10月31日 本日は月末の31日で蕎麦の日なのだそうです

毎月31日若しくは30日の月末に 江戸時代から商家では 身代が細く長く続きますようにとの願いを込めて縁起物としてそばを食したことから月末を「蕎麦の日」と称するようになったのだそうです。大晦日に食べる「年越しそば」は これもまた江戸時代から定着した習慣だそうですが その年の厄歳を断ち切ってしまう為に食べるという説と 細く長く延命と長寿を願うために食べるという説があるのだそうです。

蕎麦にまつわる習慣としては 「引っ越し蕎麦」というのがありますが これもまた江戸時代に定着した習慣だそうですが江戸を中心とする地域に広まったそうなので 私は岐阜よりも東に住んだことがないからなのか 全然馴染みがなくて 今まで一度も引っ越し蕎麦を配ったことも 貰ったこともありません。現在ではかなりすたれてしまった昔の習慣なのかもしれません。

年越しそばというのは日本全国に行きわたった習慣で 日本人の大部分が食べているのかと思っていましたが ほとんど毎年食べる方は国民の六割にも満たないのだそうで、少し意外に思います。地域によっては元旦に食べる習慣があったり、うどん文化の色濃い香川県では二割以上の方が「年越しうどん」を召し上がっておられるそうです。関西ではやはり蕎麦よりもうどんを食べる機会が多いのかもしれませんが 大阪でも年越しうどんを増しあがっておられる方は結構いらっしゃるのかもしれません。

私は子供の頃はうどんのもっちりした食感よりも 蕎麦のさらっとした喉越しの方が好きでした。所が そばを食べるときには 江戸っ子の粋な食べ方なんてものが幅を利かしています。私は東京弁を話す人にはいちいちむかつきますし、決して江戸っ子にはなりたくないし 江戸っ子の友達も欲しくありません。

たかが蕎麦を食うのに 偉そうに 先ずはそばをそのまま食べて香りを味わえとか めんつゆにつまんだ蕎麦の三分の一ぐらいしか浸してはいけないだとか なるべく咬まずに飲み込んでのど越しを味わえだとか 薬味は最初からめんつゆにいれてはだめだとか そばつゆが注文しないと出てこないソバ屋は駄目だとか カッコばかりつけすぎていると思います。蕎麦は確かに美味しい麺類だとは思いますが そんなにカッコばかりつけて食べるような代物では決してないと思います。

試しに「粋な蕎麦の食べ方」等と検索してみれば こう食べれば粋だとか ああいう食べ方は無粋だとか 喧々諤々一杯ヒットしますが 要は自分がそばを食べたいからそばを食べるのに どうして関東の人たちは 他人の眼ばかりを気にして カッコをつけて粋に見える食べ方、つまち江戸っ子の食べ方を真似したがるのでしょうか。

そういえば私は東京に殆ど行ったことがないので 東京でもりそば(せいろそば、ざるそば)の類を食べたことがありません。関東のそば、うどんは殆ど醤油のような色をした真っ黒な御出汁に面が浮かんでいます。味も見た目ほどではないけれど かなり濃いめの味付けになっているようです。盛りそばについてくる麺つゆもさぞ味付けが濃いのだと想像します。凄く濃い味付けだから つまんだ蕎麦の全部をめんつゆに浸したら 味が濃すぎて食べられないから ほんの一部分しか浸さないのだと思います。

まず最初にめんつゆに浸さないで蕎麦の香りを楽しむことを粋な食べ方としてすすめているのに どうして味が濃すぎるめんつゆに浸すのでしょうか。京料理は日本の各地の料理の中でも一番の薄味だと思います。素材の持つ味わいを大切にするために 極端に薄味の料理が出来上がったのだそうです。江戸時代まで天皇陛下は京都の御所にお住まいでした。明治維新があってから 天皇陛下のお住まいが 旧江戸城 現在の皇居に変わられました。現在では東京が首都であり 政治や文化のさも中心であるかのように思われていますが ほんの百数十年前までは江戸なんて片田舎にすぎなかったのです。それまでは全ての文化は天皇陛下のいらっしゃる京都を中心に回っていたのです。京都の文化の格式に比べれば 東京の文化なんてほんの金メッキにすぎません。薄味の京料理こそが日本で一番粋な料理であり 東京の濃い味付けの田舎料理なんて かっこをつけて 粋だ無粋だなんて全然次元の低い 目くそと鼻くその争いだと思います。

そんな事を思うと私はうどんの方が 余程庶民的であり 身近な食べ物に感じられて 好きになりました。今年は大晦日に年越しそばではなくて 年越しうどんを食べてみようかと思います。

ブログ一覧