8月30日 1970年の本日 植村直己さんが世界五大陸最高峰の単独登頂に成功されたのだそうです

データーによると8月26日に登頂成功となっているものもありますが まあ細かい事はいいでしょう。植村直己氏は、アメリカ合衆国のマッキンリー山の単独登頂に成功し、五大陸最高峰とhは 当時はモン ブラン(ヨーロッパ)キリマンジャロ(アフリカ)、アコンカグア(南アメリカ)、エベレスト(アジア)、マッキンリー(北アメリカ)の五山を指していたのだそうです。現在では ヨーロッパの最高峰としては ロシアのエルブスル山を入れる場合が多いのだそうですが この山のある地域は 人種や文化的に見ると アジア圏に属する部分が多いので 現在でもモンブランこそヨーロッパの最高峰だと主張する人も少なくないのだそうです。ちなみに植村さんは その後エルブルス山にも 登頂されているのだそうです。
人には それぞれ色んな趣味があります。山に登るのが好きな人もあれば 暇さえあれば釣りに出かける釣りバカも結構いるみたいです。私には 何故汗水たらして 山を登りたくなる人が結構いらっしゃるのか 理解できません。子供の頃に 家族で比良山辺りに ハイキングの延長として上ったことはあります。たっぷりと森林浴が出来て 一歩一歩頂上を目指して歩いている時には もう二度と山登りなどしたくない気持ちになりましたが 山頂に到着して周囲を見下ろした時の爽快感と 途中でリフトも利用しましたが 殆んど自分の足で登った達成感が 非常に心地よかったので 山登りと言うほどの山ではないけれども 自分の足で頂上を目指すのも悪くないなとは思いました。まあその後 本当に私が気に入っていたのなら 山へ又上ったのでしょうが 繰り返していない所をみると やっぱりそのしんどさが答えたのだと思います。
釣りは 小学生の頃に 近所の池でフナやもろこを釣った経験はありますし 釣竿を垂れている時には それなりのワクワク感があるので 相当おもしろいと思いました。ただ私は基本的に気が短い性質なので のんびりと座っていることが辛くなりそうで それ以上の本格的な釣りとは縁のない生活をしていました。大学時代やサラリーマン時代に 友人から釣りに誘われたことが何度かありますが いざ釣りを始めるとなると 着る物や道具などを揃えるのに 結構なお金と手間暇がかかりますから 面倒になって始めませんでした。別にお金がもったいないわけではないし そんなに忙しくしていたわけではないので 結局は釣り自体にそれほど魅力を感じていなかったのかもしれません。
私が夢中になったものを年代別にあげると 小学生から高校生までは ずっとピアノを先生について習っていました。正直最初の頃は 男でピアノを習っていることが何となく恥ずかしくて 学校の友達には内緒にしていました。しかし段々上達して 自分がレコードで聴いたことのある曲 好きな曲にチャレンジできるようなレベルに達すると 楽しくて夢中で練習していました。妹は音大に進み ピアノの先生になりましたが 私は男だったからなのか ピアノを仕事にしようとは考えませんでした。
一つ目の大学に入ると サークル活動として混声合唱団に所属しましたので 合唱にどっぷりとはまりました。三四年生になると 何故かボーリングにはまってしまいました。卒業研究室も 高分子化学研究室でしたが 別名ボーリング卒研と呼ばれるほど ボーリング熱の高い研究室を選びましたので 研究も勿論頑張りましたが それ以上にボーリングに打ち込む日々でした。サラリーマン時代には 年間千ゲーム以上投げて アベレージが180を超えていました。自分がプレッシャーにすごく弱い腰抜け野郎であることを自覚していましたから ボーリングを職業にしようとは考えませんでしたが ボーリング場でボーリング仲間も出来たので 楽しく夢中になっていました。
現在の楽しみは 年に二回ほど 奥様と二人で旅行に出かける事が一番かもしれません。以前はディズニーランドに夢中になっていた時期もありましたが その後 伊勢志摩や淡路島などに興味が移り 現在は 移住先の第一候補である長野県に繰り返し訪れている状況です。今年も秋になって 仕事が一段落したらまた長野県に出かけてみようと考えています。移住先候補地は 中央アルプスと南アルプスの谷間の地域ですから 話を元に戻して 山登りを始めてみるのも悪くないのかもしれません。まあ年寄りのすることですから ハイキングに毛の生えた位のものでしょうが 季節の山菜でも採取して 食卓を賑やかにできたら 一石二鳥かもしれません。植村さんのような 冒険野郎にはなりたいとも思いませんが 移住を切っ掛けにして 健康のために山歩きを出来たらいいのかもしれません。

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