2月26日 フェリーのさんふらわあに乗って大分に出かけました

私の移住先候補地は 本当になかなか定まりません。最初は石垣島から始まりました。兎に角暖かい南の島で 年がら年中ボーっとしたかったからです。ただ私にはキャンピングカーを購入して 狭いとはいえいったことのない所が凄く多い日本中を 旅してまわりたい と言う願望があり この為には 南の島に移住してしまっては かなり不便であると考えて 次に移住先候補地を 本州の中心的な位置にある長野県と静岡県ではどうかと考えました。この両県については 何度か現地を訪れてみて 移住先としてどうなのか 見定めようとしましたが 私の理想とする適度な田舎に そこそこの広さの土地を購入して 静かにのんびり暮らしたいという私の夢が とても叶えられそうにない事が分ってきました。

長野県は スキーやサークルの夏合宿に訪れた事がありましたので 夏でも涼しいというイメージがありましたが 昨年の夏には やはりクーラーが無ければ過ごせない位に暑かったのだそうで 尚更ポイントが下がってしまいました。いったいどこを移住先候補にしたらいいのかと悩んでいたころに ほぼ同時に二人の友人から 大分県を推薦されました。調べてみると 大和ハウスの「森林住宅」と言うのが たまたま大分県の杵築市にありました。資料を取り寄せて 細かく調べてみると かなり私の理想を実現できそうな条件がそろっているように思われますので 本日大分県に向かって出発しました。

病院の仕事を午前中で切り上げて 昼から 夜の食事の分のお弁当を作りました。やっぱり私の旅行には 私の手作り弁当が無くては始まりません。何時ものように鮭とおかかのお握り、玉子焼きと竹輪にキュウリとチーズを詰めたもの、ブロッコーリーとヤングコーンをベーコンで巻いて 焼いたもの、キュウリのスライスにツナ缶とコーンの缶詰ベーコン巻で残ったベーコンを刻んで炒めた物を混ぜたサラダ、デザートにウサギ形に切ったリンゴ 等で一時間ほどで簡単に作りました。

船中二泊の強行軍ですので 着替えも一組だけ用意してカバンに詰めて病院を出発しました。まずは枚方市駅に向かいました。移住の先輩方に渡すお土産を買うためです。お二方紹介してもらう予定でしたが お二方とも関西の出身の方だと伺っていましたので関西人のソウルフードである 蓬莱の豚まんと 御座候を購入する為です。今回朝早くから車で別府港まで迎えに来てくれて 一日べったりと案内や先輩の紹介など お世話になる大和ハウスの方へのお土産も 同じものにしてしまいました。豚まんは 相当に臭いがきついので 大きなゴミ袋に入れて しっかりと括って臭いが洩れないように気をつけましたので 周囲の人たちにそれほど迷惑はかけていなかったように思います。

お土産が用意できたので 本日の目的地である 大阪南港を目指しました。行きは時間に余裕がありましたので した道だけを通るルートで走りました。そんなに混んでいないであろうと思っていましたが 結構混み合っていましたけれども 時間に余裕があったので のんびりと走りました。夕方には南港に到着しましたので そこの駐車場に車を停めました。時間がたっぷりとありましたので 沈んでいく夕日を眺めて のんびりとコーヒーを頂きながら寛ぎました。

ゆっくりと休憩してから ターミナルに行って乗船手続きをしました。今回はさんふらわあの大阪南港と大分別府港を往復する弾丸ツアーと言うものを利用してみました。火曜日の夕方南港を出発すると翌日の水曜日の朝に別府港に到着します。朝から一日タップリと移住候補地の下見をして その夕方には別府港からまたさんふらわあに乗って 木曜日の早朝に南港に戻ってくるという 還暦過ぎた年寄りには かなりの強行日程です。

ただこのツアーを利用すると 火曜日の午後だけ病院をお休みしたら 大分で丸一日活動できて 木曜日の朝から普通に仕事が出来るので 助かりますし、費用が大人一人が往復して一万円と 凄く安上がりなのです。但し安い分寝るスペースは 一人分が幅六十センチしかない部屋での 雑魚寝ですから 混み合っていたりしたら かなり悲惨な状況になりそうなので 心配もしましたが まあ初めての事だし 何事も経験だと考えて 一番安いツアーに参加してみました。勿論料金を加算すれば 独立したベッドにも寝られますし たくさんお金を払えば そこそこの個室も利用できるみたいです。

私の様なデブが幅六十センチの枠に納まりきれるのか心配しておりましたが 受付してもらった時に こんなデブなので 少なくとも両サイドには 人が来ないようにお願いしたら 空いていて余裕があるので心配いりませんとのことで 少し安心しました。乗船時間になりましたので 乗り込みました。かなり歴史のある船の様でしたが 予想していたよりは 奇麗だったので 安心しました。私はお土産を取り敢えずコインロッカーに入れたかったので ロッカーの場所を確認して 行ってみました。混み合う時期だとロッカーの数が少ないので 利用できない事があると聞いていましたが 全然空いていました。

