9月28日 本日は近所の小学校の運動会だったみたいです

小学生だったころ 運動会というのは 学校の行事の中でも 私にとっては一番楽しみな一日だったかもしれません。他の行事で楽しかったのは 勿論春と秋の遠足がありました。プールの時期の締めくくりに行われる水泳大会も泳ぐのが得意だったので かなり楽しかったです。でも、運動会は本番の前に競技や開会式の練習を散々しましたから 特に思い出に残っています。それと普段は学校に来ない両親までが見物に来ましたから 尚更気合が入りました。

私の小学校は 各学年で50m走や100メートル走などの個人競技と 綱引きや騎馬戦等の団体競技とフォークダンス等の演技、の三つしか出番がありませんでした。個人競技は そこそこ走るのに自信がありましたが たまたま足の速いメンバーと一緒に走ることになった時には 凄く憂鬱でした。今でも覚えていますが四年生の時の100メートル走で クラスで足の速い一番目と二番目と三番目が私と同じグループで走ることになった時には 神様を呪いました。

練習でどんなに頑張っても四番にしかなれませんでした。所が本番では 当然四番手を走っていましたが 一番早い奴が転んでくれて二番手と三番手を巻き込んでくれました。三番手から結構後れを取っていた私は巻き込まれずにすんで なんと一等賞でした。この時には神様に本当に感謝しました。神様を呪ったり、感謝したりと 節操がありませんが まあ子供の事ですから大目に見てあげてください。

六年生の時は開会式でいろんな役割を務めますが 偶然にも六人で国旗を持って入場する係になりました。一年生から六年生までが入場した後で 国旗を持つ六人だけが音楽に合わせて厳かに入場しますから 凄く目立つ重要な役どころでラッキーでした。但し、100メートル走で途中で躓いて三位に終わり 練習ではいつも一位だったので悔しかったのを覚えています。

一時期 競争で順位をつけると最後の子がかわいそうだから 皆で手を繋いで走っているのを ニュースで見ましたが 今でもその様な愚かな事を続けているのでしょうか。人間ですから各自に得手不得手があるのは当然です。運動の得意な子もいれば苦手な子もいます。勉強のできる子もいればできない子もいます。国語や算数が苦手でも 図工や音楽が得意な子もいると思います。

神様は不公平ですから 勉強のできる子が運動もできるし 上手な絵を描くし 歌もうまいかもしれません。勉強が苦手で運動も不得意で 絵も歌も下手糞の子もいるかもしれません。その様なもって生まれた能力の違いは 努力してもなかなか解消されないと思います。しかし何でも上手く出来る子と 何をやっても上手く出来ない子がいることは事実だし そのような現実は子供であろうと早く自覚しておいたほうがその子の為になると 私は思います。

走るのが遅い子供がどんなに練習しても それほど速く走れるようにはならないと思います。私は絵を描くことが非常に苦手で プラモデルなども殆ど完成させたことがありません。三年生の二学期の通知表で生まれて初めて図工の五段階評価で2をもらいました。私の人生の汚点だと思っています。でも中学三年の時の美術でやはり十段階評価で5を貰ってしまいました。当時の高校入試の時に提出する内申書は9科目の十段階評価の合計が上位1パーセントの者に評価10が与えられ,2から3パーセントの者に9が与えられましたが 私は美術の5がネックになって 内申書の評価は9どまりでした。

ですから小さい時に苦手なものは成長してもずっと不得手なのだと思います。苦手な人 頑張っても上手く出来ない人は己の現実を少しでも早く認識して できないなりの対応策を立てるように努力すべきだと思います。中学では技術の授業もありました。ラジオを組み立てたり木製の椅子を作成したりしました。勿論このような作業も私は極めて苦手でしたが このような作業の得意な子と仲良くなって やり方のコツを手取り足取り教えてもらい 不器用なので作業に時間がかかりますから 皆よりも早めに始めてなるべく後れを取らないように気をつけました。それからペーパーテストでは十分に準備して必ず満点を取りました。そんな対応策が功を奏して 技術の評価は10を頂きました。体育でも走るのはそんなに早くなくても 筋力を鍛えて 柔道の授業でポイントを稼いだり 球技を沢山練習して上手くなり試合で活躍して高い評価を貰いました。

ゆとり教育 というのが今では問題があったと認識されているようです。小中学校では同級生であっても 将来は東大を出てエリート官僚になる人間もいれば 中卒で働かざるを得なくて どうしょうもない学歴差を思い知らされる人間も必ず存在します。日本の中枢を担って 高収入を得る者があれば 社会の底辺を支える側に回って 低収入に苦労する人も存在するのが現実です。同級生ではあっても 将来が同等とは全然限りませんから 各自が自分の能力と立場の違いを若いうちから認識することは 決して悪い事ではないと思います。

大分前の情報ですが 東大生の親の年収は 慶応の学生の親の年収よりも高いのだそうです。勿論高収入を得ている人間が優れているとは限りませんが 高収入を得ている人の子供が やはり将来高収入を得られるであろう大学に 沢山進学しているのが現実です。勿論 貧しい家庭で育って 東大に進学して 高収入を得ている方も少なからずいらっしゃるとは思いますが 一般的には お金持ちの子は高収入を得る人になり易い という現実があるのは事実だと思います。

ですから、たまたま同じ教室で学んでいるからと言って 同じような未来が待っているわけではないのです。運動会の100メートル走で ビリになって恥ずかしい思いをしても それをバネにして勉強で見返そうと頑張る子もいれば その経験がトラウマになって グレてしまう子がいても しょうがないと思います。頑張る子は明るい将来が待っているでしょうし グレてしまう子は転がり落ちていくでしょうが それはその子の選んだ道だと思います。以上のように私は思いますから 運動会の徒競争ではきっぱりと勝ち負けをつけるべきだと思います。

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