5月30日 1868年の本日 沖田総司が25歳で亡くなりました

明治維新の時期の 幕府側の数少ないスターの一人と言えるのかもしれません。私たちは後世になってから振り返りますから 長く続いた江戸幕府が倒れ 新政府が出来上がるのは当然の流れと思ってしまいます。当時は尊王の気持ちと攘夷の気持ちは 日本人としては持っていても当然なのかもしれませんけれども 倒幕の思想が新撰組の人たちにとって 現実的ではなかったのも致し方の無かったことかもしれません。

江戸の片隅でくすぶっていたのが 浪士隊結成と言う機会に遭遇し上洛して 運よく会津藩の後ろ盾を得て 新撰組の一番隊組長となりました。上洛する機会がなければ 単に田舎の剣の達人で一生を終えていたのかもしれません。新撰組は幕府に敵対する勢力を排除するために結成されましたから その目的に従って 優秀な剣士として仕事に励んでいたのだそうです。

テレビドラマや映画では 若くて明るい性格で剣の達人であり 早くに病死する いかにも女性の喜びそうなキャラクターですから 若くて男前の俳優さんが演じられることが多いようです。まあ実際には 残されている資料によると それほど男前ではなかったようです。後世にまで かなり良いイメージで名前が残っているのですから 若くして亡くなられた割には 羨ましい存在ではありますが その生き方は自分で選んだものかと言うと 若干疑問です。九歳の時から 近藤勇の道場である 試衛館に入門して その道場全体で 浪士組に参加するべく上洛しました。自然の流れで 新撰組の一番隊組長を務めるようになりましたから 勿論本人の意思で上洛し 組長を務めたのでしょうが 確固たる信念があって そのような道を選んだのかどうかはよく分りません。

剣の達人が集まった新撰組でも その技量は一番であったろうと言われていますから 天賦の才に恵まれていたのかもしれません。ただ若くして結核と言う当時としては不治の病に侵されましたので 残念ながら短命に終わられました。幕末と言う 世の中の変革が日本の歴史的にも 一番の激動期でしたから どのような形で近代の日本が出来上がっていくのかを 見定めるぐらいまでは生きていたかったのではないでしょうか。

新撰組と言う 消滅していく徳川幕府を支えるべく結成された組織で 懸命に生きた方でしたが 剣士としては病に倒れるのではなくて 戦場での死を望まれたのかもしれません。あまりに短すぎた人生でしたけれども 人気のあるキャラクターとして名を残したことは見方によっては 幸せだったのかもしれませんが 自分の事としては似たような人生は 到底望めません。どうぞ安らかにお眠り下さい。

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