10月12日 ラジオの思い出

 私はラジオと言えば AMラジオが大好きですが 奥様は殆どFMラジオをばかりを好まれます。AMとFMの伝達方式の違いが AMは振幅変調、すなわち音波を電波の強弱の変化として伝えていく方式、FMは周波数変調、すなわち音波を周波数の変化として伝えていく方式です。まあ、分かりやすい言葉でいえば FMの方が良質の音楽情報を伝達できて混信の影響を殆ど受けないので音楽放送に向いているという事だと思います。
 私がラジオ放送に最初に熱中したのは中学生の頃でした。勿論AM放送のラジオ大阪で夕方の6時15分からメインパーソナリティーを横山プリンと言うタレントが務める「カットジャパン サーティテーン」と言う番組でした。この番組は兎に角横山プリンの面白さに尽きる放送でした。あまりの人気で読売テレビの日曜日の昼間に番組を持つほどでした。
 その風貌はまだそんな年寄りでもないのに頭が禿げあがり 独特のファッションとあいまって かなりのの異彩を放っていました。ラジオ番組ですからリスナーからハガキが届くのですが 面白い内容なら褒め称えられますが 逆にしょうもない内容だと破られ踏みつけられました。恐らく、PTAの方々の評判は宜しくなかったでしょうが おもろいことが大好きな関西の中学生であった私には最高に面白くて楽しい番組でした。その頃仲の良かった同じクラスのメンバーも全員が欠かさずにきいていたので もしうっかりと聞き逃すと次の日に話題についていけないほどでした。6時15分から確か8時までの番組だったと思いますが 月曜から金曜まで熱心に聴いていたので いわゆる子供向けのテレビ番組は一切見なくなりました。
 横山プリンが立命館大学出身と言うのは有名な話だったので 好きなタレントだけれどもまさかその後輩に自分がなるとは夢にも思っていませんでした。
 一応中学生ですから 晩御飯の後で勉強机に向かう習慣がありその時間帯にもやはりAMラジオを聴いていました。毎日放送の「ヤングタウン」やラジオ大阪の「ヒットでヒット バチョンと行こう」朝日放送の「ヤングリクエスト」などをその日の気分やパーソナリティーによって聴いていました。それまでは歌謡曲しか聞いたことが無かったのが洋楽に初めて触れたのもこの頃でした。ビートルズなんか勿論名前は知っていましたがその楽曲を初めて聞いたのもこの頃でした。その後世間よりもかなり遅れてステレオがうちにも購入された時にせっせとビートルズのアルバムを買い漁りました。
 「オールナイトニッポン」と言う放送は現在でも続いている 特に有名な番組でしたから一度聴いてみたかったのですが 深夜の一時からだったので 夜更かしの経験の殆どない私にはなかなか起きていられませんでした。
 中学高校の頃には 勉強のお供に深夜放送を聴いていましたが 大学に入ってからパタッとラジオを聴かなくなりました。その時間帯に机に向かわなくなっったから当然かもしれませんが、大学に通っている時に とある日曜日の夜寝られなくてふとラジオのスイッチを久しぶりに入れてみました。すると私の好きな笑福亭鶴瓶の声が聴こえてきたので思わずその内容に耳を傾けました。その話し相手はあとになって知りましたが新野新と言う放送作家でした。話している内容はごくありふれた事だったと思います やけにむきになって二人が熱弁をふるっていたので そこから最後まで聴いてしまいました。その番組が かの有名な、と言っても知っている人は知っているくらいだと思いますが 鶴瓶、新野の「ぬかるみの世界」でした。日曜日の深夜12時から始まって終わる時間は決まっておらず二人がしゃべりつくしたら終了するという不思議な番組でした。
 この番組は最初スポンサーすらつかずに始まった番組でしたが 一時は鶴瓶か新野先生が死ぬまで続けるだろうと言われたほどの伝説的な番組です。一旦聴き始めると 中毒のようになって 聴かずにはいられなくなる不思議な番組でした。この番組にはラジオによくあるコーナーなどが一切なくてその時にどちらかが思いついたことであったり リスナーから届いた一枚のハガキから話題を取り上げて それについて二人が納得のいくまで話し合います。勿論その内容にリスナーからの反響も反映されます。現代ではないのでメールの様なリアルタイムの反響ではなくて 次週に届くハガキによる反応になりますが 内容があれば必ず取り上げられ 更にその反響が反響を呼んで何週間にも渡って盛り上がる場合があります。あまり盛り上がるとリスナーを集めて討論会まで開かれました。勿論その討論会も放送されました。
 日曜日の深夜なので 電波がかなり遠くまで飛ぶらしくて かなり遠方のリスナーからの反応もありました。そこで、各都道府県でどれくらいのリスナーがいるのか全国を縦断して調査しようと言う企画が持ち上がりました。リスナーが自分の住所と電話番号を書いて はがきを投函するとその都道府県別の枚数が発表されて代表者が電話で話せるという企画です。私は塩野義製薬に勤めていた時に金沢と富山にいました。北陸でも雑音は入りますが結構聴こえるので はがきを送りました。金沢、富山は各10人くらいが投稿していて代表に選ばれる確率が高いので電話がかかってくるのを楽しみに待ちましたが残念ながらかかってきませんでした。
 岐阜大学に通っている時にも頑張って聴いていました。北陸よりも岐阜の方が雑音がひどくて かなり聞き苦しかったのですが辛抱して聴いていると信じられない内容を鶴瓶がしゃべりだしました。この番組が終了するというのです。鶴瓶か新野先生が死ぬまで続けるって言うてたやん、いつか島を皆で買ってぬかるみ島と名付けて ぬかるみん(ぬかるみのリスナーのこと)だけで暮らそうっていうてたやん、とぼやいても終わるものは終わるので その期限が来たら終わってしまいました。番組が終了した直後は日曜日の深夜をどう過ごせばいいのか悩みました。まあ今では日曜の12時からは「乃木どこ」の時間なので一週間でい一番楽しい時間です。
 それからはラジオを聴く習慣が殆ど無くなってしまいましたが 病院でトリミングを始めてから 犬の送り迎えで7時半から8時半ぐらいまで車を運転する毎日なので いつもKBSの笑福亭晃瓶の「ほっかほっかラジオ」を聴くようになりました。 晃瓶さんは勿論鶴瓶さんのお弟子さんでこれも何かの縁かなあと思っています。
 私はこのようにFMラジオをほとんど聴きません。私にとってラジオは人の声をきくものだと思っているからかもしれません。ラジオを聴くのは携帯ラジオか車のラジオぐらいですから 音楽を聴くのはやはり十分な能力のスピーカーを備えたステレオで聴きたいというきもちがあるからかもしれません。
 ラジオについてこんなにダラダラと長く語るつもりはなかったけれど 私にとってラジオって思っているよりも大切なものなのかもしれないと思いました。

 

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