次に用意していった弁当を食べる場所を探してうろつきましたが テーブルとイスが窓際にセットされているスペースが結構ありましたが 全てのテーブルに既に荷物が置いてあり さっさと押さえられてしまっているみたいでしたので 仕方なしに 壁に向かってカウンターとイスのセットされている所で 三人掛けのカウンターに 女の子が一人だけ腰かけていたので 何とかそこに座って弁当を食べられる場所を確保しました。

どうやらこの座って寛いだり 喋ったりできるスペースは 船内でここ二しかないみたいで 早くにテーブルに荷物を置いたものに 占有権が認められるルールがあるみたいなので 次回から利用するときには なるべく早く乗船して この寛ぎスペースを素早く確保することが 楽しく乗船するための初歩的なルールなのだと知りました。仕方がないので カウンターに向って座り 用意してきたお弁当を広げました。暖かい飲み物が必要だと思い カップスープと保温できる水筒に熱湯を用意していきました。

カップに熱湯を注いでから 持参してきたお茶パックを水筒に放り込んで 熱い日本茶も出来上がりました。船内をうろついて分かったことですが あちらこちらに 電子レンジがおいてありましたし 熱湯がいつでももらえる蛇口や ウォータークーラーが 何か所かありましたので 次回からは電子レンジを活用する食品や 熱湯と冷水が無料で手に入るので 上手く利用する手段を考えるべきかもしれません。

カウンターに向って座り 奥さんと私の代わり映えのしない お弁当をつつきました。いつも奥様に怒られるのが 二人では食べ切れない位に量が多すぎる と言う事です。何時もなら お握りを四個ずつ 用意するのですが 本日は三個ずつにしましたので 褒めてもらえるかと思いましたが やっぱり多すぎて 自分が年をとって 自然に食べる量が減少したことを自覚して j次回からは必ずお握りを二個ずつ作るようにしたいと思いました。おかずもワンパターンですが やはり量を加減せねばなりません。品数は減らしたくないので 少量ずつ作るのは これまで以上に配慮が必要でしょうから 難しそうですが 一度ぐらい奥様に褒めてもらいたいので頑張ります。

テレビが傍にある席だったので テレビのニュースを見ながらお弁当を頂きました。南港を出発して 船ですからゆっくりとですが移動するわけなので 民放は直ぐに受信状態が悪くなり まともに映らなくなってきましたから しょうがなくNHKのニュース番組を見ましたが 米朝のトップ会談 しかこれと言ったニュースがないらしくて 同じ内容の報告ばかりで 面白くありませんでした。そうこうしているうちに テレビの真ん前に陣取っていた二十歳前後のカップルが 部屋に戻るらしくて荷物を片付け始めたので 素早くそのテーブルを確保しました。

売店でお菓子と飲み物を仕入れてきて 飲み食いしながら 奥様とおしゃべりしていましたが 十時を回ると 証明が少し暗めになりました。消灯時間なのかもしれません。多少眠たくなってきましたので 自分の寝る部屋の自分の場所の様子を見に行ってみました。一人分の幅が60センチしかないのは分っていましたが 二十人分のスペースに 七八人しか寝ていませんでしたし 私の両サイドは勿論空いているみたいでしたから スペース的には 結構ゆったりと寝られそうでしたが 二人分間隔を空けた右隣のオッチャンが 大鼾をかいていたのには 一寸参りました。

そんな訳で 自分のスペースを確認しましたが 直ぐに横になっても寝られそうになかったので もう少しテレビを見ながら 奥様とダラダラお喋りタイムを継続しました。奥様は女性専用の部屋に自分のスペースを用意してもらいましたが 女性部屋もかなり空いているみたいで 大の字になっても寝られそうだと 喜んでおられました。十二時を回っても その寛ぎスペースは 賑やかなままでした。若い男女のグループがトランプに興じながら 盛り上がっていましたし、オッチャン、オバチャンのグループは お酒を飲みながら ワイワイと賑やかでした。

夜も更けてきて 流石に本格的に眠くなりましたので 奥様と自分のスペースで眠ることにしました。私は恐る恐る自分の部屋を空けましたが 先程大鼾をかいていたオッチャンのいびきのボリュームがだいぶ下がっていたので安心しました。立てに細長い 敷布団を広げて やはり細長い掛布団をかぶり 枕に頭をのせて眠りにつきました。寒くないかと心配していましたが 暖房が十分に効いていたので 周囲の気配は感じましたが 速やかに眠りにつけて 予想以上にぐっすりと快適に眠ることが出来ました。

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