3月3日 桃の節句 ひな祭りの日です

桃の節句の行事は平安時代から貴族社会で行われていたのだそうです。季節の節目に自分の穢れや厄を紙で作ったひな人形に引き受けさせて川に流したいわゆる流しびなからひな祭りは始まったみたいです。その後ひな人形は豪華になり流す習慣はなくなったのだそうです。うちにも二つ年下の妹がいますので ミニチュアの手のひらサイズのひな人形がありました。それこそ箪笥の上に置ける位のガラスケースに収まる大きさのもので それなりによくできていて可愛らしかったと記憶しています。当時我が家は2DKの団地住まいでしたから まあ分相応でしょうがないのかなあと思っていました。

当時団地の隣の建物に同級生の女の子が住んでいました。小学生でしたから同級生とはいえ 女の子なので殆ど口をきいたこともありませんでした。所が 困ったことに結構親同士が仲が良くて その子のうちには立派なお雛様があるという事でひな祭りに妹と一緒に参加させられることになってしまいました。当時我が家ではちゃんとした雛人形もない位なので ひな祭りなど一切無関係でした。ひな祭りに参加するというのはどのような事なのかさっぱり見当もつきませんでした。ただ女の子が主役のお祭りだという事は何となく予測されましたから 嫌な予感はしていました。

指定された時間に約束に送れるのは当時から嫌いだったので きっちりとその女の子の家に到着しました。同じ団地のの也の建物ですから ほんの数分で着いてしまいます。大体 同じ団地の隣の建物ですから 同じ広さ、同じ間取りのはずです。うちには置けないものが何故その女の子の家にはおけるのか納得がいきませんでした。案内されて部屋に入るとそのひな人形の大きさにびっくりしました。六畳の部屋の三分の一位を占領しています。一番大きなお雛様なんて子供が一人で抱えるのが大変な位の大きさでした。その女の子のおばあちゃんが大奮発して 孫の為に買ってくれたのだそうです。

部屋に座って 暫く待たされていると 同級生の他の女の子が数人やってきました。そして嫌な予感は的中して なんと男は私一人でした。大人になってからならそんな環境は嬉しい限りですが まだ小学生で女の子と一日同じ教室にいても 一言も口をきかないのが普通の生活をしていましたから 針のむしろに座らされている気分でした。

別にお祭りと言っても小学生の集まりですから 甘酒を飲んだり、雛あられやケーキを食べてくだらない事を喋るぐらいのものですが 女の子ばかりの中でポツンと座らされている私は 普段は結構喋る方ですが 一言も発しませんでした。ただただこの地獄のような時間が早く終わってくれるのを待つばかりでした。妹は立派なお雛様にまず見惚れて 出されたお菓子を美味しくいただき 女の子同士のお喋りにも積極的に参加して凄く楽しんでいましたが 私は早く家へ帰りたい一心でした。

やっとお開きになり帰ろうと玄関で靴を履いている時に 普段からむかつくことを言う女の子が「林君、今日は静かだったわね。教室でも今日ぐらい静かにしててよね。」と憎たらしい事を言われましたが さすがに言い返す元気はありませんでした。気力を振り絞って家に帰り着くと母親に「二度とひな祭りには行かない」と宣言するのがやっとでした。

それ以来ひな祭りと名のつく行事には一切参加したことがありません。ちなみに妹がうちにあるミニチュアサイズのひな人形ではなくてもっと大きな雛人形を欲しがるようになりました。それが理由ではないのかもしれませんが 母親も次の年からはひな祭りに参加することをすすめたりしなくなりました。

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