3月6日 句会に参加できました

現在コロナウィルス感染症の影響で 人が集まる機会を極力控える傾向にあります。その為 私の現在の一番の趣味である俳句同好会の 月に一度の集まりが 毎月第二水曜日のお昼にあるのですが 今月の句会は中止されることに決まりました。句会とは このブログでは何度も説明しておりますが 同好会のメンバーが 会議室のようなスペースに 十人前後が集合して 各自が自作の俳句を持ち寄り 披露しあい お互いに批評したり 褒めあったりして 楽しむ数時間の集いの場です。三人掛けぐらいの机を口の字に並べて 向かい合って座り 数時間語り合います。私が一番若手な位ですから 平均年齢はかなり高めですが 皆さんとてもお元気ですし 俳句で常に頭を使っているからでしょうが 活発な意見の交換があり 楽しいひと時が過ごせます。
まあ同好会の責任者の方としては 枚方市から一人目の感染者が確認された時期だったからかもしれませんが 万が一句会が感染の原因となることを 心配されたのでしょうが 直ぐに今月の句会の中止を決められたみたいで その旨がメールで伝えられました。会員にすれば 月に一度の楽しみが なくなってしまったのですから 私としてはとても残念に思っておりました。すると今朝 同好会の交野支部みたいな集まりの責任者の方から メールが入り 交野支部での句会は 本日開催予定なので 発表したい句のある方は 参加してほしいとの お誘いが入りました。
俳句を何のために作っているのかと 問われれば 多分自己満足のためかもしれません。いくらたくさん上手な俳句を作っても 一銭のお金にもならないことだけは 間違いありません。日々の生活の中で 嬉しかったことや 悲しかった場面 気持ちが動いた瞬間を切り取って 季語を含んだ十七文字で表現するのが 俳句というごく短い文学だと思っております。ただ私は 俳句の初心者ですので 季語の知識が殆どございません。ですから生活の中で感動したことを 俳句にしようとしても その場面にマッチする季語を当てはめることができません。
それで現在私が行っている俳句作りの手順は 本来日々の生活ありきでの俳句作りが 正道であることは間違いないのでしょうが まずは歳時記を見て 季語の勉強から始まっております。いつもネットで利用している歳時記の場合 現在なら例えば春の季語が ずらっと羅列してあります。私は 不勉強なので まずは漢字の読み方がわからないものが多々あります。とりあえずは その季語をクリックすると 読み方が ひらがなで表記されています。そしてその季語の意味合いを分かり易く説明してくれています。更には その季語を用いた俳句が 幾つか 例句として 挙げてくれています。
そんな風に 全く知らなかった 季語を少しずつ覚えていこうと思っておりますが 既に還暦を過ぎたジジイですから なかなか知識量が順調に増えていってはくれておりません。只 季語の説明文を読んで そういえば自分が過去に体験した 場面に上手くマッチする状況があったなあ というときがあります。そんなときには その季語と その場面の描写で 上手く十七文字がはまってくれた場合に 何とか俳句らしき文章が 出来上がってくれるわけです。まずは季語ありきの俳句なんて 邪道だとは分かっておりますが 文学的な素養が全くない私としては 現在の所は こんな情けない作り方しかできませんので この方法で俳句作りに励んでおります。
そんなわけで この一月も暇があれば俳句作りに勤しみましたので 十句ばかりの俳句が 手元に出来上がっておりました。ただしこの同好会の句会のルールとしては 一人が五つまでというルールがありますので 何とか五つに絞りました。私としては どの句も作るときには 全力で気持ちを込めて 言葉を探し求めて 作っておりますので すべて可愛いわが子のような存在なのです。今回の句会で外した句が 来月発表される場合もありますが 大抵はお蔵入りになってしまいます。とりあえず句会に提出した句については 参加者の皆さんの琴線に触れることができて 選ばれることがあります。選ばれたら その句について 選んでいただいた方から 気に入っていただけた理由や 魅力を感じたポイントを説明してもらえます。誰からも選んでもらえなかった句についても 最後にその句の作者が明らかにされて その句を作った時の場面や気持ちについて 説明する機会が与えられる場合もありますし その句についての批評やアドバイスを頂戴できたりもします。
けれどもお蔵入りしてしまった俳句については 自分としては 上手いこと自分の気持ちが表現できたように思っておりますが 他人が読むと全然その気持ちが伝わっていない場合も少なくありませんので その辺りの評価を下していただきたいのですが 結局は自己満足で終わってしまうのが関の山です。まあ最初に書きましたように 初戦俳句作りなんて自己満足のためにやっているようなものですから お蔵入りしても自分の俳句として大切にしていけばそれでいいのでしょうが やはり自己顕示欲というか人に認められたい浅ましい欲望が ありますので どうしても発表の場を求めてしまいます。勿論勇んで発表してみても 誰からも選んでもらえなくて 自己嫌悪に陥るだけの句会を何度か経験しました。ただその悔しさをバネにして より俳句作りに邁進していけばいいのだと思っております。
結果的に 本日の句会では 五つ提出して 二つの俳句を選んでいただけました。本日は 出席者が七人でしたが 投句 つまり俳句の提出だけした方が五人もいましたので 提出された俳句は 六十句もありましたが 気に入った俳句は一人五つ選びますから 七人で三十五句ですから 普段よりも競争率がかなり高かったのですが 二つの俳句を選んでもらえましたから 私としては上出来だったように思います。この句会には 指導してくださる先生が 東京在住ですがいらっしゃいます。時々 その先生の俳句も五つ提出されて みんなの俳句と同列に並べられて 発表されることがあります。一応俳句のプロの先生ですから 俳句作りの技術についてや 俳句の歴史や 現在の日本の俳句会の流れについては 数段素人の私たちよりも優っておられるはずです。
ですが 先生の俳句だからと言って みんなの投票が集中することは 殆どありません。どうも先生の俳句は 技術的には高いのかもしれませんが 理解しづらくて あまり参加者の気持ちを引き付ける力はないのかもしれません。ですから 選ばれた俳句が 上手だという事は 言えないのかもしれませんが やっぱり参加者の気持ちを掴めたのですから 作者としてはとっても嬉しいものです。ひょっとしたら 私が俳句作りにはまっているのは 拙い自分の俳句でも 運よくどなたかの感性に響けば 選んでもらえることに 引き寄せられているのかもしれません。私は俳句作りで 邪道を歩んでいるだけではなくて 俳句を純粋に愛する気持ちにも不純な動機があるようですが でも現在の私の一番の関心事が 自分の納得のいく俳句を作ることであるのは 間違いありませんから 当分はせっせと俳句作りを頑張りますので よろしくお願いいたします。  

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