12月5日 1901年の本日ウォルト・ディズニーさんが生まれました

ディズニーさんの職業欄には映画製作者と記されていました。ディズニーさんが第一次世界大戦に 衛生兵として従軍するほど愛国心の強い人物でした。戦争から戻ると新聞の漫画を描くようになりますが、その仕事がアニメーションへと発展していったのだそうです。アニメーションの会社を設立しますが 紆余曲折ありましたけれども ミッキーマウスと言うキャラクターを生み出してから 順調に仕事を拡大していきました。その為に職業としては映画製作者と表現されているのだろうと思います。
子供の頃に金曜日の夜七時だったか八時だったかから始まるディズニーの番組を凄く楽しみにしていたのを覚えています。実写版で動物を主人公とする物語や ミッキーやドナルドなどのアニメーションが 毎週放送されていました。私はアニメーションにはあまり興味が湧かなくて 動物を登場人物とするドラマの方を楽しみにしていました。当時は動物を主人公とする番組が 他にも「野生の王国」や「サファリ」「名犬ラッシー」等あり それらの番組もとても楽しみにしていました。
子供の時にはディズニーのテレビ番組をよく見た程度で あまりディズニーとは縁のない生活をしていました。岐阜大学に通っている頃に東京にディズニーランドが出来た と言う事はニュースで知りましたが別に自分の生活とは接点がありませんでしたから 全く興味を持っていませんでした。所が奥様がディズニーのキャラクター 特にチップとデールが大好きでしたので 奥様と付き合うようになってから ディズニーと関わりが強くなってきました、
初めてディズニーランドに旅行したのも 勿論奥様のご希望を叶える為でした。私はディズニーランドが 日本のそこここにある遊園地の大規模なものだと想像していました。所が初めてその地に足を踏み入れてから ガラッとその見方が変わってしまいました。ディズニーランド内は いい大人が口に出すのも恥ずかしい表現ですが それこそ夢の中の世界でした。取り敢えずは一旦入園してしまうと 俗世間とは全く一線を画した 夢のような世界にいる気分になれるのです。
最初はアニメのキャラクターが 園内を歩き回ってお客さんに愛想を振りまいているのを見ても 只の着ぐるみ 中には小柄だから多分女性が入っているのだろうなどと 冷めた気分で眺めていました。所が園内をうろついている時に ある意味非常にラッキーだったのでしょうが ミッキーとミニーがスタッフオンリーの扉を開けて登場したのとぶつかりそうになるぐらいの近距離で出会ってしまったのです。奥様は二人とまじかに対面できて舞い上がってしまっていますし 扉を出たばかりの場所でしたから他のお客さんが気づいていませんでしたので ほんの数分間でしたが ミッキーさんとミニーちゃんを独占出来てしまったのです。
さすがに相手はお客さんを喜ばすプロでしたから 私と奥様はすっかり彼らに魅了されてしまいました。しばらくすると周囲のお客さんが気が付いて周囲に人だかりが出来てきましたので 私と奥様はその場を立ち去りましたが それまでは人気のキャラクターであっても 只の着ぐるみとしか思っていませんでしたけれども ミッキーとミニーだけはそのような生き物が現実に存在すると確信してしまいました。その為にディズニーランドが本当に私にとっても夢の国であるように思えました。それ以降は 奥様が希望されることもありましたが 私からの希望としてもディズニーランドへの旅行が 少なくとも年に一回は企画されるようになりました。
ディズニーランドは 単にアトラクションを楽しむだけの遊園地ではなくて パレードを見物したり 劇場で催し物を楽しんだりして キャラクターをコンタクトするのが楽しいのです。一時期は特定のレストランで食事をすると キャラクターたちが各テーブルをあいさつに回って来てくれるので そのレストランの予約をするのに夢中になった時期もありました。現在はネットで事前に予約が取れるようになりましたが 当日の朝からしか予約を受け付けてくれないレストランがありましたから 開演の二時間位前から入園ゲートに並んで開門とともにそのレストランまでひたすら走って予約を取ることに頑張った時代もありました。
それにしてもディズニーランドはどうして年がら年中あんなに混み合っているのでしょうか。私はいつも年明けに確定申告の準備を始めて 約一月でその作業を終えた時に 自分へのご褒美として旅行に出かけることにしています。二月の始めの一番寒い時期ですから 屋外をうろつかなければならないディズニーランドとしては 一番空いているはずの時期なのです。それでも人気のアトラクションに効率的に入ろうとすると 開演の約二時間位前からゲートの前で並ぶ必要があります。その時間帯から並ぶとゲートに並んでいる人の中では殆ど一番乗りが出来ます。但しディズニーホテルに宿泊した客たちはアーリーエントリーでのんびりとやって来ても私たちよりも先に入園を始めますから 非常に不愉快な思いをします。まあディズニーホテルには一度だけ宿泊したことがありますが 宿泊料金が凄く高いうえに チャックインやチャックアウトで 思い切り待たされますから 二度と宿泊しようとは思いませんでした。そんな高い料金を払って宿泊しているのだからしょうがないのかもしれませんが。
開園まじかになると その時間に合わせてホテルを出た奥様と合流します。二人が同時にゲートをくぐりますが 人気のあるアトラクションのスタンバイの行列とファストパスを取るための行列に分かれて並ぶために必死で走ります。但し私は恥ずかしながらいつも途中で息が切れてしまいますから 走っているつもりが早歩きになってしまっていますが 何とか行列の最後尾に辿り着きます。いつも私がスタンバイの列に並んで ファストパスを獲得した奥様と合流します。こんな風に頑張ると何とか午前中に人気のアトラクションを二つ回れます。それからは昼ご飯をどこで食べるかにもよりますが 効率的にファストパスを取ってその時間に合わせて回る順路を考えます。
とにかくディズニーランドは何度出かけても 飽きることが全くありませんから リピーターが続出して何時出かけても満員なのでしょう。しかしここ最近入園料の値上がりが続いています。ここ数年で二千円ぐらい高くなってしまいました。二人で出かけて少なくとも三日間ぐらいは入園しますから その値上がりがかなり響きます。その為にここ二年ほどディズニーランドへの旅行は控えています。いずれ仕事を引退してから 年間パスを購入して 二人でのんびりと訪れて夢のような時間をたっぷりと味わおうと考えていますので これからもしばらくは辛抱しようと考えています。
話がディズニーさんからすっかりそれてしまいましたが ディズニーさんは66歳で肺がんによる肺炎で亡くなられたのだそうです。禁煙を周囲から勧められましたが 全く聞く耳を持たず 晩年はかなりの酒びたりの生活だったのだそうですから 彼なりにストレスをたくさん抱えた晩年だったのかもしれません。只ディズニーランドがオープンするときのスピーチの一節「私はディズニーランドが人々に幸福を与える場所、大人も子供も、共に生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえる様な場所であって欲しいと願っています。」と言う素晴らしい理想は 現在の世界に沢山あるディズニーリゾートで実現されているようですから 幸せな充実した人生だったのだろうと思います。

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