12月4日 1795年の本日 トーマスカーライルは誕生しました

スコットランドに生まれた 大英帝国の歴史を研究し評論した人物なのだそうです。有名な格言をいくつも残されています。日本で一番有名な言葉は「雄弁は銀、沈黙は金」と言う格言かもしれません。厳密にいうとこの言葉は カーライルが発した言葉ではなくて スイスの石碑に刻まれていた言葉が カーライルによって世の中に広まったのだそうです。私はそれほど社交的な性格ではありませんから 誰とでもよくしゃべる性質ではありません。しかしある程度心を許しあった関係になると かなり良くしゃべるようになります。言わずもがなの一言で 相手を傷つけたり 極端な場合は友人を失ってしまったことも少なくないように思います。
そんな私ですから 「雄弁は銀、沈黙は金」と言う言葉をちょくちょくかみしめております。よく日本でも言われる言葉に「男の喋りはみっともない」と言うのがあります。高倉健さんみたいに見た目がカッコよければ 「無口な男ですから」と気取っていても 女性にすごくもてるはずですし 友達にも恵まれているのかもしれません。でも私の様にすごくみてくれの悪い男の場合は 少しでも面白い事を口にして その場の雰囲気を和ませたくて とにかく思いついたことを喋ってしまいます。夢中で言葉を並べているうちに 配慮が足りなくて 相手が気を悪くするような意味合いにとってしまうような表現を使ってしまう事も あるみたいです。勿論目の前にいる相手に対して 悪口を言ったつもりはさらさらなくても こちらの思惑とは異なる解釈をされてしまうような 微妙な表現を自分としては個性的な言葉として あえて使ってしまう事がしばしばあるようなのです。
私も来年には還暦を迎える年齢ですから もう少し落ち着いて 思いついたことをのべつ幕なしに並べ立ててしまうような 大人気のない対応は改める必要があると思います。仕事としては 飼い主さんと喋ってナンボの仕事をしていますが この仕事をリタイヤしてからは 話す相手が利害関係のない人に限られてくるはずですから 迂闊で稚拙な表現で 友人関係を壊してしまうようなことは極力避けて生きていきたいのです。その為にも「沈黙は金」と言う言葉を くれぐれも肝に銘じて生きていこうと思います。
カーライルは他にも幾つもの格言を残しています。幾つか好きな言葉を紹介しましょう。「天才とは、無限に努力できる能力のことである。」私の様に 平凡な才能にしか恵まれていないと自覚している人間には耳の痛い言葉です。私は塩野義製薬を退職して 獣医師を改めて志 再度大学を受験することを決意しました。日本の獣医学科で一番の名門は 偏差値の高さでは東大ですが これまでの研究実績などを総合的に考えると やはり北大の獣医学部だと思います。人よりも十年近く回り道をして この歳から獣医師を目指すのであれば 当然北大を目指すべきであるのかもしれません。そもそも北大は 大学自体が凄く魅力的であり 全ての大学のうちで 私の一番のあこがれの大学でした。
模擬試験の結果から判断すると合格の可能性も十分にありました。しかし当時の北大の入学試験の形式では 入試での合否が理科系の全ての学部学科で理類とひとまとめにされてしまうのです。つまり一年半の教養部時代の成績順によって 希望の学科に振り分けられるのです。そして北大の獣医学部と言えば 看板学部でありますから 恐らく一番人気の学部なのです。と言う事は 何とか入学試験に合格して 北大に潜り込んでも 教養部時代に相当優秀な成績を収めないと 希望通りに獣医学部に進学できないかもしれないのです。
私は当然二度目の大学ですから 授業料から生活費まで自分で稼ぎながら卒業を目指すつもりでした。バイトに明け暮れながらの 教養部での優秀な成績は 正直自信がありませんでした。別に天才になることは望みませんが やっと入学試験をとっばした直後から 教養部でかなり優秀な成績を収めるだけの努力を継続できる自信がありませんでした。それと現実的な問題として 北海道は距離的に大阪から遠すぎたこともありました。偏差値的にも確実であり 京都からJRの鈍行で二時間半の岐阜大学が私にとっては 現実的であり最適の大学と判断してしまいました。
次にカーライルの言葉で好きな格言は「人の富とは、その人が愛し祝福するものと、その人を愛し祝福してくれるものとの数のことである。」そんなに深くはないけれども 真実を言いえているように思います。私は 自己中心的な人間で 友人と呼べる存在が 殆どいません。還暦まじかになって 情けない事だし とっても悲しいことだと思いますし 非常に恥ずかしい事だと感じています。これまで何を考えて生きてきたのか と問われてもロクな返事が出来そうにありません。私が愛し祝福するもの と言えるのは 奥様しか思い当たりません。私の事を愛し祝福してくれる人 なんて一応奥様がいるのかもしれませんが それ以外は全く思い当りません。なんて寂しい私の人生なのでしょうか。ここ数年 私は取り敢えずは老後の資金をしっかりと蓄えて 奥様と二人でのんびりできるめどがはっきりと 立てば仕事を辞めてのんびりと過ごす事しか考えてきませんでした。奥様さえ私の傍でにっこりと笑ってくれていれば それが最上の幸せだと思っていました。
友達を何とか作ろうと考えて 合唱団の活動に半年ほど参加したこともありました。かなり平均年齢の高い集まりでしたが 歌の好きな人たちの集まりに入れてもらえれば 一緒にカラオケを楽しむぐらいの友達はすぐにできると期待していました。しかし 病院の仕事をやりながらの参加でしたから 結構忙しい生活と思われてしまったからなのか かなりの割合の方が仕事をリタイヤされて自由になる時間は少なからずありそうに思いましたが 一緒にカラオケはおろか食事に出かけた方も一人もできませんでした。今更この歳になって 親友なんて作ろうとは思ってもいませんでしたが 一緒にご飯を食べたり遊んだりする友達位は作れるのではないかと期待していましたが 無理でした。老後をのんびりと優雅に暮らせるぐらいの蓄えはほぼ出来つつありますが カーライルのいう所の富は 私には全然持ち合わせていません。自分がいかに貧しい人間であるかを思い知らされるようで 辛い格言です。
最後にもう一つだけカーライルの格言をあげておきます。「理想はわれわれ自身の中にある。同時に、理想の達成を阻むもろもろの障害もまた、われわれ自身の中にある。」この前にあげた人の富である私を愛し祝福してくれるものを一人でも増やすことが 現在の私の理想かもしれません。その為に自分なりに努力はしているつもりですが なかなか難しいのが現実です。友達を作るには自分が心を開いて人と接することが第一歩だとは思いますが 上手く心が開けないから 相手からも心を開いてもらえないのでしょう。例えば年賀状のやり取りをする相手の数も還暦目前にしてほんの五十枚前後しかありません。仕事関係、親せき関係を除いた数は ほんとに情けないぐらいに少ないのです。別に年賀状のやり取りをしているから 本当の友人とは言えないのかもしれませんが 取り敢えずは友人を増やす始めの一歩だと考えて 来年の分の年賀状は 友人関係で住所の分っている人に出してみようと思います。意外な人から年賀状が届いても 不愉快な思いをする人は少ないと思いますから。

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