8月9日  1993年の本日 細川内閣が始まりました

細川護煕さんは 由緒正しい細川家のご出身です、戦国時代をある意味一番華麗に生き抜かれたのが 細川藤孝さんだったように思います、足利家十五代将軍義昭の重臣として仕え、その後の支配者である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人にも重用されて 息子の忠興は 関ヶ原の戦いで家康側について 勝利し 肥後(熊本)藩主となりました。奥さんが有名なガラシャ夫人です。

護煕さんは18代当主に当たられるのだそうです。外祖父に近衛文麿さんがおられるなど血筋が良すぎて 庶民からは遠すぎて霞んで見えないような存在です。ごく当たり前に熊本県知事を二期務められてから 日本新党を結成されて 私が知る初めての非自民党の内閣総理大臣になられました。その時の国民の期待度は民主党が政権を握った時の比ではないと思っています。

ただあまりに毛並みの良すぎる超お坊ちゃまであったために ドロドロした政治の駆け引きに全く対応できずに 総理大臣としての責務を殆ど果たさないままに その役職から逃げ出したようなイメージがあります。殆ど苦労知らずで ただ時の流れに乗っただけで転がり込んできた総理大臣という役職に 殆ど未練も執着もなかったみたいでした。

国民にすれば 自民党の腐った体質から脱却してくれることを期待して 凄く高い支持率を示したのに 結局は元の木阿弥に戻らざるを得ないことに 悲観して絶望してしまいました。結局長年野党をやっていると批判は一人前にできるようになるが 自分たちが与党として政権を担当しても自民党の足元にも及ばない政治家としての実力の無さを痛感させられただけだったと思います。国民も結局は自民党に頼らざるを得ないことに一度は気づいたはずです。

それからだいぶ経ってから 民主党に夢よ再びと期待して またまたこっぴどく裏切られました。その結果が安倍ちゃんに絶対多数の議席数を与えてしまいました。安倍ちゃんはこの絶対多数の議席を活用して もっとやりたい放題のことをやるのかと思っていましたが 結局は殆ど大したことは何一つ成し遂げていません。「アベノミクス」が庶民の生活を全く潤さないことに さすがに鈍感な国民も気づくべきでしょう。

まあ自民党がだめでも 他に期待できる政党が全くありませんから 結局は自民党を中心にした政治が延々と続くしかないのかもしれません、でも国民は自分たちを幸せにしてくれる政権を期待するのは致し方のないことだと思います。いっそ主張に全くブレのない共産党に政権を任せてみるのも 面白いのじゃないかと思ってしまいます。

 

 

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