11月16日  本日は幼稚園の日なのだそうです

1876年の本日 東京女子師範学校付属幼稚園が日本に初めて開園したから 幼稚園の日なのだそうです。東京女子師範学校とは 現在のお茶の水女子大の事なのだそうです。私も幼稚園に通った記憶があります。聖母女学園付属幼稚園です。聖母女学園というのは キリスト教系の上品な女の子が集まる 由緒正しい学校だと思います。何故か幼稚園だけは男女共学だったみたいです。

私は生まれたのは福岡県で恐らくあちらでも幼稚園に通っていたのであろうと思いますが 父の仕事の都合で秋に大阪に引っ越してきました。福岡での幼稚園での生活は 全く記憶にないので 特に楽しくも 辛くもなかったのだと思います。年度の途中からなので 聖母幼稚園への編入テストがあったのを覚えています。

かなり特殊な雰囲気だったからだろうと思いますが 凄く幼い時の事なのに その場面は不思議とはっきり覚えています。私の他に男の子と女の子が一人ずつ合わせて三人でテストを受けました。三人から少し離れた机の上にいろんなものが置いてありました。先生が「ミカンとソロバンを持って来てください」といいました。他の二人はすぐに机に駆け寄りましたが 何をつかめばよいのか迷っていました。私はのんびりと最後に机に近づいて ミカンとソロバンと持って先生に渡しました。その場で誕生日を尋ねられて「5月23日」と答えたように思います。

それで編入テストには合格しました。他の二人がどうなったのかは知りません。でもこの合格が私を不幸のどん底に陥れました。幼稚園ですから 普段やることはお絵かきやお遊戯だったと思います。私の父は油絵を趣味としていて 米寿がもうすぐの現在でも描き続けています。私は絵を描くのが苦手であり 大嫌いなので 父の絵が上手いのか下手なのか分かりませんが コンクールで 割とコンスタントにそれなりの賞を貰っていますから 素人としては上手なのだろうと思います。

そんな父の息子ですが 私は本当に情けなくなるぐらいに絵が下手糞です。自分が情けなくなるので 絵を描くこと自体が大嫌いです。それから私は子供の頃から捻くれたガキでしたので 女の子と手を繋いでやるお遊戯が 勿論苦手であり 当然大嫌いでした。お絵かきやお遊戯を強要される毎日は当然苦痛でした。

でもそれ以上に私が苦痛だったのは 毎朝園児がみんな集まってやるお祈りの時間でした。私は現在もそうですがガキの頃から無神論者なのです。修道女のカッコをした外国人が 恐らく園長先生だったのでしょうが 毎朝わけの分からんお説教をします。その後手を合わせて 多分ほんの数分間だったのでしょうが お祈りをさせられました。

私は神に会ったことも声をきいたことも無いのでその存在を実感できません。その様な存在を信じることは出来ませんでした。だから愛朝必ずお祈りさせられる意味が全く理解できませんでした。そこで私はコシャマクレタガキだったのである日は 「神様を尊敬しお慕い申し上げます。 どうかわたしをよい方向にお導きだくさい。」と殊勝な気持ちで一生懸命にお祈りしました。

その翌日には「神様なんているわけないじゃん、なんでお祈りなんかせなあかんねん。」と思いきり罰当たりな気持ちでお祈りの時間を過ごしました。そして一生懸命にお祈りした日と 罰当たりの気持ちでお祈りの時間を過ごした日で 何か違いがあるのかを 出来うる限り客観的に比較検討しました。

結果としては 当然ながら何の違いもありませんでした。従って私はお祈りの時間は全く無駄な時間であると結論付けて なるべくサボろうとしました。お腹が痛いからといって 保健室みたいなところで横になってしました。所が お祈りの時間が終わると治ってしまうし お腹が痛いのが三日も続いたら さすがに仮病が通用しなくなってしまい お祈りに参加させられました。キリスト教系の幼稚園ですから 園長先生からのお説教とお祈りの時間が 一番大切な時間だったのかもしれません。そんな事で私にとって幼稚園とは 本当に苦痛ばかりの地獄のような場所でした。卒園して小学校に上がった時 当然近所の公立の小学校ですから お説教とお祈りの時間なんてありません。小学校の方が幼稚園よりも私にとってはよほど楽しくて居心地の良い場所でした。

私の一人目の奥さんが長年幼稚園の先生をしていました。自分にとっては幼稚園は地獄のような場所だったと話したら その奥さんは勿論いろんな幼稚園の事情に通じていますから 聖母幼稚園というのは宗教系であり この辺りでは一番規律に厳しい幼稚園らしくて 私にとっては最悪の相性だったみたいです。宗教がらみでなければ勿論お説教やお祈りの時間はないし、 もう少し好き勝手にさせてくれる幼稚園が多いとの話でした。

そんな事で幼稚園には全然良い思い出がないし お世話になった先生の顔も名前も全く覚えていません。小学校の先生は一年生の担任が曽我部節子先生で 二年が村上弘子先生で、三年が武内千枝先生で顔立ちまで覚えています。私としては別に幼稚園は義務教育じゃないのですから 行きたくない子には無理して通わせないようにしてあげて欲しいと思います。

 

 

 

ブログ一覧