1月 13日 1543年の本日 狩野永徳さんが誕生されたのだそうです

狩野永徳さんは 織田信長や豊臣秀吉に認められて 安土桃山時代の文化を象徴する存在と言えると思います。有名な「唐獅子図屏風」を見たことがない 若しくはどんな図柄か想像もできない様な日本人は 恐らくいないでしょう。日本人の画家としては 絵の事は全然興味がありませんので ひょっとしたら全く的外れな表現かもしれませんが 私のイメージ的には 横山大観と並ぶ世界に誇れる二大スターではないのでしょうか。
そんな日本人なら知らない者は 恐らくいないであろう 超有名人ですが 生まれた時はただの赤ちゃんに過ぎません。狩野家は 永徳のひいおじいちゃんが画家として名を残した最初の存在だったそうです。ひいおじいちゃんから始まって 永徳の子孫が代々第一銭の画家として 明治維新まで活躍をつづけたのだそうですから 永徳も画家としてはサラブレッドの家系に生まれたのかもしれませんが かなり昔の話ですから 亡くなられた日は 稀代の画家として名を残した後の事ですから 正確に記録されているかもしれません。でも生まれた日についてはどうなのかなあと思っておりましたら、狩野永徳について 解説されている資料に目を通すと やはり誕生日に関しては 一月十三日だけではなくて 他にもいくつかの説があるみたいです。
狩野さんの代表作である「唐獅子図屏風」は 美術の教科書にも必ず掲載されている 誰でも知っている素晴らしい作品ですが 意外にも国宝には 指定されていないのだそうです。その理由は あまりに素晴らしい作品なので 代々の天皇家が所有されているからなのだそうです。勿論日本の貴重な宝ですから 天皇家 と言うよりも宮内庁が 大切に大切に保管しているのでしょうが 皇室所有の作品ですから 国宝としては指定されていないのだそうです。
私の様に名もなき庶民ですから 私の生まれた日も恐らく亡くなる日も 奥様以外には 覚えてくれている人がいるとは思いません。奥様だって 私が死んでしまったら 何時まで覚えてくれているのか あまり自信がありません。まあ名もなき庶民が 時代の流れに埋もれて 消え去っていってしまうのは 致し方のない事かもしれません。でも私の高校時代の友人には 私がいつもブログを書くときにヒントをもらっている「今日は何の日カレンダー」で その日に生まれた有名人 の名前が上がっている所に 登場する方がいらっしゃいます。日本テレビのアナウンサーで 現在でも時々現場にも登場されるアナウンサーとしては 恐らく最古参になられるであろう 井田由美さんです。
このブログでは 何度か井田由美さんの事を書きましたが 高校一年生の時 同じクラスで 二学期に書記と言うクラスの役員を 同時に務めたのが 私の自慢です。極たまに各クラスの書記が集められて会議みたいなのがあって その時には二人で仲良く参加したのが 井田さんとの一番の思い出です。勿論 井田さんがそんな些細な事を覚えておられるはずない事は よく自覚しております。それから 私が出席番号十五番で 井田さんが二十五番でした。先生によっては その日の日にちに当たる出席番号の人に質問をする方がいらっしゃいました。例えば五日の日なら まず出席番号五番のものが質問されて 次は私の番です。すんなり質問に答えられることもありましたが 全く見当もつかず降参することも度々ありました。そんな時に 次に二十五番の井田さんが指名されて 極当たり前のように サラッと正解を答えられて 私の馬鹿さかげんが より強調されてしまう事が何度もありました。私にとっては かなり屈辱的な思い出ですが こんなことも勿論井田さんが覚えておられるわけはありません。
所詮 人間としての器や能力の大きさ そしてもちろんその容姿に大きな格差がありましたから 現在ついてしまっているより大きな格差も当然かもしれません。一般庶民は 庶民としての分をわきまえて 謙虚に残りの人生を過ごして 静かに消え去っていくべきなのでしょう。なんだかすごく寂しくなってしまいましたので 私のブログとしては少し短めですが これで終了いたします。

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