戦ではなくて じっくりと時間のかかる攻城戦に持ち込もうとする姿勢の欠片も見られなかったところが お坊ちゃん育ちの甘さが出たみたいで残念です。どうしても天下第一とうたわれた軍師を父に持つ息子の不幸かもしれません。まあ、外様大名としての難しい立ち位置としては 無難にお殿様を務めていたみたいですから よく頑張ったと評価してあげても良いのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

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