6月11日 中学 高校の頃に憧れていた女の子から メールを頂き 舞い上がっております

四月に 四条畷高校の還暦同窓会が開かれました。私は体重が高校生の頃よりも三十キロ近く増加していて 恥ずかしかったのですが 同じ高校の友人で 交流があるのは一つ目の大学で参加していた混声合唱団で一緒に歌っていた 女の子が一人だけです。なので高校時代をともに過ごした友人たちが 現在どのように活躍しているのか若しくは 変わり果ててしまったのかを確認したくて 参加してみました。その時にやっぱり話題になったのが 我が学年で飛び抜けた秀才の 永長直人君でした。
二三年生になると実施されていた校内模試がありましたが 五教科二百点満点で合計千点満点の試験でした。平均点が四百点前後で 私は平均点を取るのに 四苦八苦しておりました。恥ずかしながら 一度も一科目も 半分の百点の大台に乗ったことがありませんでした。所が かの秀才永長君は 数学で毎回二百点満点を獲得しておられたのだそうです。私だって 公立の小学校 中学校では クラスで一番とは申しませんが 二番目か三番目位の成績をキープしていたつもりです。なのに半分の百点も獲得できないテストで 楽々と満点を続けていたのですから 常人とは次元の違う所にいらっしゃったのだと思います。今年の春には紫綬褒章という学術の業績が著しい人に贈られる褒章を 東大理学部物理学科の教授として受賞されたのだそうですが 彼の目標は 小学生の頃からノーベル賞でしたから ほんの通過点に過ぎないのかもしれません。褒章というのは 我々凡人が どんなに努力しても 頂けるような代物ではなさそうです。
こんな風に 別に親戚でも 親友でもないのに 只の小学生の頃からの知り合いに過ぎないのですが 永長君の自慢話を このブログで書いたことが何度もありました。そこで 私が中学 高校の頃に密かに憧れていた女性が 永長直人という項目で検索した所 偶然に私のブログがヒットしたのだそうです。そしてこのブログのタイトルであるドクター喜作 と言うのが一体どのような人物なのか 興味を持たれたみたいで 問い合わせのメールを頂いたのです。
その子と私は 不思議な縁があるのかもしれません。中学に入学したのは 二人とも枚方市立第四中学校でした。私は中一の終わりに 家を交野市に引っ越して 中二の始めから 交野中学に転校しました。その女の子は 何と中三の恐らく頭から やはり交野中学に転校してきたのです。男子は 公立の中学の場合 何処でも同じありきたりの学生服ですが 女子は学校によってセーラー服であったり ブレザーであったりと まちまちです。四中はセーラー服でしたが 交中はブレザーでした。皆がブレザーの中に セーラー服の女の子がポツンといると それだけで凄く目立つのです。
特にその子は 人目を引くような飛び切りの美少女でしたから 余計に目立っていましたので 私は彼女が転校してきたことをクラスは違いましたが 直ぐに察知しました。勿論彼女からすれば 私なんて その他大勢の中の一人に過ぎませんから 記憶に残っているわけがありません。ただ彼女はお勉強もかなりできる子だったので 同じ四条畷高校に進学しました。残念ながら 彼女とは 中学高校と五年間も同じ学校に通いましたが 一度も同じクラスにならなかったので 互いに名乗ることも 言葉を交わすことも一切ありませんでした。
私が初めて彼女を見たのは 中一になったばかりで ようやく違う小学校の連中とも話をするようになった時期です。隣のクラスに 凄く可愛い女の子がいるので 見に行こう と言うツアーが企画されて 当時の私はフットワークが軽かったようで のこのことその連中にくっついて 隣の教室まで出かけて見かけたのが 彼女でした。その時に勿論名前も知りましたし 顔もはっきりと覚えました。勿論完全な一方通行で 彼女が私を知るはずがありません。全くコンタクトのないままに 高校を卒業して 勿論それから彼女がどの様な人生を歩んできたのかなど 全く知りません。
そんな密かに憧れを抱いていただけの存在であった 彼女から 突然メールを頂きましたので 凄く驚きましたが 落ち着いてみると凄く嬉しくて 張り切ってお返事メールを送りました。取り敢えずは 卒業した時のクラスと名前をお知らせしました。卒業アルバムを持っていたら 当時の私の顔かたちは分ってもらえるでしょう。そして高校を出てからの 私の結構波乱万丈の人生を 説明しました。現在動物病院を経営していることは ホームページをご覧になっているはずですからお分かりだと思いますが そこに辿り着くまでの紆余曲折を ダラダラと書いて お知らせしました。
最後に 彼女は気づいていないと思いますが 私たちは 同じ中学校に入学して 同じ中学校を卒業した 唯一の間柄であることを説明しました。そして永長君と言う秀才が とりもってくれた御縁で メールを頂きましたが これから茶飲み友達 というか 時々メールのやり取りをするメル友になりませんか と提案しました。正直な気持ち 返事が返ってくる可能性は 極めて低い事を覚悟しておりましたが しばらくしたら 彼女の 卒業後の歩んだ道を丁寧に綴ったお返事メールを頂きました。私はまた 喜び勇んで 近況や 老後についてのプランなどを ダラダラとした長文メールで返しました。
それから何度か メールのやり取りをしています。彼女は現在 関東にお住まいなので 当面実際にお会いするようなことはないように思います。引退してから 時間を持て余したら 関東地方を訪ねた時に運が良ければお目にかかれるかもしれない位の気持ちでおります。私としては お互いに何かトピカルな事が起こった時に 報告し合えるような 昔でいう所の ペンフレンドみたいな関係になれれば 嬉しいと考えております。
取り敢えずは 自分で決めたルールとして 彼女からメールを頂いたら そのお返事を返すに留めようと思っております。返信がないのに 何度もメールを送ったりしたら 重荷に感じられてしまい 彼女との縁が切れてしまいそうだからです。勿論お互いに還暦を過ぎた年齢ですから 幾ら彼女が美少女であっても 現在はおそらくおまごさんもおられるでしょうし お婆ちゃんと呼ばれても仕方のない状況だと思いますから 今更男女の仲になろうなどとは 夢にも考えておりません。只中学高校と青春の真っ盛りに 同じ学校に通い 還暦になって初めてお互いの存在を意識して メールのやり取りが始まった御縁を大切にしたいとだけ思っております。
まあこのメールのやり取りの関係が 何時まで続くのかは 彼女しだいですが 出来れば長く続いてほしいとだけ願っております。 

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