2月6日 実家がゴミ屋敷になってしまっておりました

昨年末に 父が93歳で 亡くなりました。いわゆる老衰ですので それ程苦しむこともなく 安らかに息を引き取ったのだそうですから 大往生と申し上げていいのかもしれません。正直な気持ち 年齢が年齢でしたから来るべきものが来てしまった と言うように 割と淡々とこの出来事を受け入れられましたので 悲しみの気持ちで極端に落ち込んだり 涙が止まらない といった現象は起こりませんでした。私は長男として 勿論生まれて初めての 喪主として通夜から葬式などの儀式を経験しましたが 慌ただしくしなければならないことを こなしているうちに過ぎてしまった と言うのが本音かもしれません。
このブログには何度も書いておりますが 昨年の春に父が家の中で転倒して 起き上がれない状態で恐らく一晩を過ごして 瀕死の状態で発見されて 緊急入院しました。これまでも 私と妹は 散々キチンと面倒をみてもらえる施設への入所を説得しておりましたが 頑として受け付けず 実家で十年以上も一人暮らしを続けておりました。只 さすがにその時の転倒事故を経験して 父の気持ちにも変化が生じたみたいで 入院中に説得に応じて 退院時に同時に その類の施設への入所を決心してくれました。とはいえ 入所したその時に 施設庁さんに対して 自分は一日も早く実家へ帰るつもりだ 等と宣言するぐらいですから 最後も出面倒をみてもらおうというような気持は全くなかったように思います。
そんな事情で 実家が空き家になりましたので 長男として 取り敢えずは 大切な物 例えば実印を含めての印鑑や 通帳 保険などの証券の類などのありかを 父に尋ねましたが 自分が実家へ帰れば すぐにそのありかを説明できるが 口では上手く説明できない 等と誤魔化します。その頃には 父の認知症が思っていたよりもずっと重症になっていることに ようやく気付いておりましたので 実際には 殆どどこに何が閉まってあるのか把握できていないことは 分かっておりましたが 本人が全てきちんと管理してある と言い張りましたので コロナの流行が始まっている時期でしたから なかなか施設からの外出許可がおりない中 何とか外出させて 実家へ連れ帰り 諸々の大切なもののありかを尋ねましたが 案の定 殆どどこに何があるのか 分かっておりませんでした。
何しろ 家の中に 荷物が溢れかえった状態で とてもどこに何があるのか 分かるはずがない位でしたし 私の目から見れば ゴミにしか見えないものが 山積みされている状態でした。父の趣味は 油絵を描く事でしたので 数十年にわたって 書き溜めたキャンパスや額縁だけでも六畳の部屋がすべて埋まってしまう位に散乱しておりました。それらが 無秩序に壁や廊下 タンスなどに立てかけて置いてありましたので 歩くのも タンスの引き出しの中を確認することも 凄く難しい状態でした。私は 取り敢えずこのゴミ屋敷を 少しでも歩きやすく どこに何があるのか 分かり易くするためには 取り敢えずは 雑然と立てかけてあるキャンパスを処分することから 始めたいと 父に言いましたが 当然父は猛反発して それらのキャンパスこそが自分の人生の軌跡だから と少なくとも自分が生きているうちは 一枚も処分されることを強く拒否しました。
現実的に 父が実家へ帰るk農政はありませんが 何かの理由でごく短時間でも 一時的に実家へ戻る可能性はありましたので 敢えてキャンパスの処分はしないでおきました。ただそのために実家のごみ処理が なかなかスムーズには進みませんでしたが 出来る範囲で少しずつ ゴミを処分していっておりました。ただタンスや食器棚 冷蔵庫などの大型家具についてはごみ処理の業者さんにお願いするしかしょうがないので 幾つかの業者さんに見積もりをしてもらい お願いするしかなさそうです。キャンパスは何とか自分たちで処理する方向に頑張りますが その他のごみをまとめてお願いすると ほぼ予想通りの金額でしたが 数十万円はかかりそうです。
父は ちゃんとしていたころは かなりのきれい好きであり 几帳面な性格なので 実家へ帰るといつでもきちんと片付いておりました。所が ここ十年ぐらいの間に 急激にゴミ屋敷に変貌していきましたから その時点で 父がすでに一人で暮らしていくことが難しい状況であることに 私がもっと早く気付くべきだったのでしょうが 何しろ父が死ぬ間際まで 口だけは達者で 何でも一人前にできるような口ぶりで話すので ついその判断を誤ってしまったようです。
ボケてしまっていた 父を一人暮らしさせたがために 最後の十年ぐらいで 株式への投資で数千万円を失い その損失を何とか取り返そうと焦っていた所を詐欺グループに見透かされたみたいで 何と同じ詐欺グループに二度も引っかかって 更に数千万円を失うという 非常にもったいなくて残念な 行動をとらせてしまいました。私は 心臓病と糖尿病と言う二つの不治の病を抱えておりますので とても八十歳までは生きられないだろうと覚悟しておりますので 人生の晩年であまり見苦しい生き方はしないで済むように思っております。超しっかり者の奥様が傍についていてくださるので その辺りは大いに安心しております。
私の人生は それ程見栄えの良いものではございませんでしたので せめて散り際位は鮮やかにしたいと考えております。

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