5月4日  本日は田中角栄さんのお誕生日です

田中角栄さんと言えば 現在はどのようなイメージが一般的なのでしょうか。私が最初にこの方の名前を耳にしたのは子供の頃から総理大臣と言えばずっと佐藤栄作さんが超長期政権を築いておられましたから その後継者として「三角大福」と言われた四人の政治家のなかの お一人だった時です。

結局この四人とも後に総理大臣を経験されるわけですが 私はまだ中学生の子供でしたから 中卒の身分で総理大臣候補にまで登り詰めて 今太閤 と呼ばれていた角栄さんを 応援していました。三木さん、福田さん、大平さんが名字なのになぜ角栄さんだけが下の名前で呼ばれているのか 不思議でしたが そのだみ声でのエネルギッシュな演説は 相当にインパクトがありました。

結局その四人の自民党総裁選に 角栄さんが勝ち抜いて 総理大臣になられましたが その持論である「日本列島改造論」は一世を風靡しました。まあ、後になって狂乱物価の根源としてみなされてしまいましたが 当時はきっとその時は明るい日本の未来を作ってくれる政治家として 相当な支持率と人気があったように思います。

角栄さんが中卒で 党人派のたたき上げであった為に 官僚出身の佐藤さんに嫌われていましたが 総理大臣になってからは 巧みに官僚出身の政治家も掌握していったために 巨大な田中派 というグループが組織されました。中卒の学歴しかないけれど 高学歴の官僚たちを上手くコントロールして使いこなす手腕と 強引過ぎたかもしれない実行力によって「コンピューター付ブルドーザー」と呼ばれていた頃には 国民の支持を大いに集めていたように思います。

所が金脈政治の実体が徐々に明らかになり 「ロッキード事件」でついには逮捕されてしまいましたから さすがに国民も呆れてしまいました。しかし地元での支持は鉄板のように固くて 獄中で行われた選挙でさえ 当選してしまうぐらいの勢いでした。

娘の真紀子さんも後に外務大臣を務め 小泉首相実現のサポート役としても有名になった政治家さんですが 私は真紀子さんは女性ですから致し方ないのかもしれませんが 何となく頼りなくて好きにはなれませんでした。夫の直紀さんは もっと頼りなさそうで 更に好きではありません。

田中派は親分が不在になってからも 増殖して成長を続けたように思います。番頭格の金丸さんが かなり長い間首相よりも一段高いところにいる政界のボス役を演じていましたし 筆頭手代の竹下さんは首相として消費税導入という後世に残る仕事をしました。竹下派七奉行と言われた人物からも 橋本さんや小渕さん、羽田さんといったのちに首相になる人物が続出しました。私が政治家で一番好きな人物 小沢一郎さんも奉行の一人でした。

角栄さんの人生の最後の方は 獄中生活になってしまいましたから 幸せな人生とは言い難いのかもしれませんが 政治家を目指した以上は 総理大臣のいすに座るのが究極の夢でしょうから その夢を実現できただけでも 充実感に満ちた人生だったのではないでしょうか。私は 自分の事で精一杯で、他の人々の幸福について考える余裕など 全くありませんでしたが 次に生まれ変わるとしたら 政治家を志すくらいの意識の高い人間になりたいと思っています。

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