3月9日 1894年の本日に日本で初めて記念切手が発行されたのだそうです

それで本日を記念切手記念日と言うのだそうです。明治天皇ご夫妻の御成婚25周年を記念しての切手だったそうです。このブログで だいぶ前に小学生の頃記念切手の収集が趣味であったことを書いたことがあると思います。小学生の頃の微かな思い出をかき集めますので その時と殆ど同じような内容になってしまうのかもしれませんが お許しください。小学生の頃 私は香里団地の三丁目に住んでいました。2DKのアパートで 両親と妹と四人で生活していました。今考えるとプライベートなんて全くなくて 信じられませんが 当時はそんな住宅事情の家族が当たり前のような時代でした。
通っていたのは 枚方市立開成小学校と言いました。私が入学した時の一年生は四クラスでしたが 二つ下の妹が入学した時には 一年生が確か七クラスに増えていました。その後もクラス数が増え続けましたから 恐らく教室数が足りなくなってしまったのだと思いますが 三年生の時には 運動場に建てられたパイプ教室で授業を受けていました。五年生になった時には 新校舎が完成して コンクリートの臭いのするピカピカの教室に入れたのが嬉しかったように記憶しています。その後もクラスが増え続けたみたいで 五年生の時に近所に新しく小学校が出来て分裂しましたし、私たちが卒業した春からも別の小学校が出来て分裂したみたいでした。
私たちはいわゆる団塊の世代よりも少し下の世代ですが とにかく当時も枚方市の人口はすごい勢いで増え続けていたのだと思います。但し確か一つ目の大学に通っていたころに たまたま小学校の近所に出かけましたから 懐かしくなって開成小学校を訪れてみました。その時に驚いたのですが クラス名を表示されていない 要は普段使われていない教室が少なからずありました。私が一年一組で授業を受けていた 一番手前の教室は 図工室と表示されていて 図工に使う道具が並べて置いてありました。その時の一年から六年までのクラス数は確認できませんでしたが かなり少ないのだろうと思いました。私たちが住んでいたころに比べると 団地も建て直されて 凄く立派になっていました。恐らく家賃もかなり高くなってしまい 小さな子供のいる家庭では 住みにくくなってしまい 子供の数が減少してしまったのかもしれません。
話が大分 横道にそれてしまいましたが 私が一番熱心に切手収集をしていたのは 多分小学校四年生の頃だと思います。私の家は 勿論団地に住んでいるくらいですから お金持ちではありませんが それほど貧乏な家庭だとも思っていませんでした。只父親が無駄遣いなど一切しない性格でしたから 月々にもらう小遣いも四年生だったら 四百円ぐらいだったと思います。一月分の小遣い400円を握りしめて 自転車で三十分くらいかかって 京阪電車の香里園の駅の近くのワルツ堂と言うお店まで 記念切手を買いに出かけていました。額面で二十円から五十円ぐらいの記念切手が 勿論既にプレミアムがついていますから 百五十円から二百円ぐらいしますから 大抵二枚しか買えませんでしたが 月に二枚ずつ記念切手が切手ブックに増えていくのが生きがいであった頃がしばらく続きました。
お年玉付きの年賀状の末等の商品が その年の干支の描かれた四枚つづりの記念切手でした。集め始めた最初の頃の額面は七円でしたが しばらくしたら十円に変化しました。更にしばらくすると十五円に上がりました。ハガキ代に匹敵する額面だったのだと思いますが 徐々に郵便料金が値上がりするのが実感できて興味深く思いました。私の分の年賀状は僅かでしたが 父が几帳面だったのか 父の年代では普通だったのか分りませんが 毎年数百枚も年賀状をやり取りしていましたので お年玉の商品の記念切手も毎年十枚以上当たっていましたので 大喜びで郵便局に受け取りに出かけていました。
ある日 学校から帰ってきたときに切手ブックの置いてある場所がいつもと違っていたので 不審に思って開いてみると なんとお年玉年賀状の賞品の記念切手が 殆ど全てシートから切り取られてバラバラに切り離されていました。この記念切手は 四枚つづりでシートに納まっているからこそ値打があるのです。勿論その切手自体が記念切手ですからプレミアはつきますが シートから切り離してしまうと全体としての価値が凄く小さくなってしまうのです。
犯人は妹でした。切手ですからシートに収まっている状態で穴が開いていて簡単に切り離すことが出来ます。妹は興味本位で 普通の切手の様にその殆ど全てを分離してしまったのです。小学生でしたから 私は怒りにまかせて 妹をどつきまわしてやりました。妹の浅はかな行動のために せっかく所有していた記念切手の価値を大幅に失ってしまったのです。まあもとはと言えば 父に届いた年賀状の当たりくじを私が郵便局に持って行ったわけで 本来の所有者は父であったのかもしれませんから 私が妹に暴力をふるったことは間違いだったのかもしれませんが 私が保管している切手ブックから 勝手に取り出して切り離してしまうのなら せめて私の許可を求めてからやるべきではなかったのでしょうか。
当時記念切手の収集が一般の大人も子供も結構夢中になっていました。郵便局に行くと いつどのような記念切手が発売されるか予告されていましたから その日は郵便局が開く前から結構長い行列が出来ていました。郵便局としては 少しでも多くの人に行き渡るように 一度目の窓口では 切手シートの半分だけ売ってくれました。そのシートの半分を受け取ってもう一度行列に並んで二回目に窓口に辿り着くと最初にもらった半分を返却してやっと一シートを購入できました。現在は 記念切手を求めて行列が出来ることも全然ないみたいで 普通に郵便局に切手を購入するときに 局員さんから通常切手にしますか それとも記念切手にしますか と質問されます。昔記念切手の行列に参加したものとしては 若干の寂しさを感じてしまいます。
その頃私は既に発売されている記念切手を一枚ずつ増やしていくのに必死でしたから そんな新しい記念切手をシートで購入するだけの経済力がありませんでした。そんな残念そうな私を見かねて 母が新しく発売される記念切手を購入してくれるようになりました。勿論発売日に購入すれば額面の金額で購入できますが 一シートを入手するのには結構面倒な手続きが必要でした。そこで 私が母の代わりに 郵便局に出かけて購入するための行動を代行しました。そんな風に郵便局に並んで記念切手をシート買いする時期が何年か続きましたが 小学生の子供が一時的に夢中になる事ですから いつの間にかその熱が冷めてしまい その切手ブックやシートホルダーの存在すら忘れてしまっていました。
もう数十年も前の事ですから ひょっとしたら保管状態が悪くて カビが生えたりして 傷んでしまっているのかもしれませんが もし無事に保管されていれば 数十万円の価値はあるはずですから 今度実家に帰った時に 二階の本棚を探してみようと思います。もし見つかれば 金銭的な価値もありがたいですが 子供の頃に夢中になって集めた切手に対する 思い出がよみがえってくれるかもしれません。金銭的に価値があるものであることは 一目瞭然ですから うっかりと捨ててしまう事は ありえないとは思いますが 何かの機会に誰かに処分されてしまっているのかもしれません。もう長い事 実家の二階の自分の部屋に入っていませんので 次回実家を訪問した時に 切手ブックの捜索をしてみつかるといいのですが 何しろ数十年忘れていた代物ですから 難しいかもしれませんね。

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