2月9日 1881年の本日ドストエフスキーが私と同じ59歳で亡くなりました

ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだのは 立命館大学に通っていた二年生の時だったと思います。大学生活にも慣れて 何となくのんべんだらりんと過ごす日々に 危機感を感じて 取り敢えず小難しそうな小説にチャレンジしてみました。最初はトルストイの「戦争と平和」に取り組んでみましたが 登場人物の名前がロシア人なので 長ったらしくて 全然馴染が無いので なかなか覚えられなくて 何度読んでもストーリーが頭の中に入って来なくて 諦めました。

あんなに登場人物が多くて 人物関係もややこしくて その上各々の名前が長ったらしくて覚えにくい 小説を最後まで読み通せる人などいないと 当時は思っていました。続いてチャレンジしたのが 同じロシアの作家 ドストエフスキーの「罪と罰」でした。同じく長ったらしい名前には手こずりましたが まだ登場人物の数が少なかったので 何とか読み進めることが出来ました。

ただ ロシア人の特有の感情かもしれないのですが その心情にはなかなか理解しがたいものがあったように感じて なかなか読んでいても共感を持てませんでした。ただ当時の友人たちに 最近読んだ小説は「罪と罰」というと 幾分優越感に浸れましたから 何とか最後まで読み通せました。

ただ 取り敢えずは読み終わりましたが ドストエフスキーがこの小説で何を訴えたかったのかはほとんど理解できていなかったように思います。人間だれしも取り返しのつかないような大きな過ちを犯してしまう事は ありがちなことだと思いますし、その罪の意識にさいなまれるのは当然のことのようにも思います。

罪の意識が強すぎて 自殺を考えるのも 何となくは理解できますが この物語の主人公は 結局は自殺を思いとどまり 警察に自首して物語が終わっています。長編の小説ですから 主人公の人生にはかなりの紆余曲折がありますが 結局は罪を犯してしまい 自責の念に駆られて 自殺まで考えますが 結局は自首する と言うある意味平凡な結末を迎えていますから 私の様に感受性の鈍い人間には 通り一遍で当たり前の出来事のように思われて 心に印象的に残るものも 突き刺さることもありませんでした。

しかし、この「罪と罰」と言えば ドストエフスキーの代表作として 名前が残っているわけですから 読むべき人が読めば 感動できる小説なのだと思います。何にしても 私の年齢で亡くなられた方が残した小説が 亡くなられて百年以上たっても 語り継がれ 書物として存在しているわけですから 作家としては大変大きな仕事を成し遂げられたのだと思います。

そんな立派な作家さんと自分の人生を比較すること自体がおこがましい事であるのは重々承知しているつもりですが 人類の歴史に全く何の足跡も残せていない私の人生が 何とも寂しくて味気のないものに感じてしまいます。

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