5月7日 仕事について考えてみました

大勢いる人間には たまに仕事や勉強にやりがいや達成感があるから好きだ 等と胡散臭い事を言う輩がいます。私は正直申し上げて 子供の頃から勉強も大人になってから就いた仕事も大嫌いでした。子供の頃 勉強はそこそこ頑張ったつもりはあります。中学までは 大して頑張らなくても殆ど上位一割ぐらいの成績でした。人間というものは 他人よりも下に位置するよりも上にいる方が気持ちがいいのは間違いありませんから それなりに満足感はありましたので 最低限度自分の希望がとおる程度には嫌々ながら頑張りました。
高校受験の時も 一応学区のトップ校に受かる程度の成績でしたので 志望校も簡単に決まり 受験してすんなり合格できました。但し高校に入ってからは 自分の成績 と言うよりも能力について かなりショックを受けました。つまりそれまでクラスで一番か二番の者ばかりが集まった高校でしたから テストで平均点を取るのに初めて四苦八苦したのです。気を抜いていればあっと言う間に落ちこぼれになりそうな状況でしたから 自分なりに勉強に本腰を入れました。自分としては ほぼベストを尽くしたのに 成績上位にはなれませんでした。世の中には 賢い人間が少なからずいる事と 自分の能力がそれほど高くないことを 痛感させられました。
それまでは幾らか頑張れば 直ぐに自分は優秀なのかなと感じられる成績が収められていたのに 頑張っても平均点がやっと と言う自分の不甲斐無さに もともと好きではなかった勉強と言うものが はっきりと嫌いになってしまいました。嫌々ながら継続する勉強でいい結果が出る訳はなくて 結局進学できた大学は 立命館大学の理工学部でした。勿論立命館大学自体は それなりの実績と伝統のある立派な大学だとは思いますが 人に胸を張って自慢できるような学歴であるとは思えませんでした。
進学したのが理工学部の化学科という所でしたが ここもまた自分が本来望んでいた学科とは異なりましたから 授業を積極的に受けて 化学に関する知識を身に着けよう 等と言う姿勢は全くなくて ただ卒業するために必要な単位を取得したに過ぎませんでした。その為に 大学で学んだことを活かせる職業にもつけませんでした。人並みに就職活動をして最終的には 塩野義製薬と言う会社の営業職に落ち着きました。
塩野義製薬と言うのは それなりの業績をあげていて 知名度もあるし 給料などの待遇も申し分のない 私の様な仕事をやる気もあまりない人間には 勿体無いような立派な会社でした。製薬会社の営業職と言うのは 要するに医者相手の営業ですから 肉体的にも精神的にも 非常に辛い仕事でした。同じ部署の先輩方は 相当に癖の強い個性的な方ばかりでしたが 自分の仕事に誇りを持って 真剣に取り組まれていたのだと思います。
私は半人前の仕事すらできない 一番下っ端のペーペーでしたから 当然かもしれませんが 仕事にやりがいなど一切感じられませんでした。私が塩野義製薬に在籍していたのは 三十年以上も前の話ですから 現在は存在しないのかもしれませんが 担当する医者との対話を報告書にして提出することが義務付けられていました。その報告書は 勿論事例としては 実在の患者さんに処方された塩野義の薬の効果について確認した対話を簡潔にまとめた報告書 と言う形になっていましたが 現実の話とはかなりかけ離れていました。
勿論報告を受ける方も 現場経験者ですから そんなに理想的に こちらに都合の良い話に展開することなどありえない事は分っているはずでしたが あくまで報告書としては 医者と理想的な対話を進めたかのような報告書になるまで 書き直しを命じられていました。勿論仕事の理想形を求めて その方向に進む努力をすることは大切だと思いますが その点にこだわって医者と接触すれば 面倒がられて 嫌われてしまうのが落ちでした。
そんな理想を追い求めるような形を 大切にしているように装っていても 結局のところは 売り上げの数字が一番物を言うのです。きちんとした非の打ちどころのない報告書 と言うか作文を拵えて 提出する事よりも とどのつまりは前年同期同旬の売り上げを上回っていれば 殆ど文句は言われないのです。私は わたしなりに医者相手の隷属的な営業活動に 何とかやりがいを見つけようと努力をしましたが 最終的には見つけられずに 退職して自分の本当にやりたかった獣医師を再度志す決意をしてしまったのです。
再度受験勉強をやり直して 岐阜大学に入学して 何とか卒業して 研修を積んで 自分の病院を開業して 現在に至っています。人よりも十年近く回り道をして何とか開業獣医師になりました。開業当初は自分なりの理想の動物病院を作ろうと懸命に頑張りました。しかし実際に仕事として直面していくと どんなに自分が望んでいた仕事であっても 理想通りにはいかないし 言いたい事を我慢して受け入れなければならないこともたびたびあるし 自分の無能さを痛感させられて 泣きたくなることもしばしばありました。
客観的に見れば 何とか二十年以上病院を潰さずに経営できていますし それなりの収入はあるのかもしれません。やりがいを感じられて この仕事を選んでよかったと感じたことも 勿論少なからずありますが あまりに不愉快さを痛感して その場でこの仕事を放り出したくなったことも 何度も何度もありました。お金を稼がせて頂いている以上は 我慢も辛抱も必要だと頭では理解していますが 正直な気持ち このストレスの非常に大きい仕事を続けられる限界が直ぐそこまで来ているように感じることが少なくありません。
私ももうすぐ還暦を迎えますから 退職後を楽しみにしてもいい年齢に差し掛かっているように思いますが 立命館を同時期に卒業した友人たちと話をすると 定年を迎えても のんびりするどころか 再就職に向ってやる気満々なのには驚いてしまいます。きちんとした会社をきちんと勤め上げれば それなりの退職金とかなりの金額の年金が受け取れるはずです。なのにどうして まだあと数年懸命に働こうとするのでしょうか。「すまじきものは宮仕え」と言う言葉があります。「会社や官庁に勤めるのは 気を使い大変辛いものだから 出来ればやらない方がいい」と言った意味合いだったと思います。事実私は会社勤めがほんの三年ほどしか持ちませんでした。
友人たちは 数十年にわたって宮仕えをしてきたのに ようやくそのお勤めから解放される時期を迎えたら どうしてみんなが皆再就職したがるのでしょうか。再就職が決まると 取り敢えずはおめでとうと申し上げるのですが 本当にお目出度い事なのでしょうか。「体が動く間は 働かないと勿体無い」 とみんな口をそろえて言いますが 体が動かなくなってから 引退したって 思い切り遊ぶことが出来ないのではないでしょうか。健康寿命と言う言葉が最近注目されています。健康寿命とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自立した生活ができる生存期間のことだそうで 日本人男性の場合70歳を少し過ぎたところまでなのだそうです。だとしたら 私はあと十年ぐらいしか残っていません。
最初に書きましたが 私は勉強も仕事も 正直好きではありませんので 一刻も早く引退してのんびりする方向に努力した方がいいのかもしれません。のんびりと楽しく過ごすためには 友人たちと楽しく過ごしたいのですが 未だ働く気満々なので 相手にしてもらえ無さそうで残念です。死ぬ時に 十分満足に生きられたと実感したいので 私が引退した時に 一緒に遊んでくださる方を求めます。こんな文字ばかりの腐ったようなブログを読んで頂けている方たちなら きっと私と話が合うと思いますので 是非お友達になって 一緒に楽しい事をして遊びましょう。ご連絡をお待ちしておりますので よろしくお願い致します。

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