5月4日 衣替えをしました

今年もまたゴールデンウィーク中に衣替えをしました。このブログで何度も書いていますが 私の日常の服装は 寒い時のものと 暑い時のものと ツーパターンしかありません。下半身は ジーパンに素足にサンダル で年がら年中変わりませんん。上半身が夏は下着用の半そでシャツの上に 半袖のポロシャツを着ます。冬は その上からトレーナーを重ね着します。つまり私の衣替えとは 前日まで着用していたトレーナーを 脱いだだけの事です。
私だって 中高生の頃には 自分の外見に既にコンプレックスは感じていましたが それなりに着るものにこだわったことがありました、当時はベルボトムと言われていましたが 裾の広がったジーパンを履いていました。 とは言っても当時から勿論短足でしたから 肝心の広がった裾の部分をカットせざるを得ないという悲しい現実には打ちのめされていました。そのジーパンも普通のブルーはありきたりに感じていましたので わざわざ部分的にブリーチアウトした今考えると へんてこりんなまだら模様のズポンを喜んで履いていました。更には ベージュやグリーン等の色のものを わざわざ選んで 他人とは違うという自己主張をしていたような気がします。やはり若いので 目立ちたいという願望があったのでしょう。一つ目の大学時代も似たような何となくだらしないような服装でいたように思います。
私の服装が一変したのは 当然かもしれませんが ほんの数年間で終わりましたけれど サラリーマン生活をしていた時期でした。塩野義製薬 と言うきちんとした会社でしたから 仕事中はきちんとしたスーツ姿が義務付けられていました。毎日スーツにネクタイで生活していましたから 私の様なだらしのない人間でも いつの間にかきちんとした服装が身についてしまっていました。休日に遊びに行くときでも さすがにスーツは着ませんが ブレザーにネクタイ 折り目のきちんとついたスラックスを履いていました。今考えると信じられません。
会社勤めを辞めて 浪人生活から再び学生に戻った時には その反動が出たのかもしれません。岐阜大学の近所に下宿していましたから 通学やバイトは自転車でした。バイトは塾の先生が主でしたので さすがにその時は 普通にズボンとシャツを着用していましたが 大学で授業を受けるときは トレーナーにジャージと言う姿が殆どでした。六年間でネクタイを締めたのは 卒論の発表会の時と サークルの演奏会の時だけでした。だらしのない私が思い返しても 本当にだらしのない生活をしていたと痛感します。
二つ目の大学を卒業して病院で研修している間は お仕着せの白衣を着用していました。しかし自分の病院を開業してからは 白衣は必要以上に動物に警戒心を煽るので望ましくない と言う意見に従って ジーパンにポロシャツ 若しくはトレーナーと言う服装に落ち着きました。この服装が一番安上がりだし 楽ちんなので 恐らく老後も似たような服装になると思います。南の島でのんびりするつもりなので コートやジャンパーと言った防寒具とは 縁のない生活になるだろうと思います。
私は洒落っ気がぜんぜんないじんせいでしたから 服装やお洒落にすごく気を使う方々の気持ちは理解できませんが 現在は価格の安い服装ですが きちんと洗濯して 出来るだけ清潔な服装をするようにだけは心掛けています。勿論年齢的には 加齢臭が立ち込めているのだと思いますが毎日お風呂にしっかりと浸かって あまり体臭で周囲の人たちに 迷惑をかけないように心掛けているつもりです。でも子供の頃に感じていた お爺ちゃんの臭いは撒き散らしているのでしょう。

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