10月9日 本日は語呂合わせで塾の日なのだそうです

私は自分が家庭教師を付けてもらったり 塾に通ったことはありません。しいて言えば中三の冬休みに高校受験のための講習を十日間ほど受けただけです。うちの親は 別に放任主義とかほったらかしではなかったように思いますが 塾へ通う事を全然勧めませんでしたし 自分でも塾の必要性を感じていませんでしたから 全く縁のない出来事でした。そんなのんきな母親が近所の同じ学年の子の親から珍しく情報を仕入れてきて クラスの半分以上の子が 高校受験のために冬期講習に参加することを知ってしまったために 通わされることになりました。まあよその中学の生徒の雰囲気を知っておくことは 私がかなりの上がり症でしたから 必要だったのかもしれません。
そんな事で 塾や家庭教師との縁は凄く薄かったのですが 自分が大学生になってからは 非常に効率の良い と言うか自給の高いアルバイトでしたから 結構頑張りました。立命館に通っていたころは 時々家庭教師をする程度でしたが 岐阜大学時代は何しろ授業料と生活費を稼がねばなりませんでしたから 毎日のように主に塾の先生のアルバイトをしていました。塾での話はこのブログで何度か書きましたが 小さな塾の場合は 五教科を全部教えなければなりませんでしたが それなりに広く浅くでなんとかなっていました。
岐阜でも一番か二番目に大きな塾の先生になった時には 担当する科目を尋ねられました。中学生相手であれば 別にとの教科でも務まる自信はありましたが 英語や数学は希望者が多いので除外しました。理科や社会だと たまには覚えていない事 あまり興味がなくて自信が無い分野がたまにありますから 下調べが必要になりますから 面倒なので除外しました。残るは国語ですが 私は国語には若干自信がありましたし 恐らく希望者が一番少ないであろうから 沢山の授業数を任せてもらえて 沢山のバイト代を頂けるだろうと考えて 国語を選択しました。
大きな塾でしたから 国語の先生として 国語の教師崩れのオバハンを二人抱え込んでいました。塾の先生仲間と言う 極ごく小さな社会でしたが 私としてはそんなおばはん連中に偉そうに指示を出されるのが不満でした。ある時 そのおばはんたちが作ったテストの正解について 私がクレームを付けました。お互いの主張が譲らなかったので 塾としては言語学者に質問状を出して 回答をもらったのだそうです。幸い私の主張が正しいとの裁定が下りましたので それからは塾で発売している模擬試験の予想問題の国語の問題作成を任せられるようになりました。別に責任ある立場に立たされたからと言って 時間給が上がるわけではありませんでしたが 個人的には働きやすい環境になりました。
大きな塾の先生の時には 一応国語の先生のトップとして 懸命に頑張りましたし、小さな塾の先生をしていた時には 私が移動手段として自転車しかなかったので 結構遠方にあって いろいろと問題の多い教室を任されるために わざわざ塾から車まで貸与してもらっていたこともあります。相手は中学生ですから 下手に舐められてしまうと全く相手にされないし あまり高圧的にでると かえって反発を招くので 大阪から来たおもろいオッサンに徹して 生徒から勿論私の見てくれがよくないのもありましたから それほど好かれてはいなかったでしょうが あまり嫌われてはいない先生だったように思います。
特に岐阜での塾の先生は 楽しくもありましたが 何しろ生活が懸かっていましたから 必死で頑張りましたので それなりにやりがいを感じていました。特に女子生徒は胸が膨らみ始める年頃ですから おきにいりの女の子がいるクラスの授業はワクワクしていました。おきにいりの女の子を露骨にひいきして持ち上げ 男子で精神的に強くて落とされてもケロッとしている子を選んで思いっきり突き放しました。あまりに露骨なので 他の女の子からも特には不満の声は上がらず 突き放された男子を見て皆が大笑いするような 楽しい授業を繰り広げていました。
岐阜大学を卒業してからは 勿論塾とは完全に無縁の生活をしてきましたが たまたま読んでいた小説の主人公が塾の経営者でしたから 塾の先生時代を思い出してしまいました。余裕があれば 週に一日ほんの数時間でもいいから 又塾の先生をやってみたくなりました。ネットで調べたら この近所にも沢山の塾があり 先生の募集をかけている所も少なくありません。こんな年寄りが応募しても 恐らく採用はされないでしょうが 一度チャレンジしてみたくなっています。

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