12月29日 お正月休みがたっぷりで羨ましい

 今年は曜日の巡りがいいみたいで 土日お休みの会社なら 普通に三が日お休みとして 28日から一月の5日まで9連休になりそうです。恐らくお役所とかも同様なのではないでしょうか。私は十二月に手術で病院を月曜日から月曜日まで八連休しましたが 最後の月曜日には昼ごろ退院しましたので夕方に二件の急患からの電話があったのでを診察しました。久しぶりの診察で懐かしくて嬉しくてわくわくしたのを覚えています。私には実質何もしない入院での八連休は手術を除いては非常に退屈であり、私の人生において無駄に過ごした一週間、もったいなかった一週間のように思ってしまいます。まあ現在術後の経過が凄く順調だからそんな我儘な感覚になっているのかもしれませんが、サラリーマンやお役所にお勤めの方は この九連休どのような気持ちで過ごされるのでしょう。勿論最初の数日は仕事から解放されたのですごく楽しいだろうと思います。でも後半には退屈してきて早く仕事に戻りたくなったりしないのでしょうか。

 私の仕事は仕事をすればするだけ収入につながるわけで だから患者さんが来院してくださることは ぶっちゃけた話 有難い事なのです。生きていく為に そして愛する奥様を養っていく為に収入は必要です。でも金儲けの為だけにやっているのでは決してありません。やはり動物病院の仕事が好きなのです。 病気やけがで苦しんでいる動物が少しでも楽になり元気になることに少しでもお役にたてることが出来たなら正直な気持ち嬉しいですしやりがいを感じられます。

 ここで唐突に過去を振り返ってみますと 私は普通に立命館大学理工学部化学科を卒業して 普通に塩野義製薬に就職しました。職種はいわゆるプロパーと言って担当する大学病院に出かけて お医者様に自分の会社の薬を使ってもらうための営業活動です。ドクターに薬の効能効果を説明する製薬会社の社員らしい仕事も全くないではありませんが、殆どやっているのは男芸者です。ドクターに文献のコピーを頼まれて図書館を駆けずり回ったり、学会に出かけるドクターの飛行機のチケットを手配したり、引越しの手伝いに駆り出されたり 勿論接待活動としてドクターを食事や飲み会に誘って御相伴にあずかったりもします。私はお酒が殆ど飲めませんが そんなことは言ってられないので 飲みたくない酒を付き合わされて下呂を吐きながらも 懸命に頑張ったつもりです。

 薬のパンフレットを一ページずつ切り離して 毎朝病院の外来の先生の机の上に置かせてもらう事を思いついて 看護婦さんにお菓子を配って机に置かせてもらう事の許可をもらいました。このPR活動が思いのほか効果があったみたいでした。お菓子をたっぷり渡した看護婦さんからの援護射撃もそこそこあったみたいですが。薬に興味を持ってもらったドクターと個人的に仲良くなってそのつながりから塩野義の薬の処方量がアップしたりすると 嬉しくて 仕事にやりがいを感じた時期もないではなかったのですが 基本的にドクターからみたら 製薬会社のプロパーなんて虫けらみたいな存在だと実感した時に この仕事を続けるのは無理だと思いました。まだまだプロパーとして半人前の段階で 見切りをつけるのは如何なものかとかなり悩みました。塩野義製薬と言えば名の通った大企業ですし、頂くお給料も待遇もすこぶる良かったですから。

 でもやはりやりがいの持てない仕事を一生続けていける自信が無かったので 退職することを決意しました。塩野義製薬にも中途半端で投げ出して大変にご迷惑をかけたと思っていますが 自分の人生の方が大切でした。会社を辞める人は幾らでもいるでしょうが すぐにまた就職活動を始めて勤め先を見つけようとするのが普通でしょう。ただ私は次の仕事を考えた時に 本当に自分がやりがいを感じられるのはどのようなものかと真剣に考えました。二度と失敗はしたくなかったからです。高校を卒業した時には何となく動物に関わる仕事がしたくて獣医学科を受験しました。所が獣医学科には合格できず 高校の時に物理よりも化学の方が得意だったというだけで受験した理工学部化学科に進んだために 今回のような失敗をしたのだと気づいて やはり本来目指していた獣医師になることが必要であるという結論にたどり着きました。

 その時二十四歳でしたから 相当に人生を回り道することになりますが 二度と失敗したくなかったので もう一度獣医学科を受験することに決めました。そもそも現役の受験生の時に不合格だったのに今更受験勉強をやり直して 合格できるのかどうか全く分かりませんでした。私が現役だったころと受験のシステムもカリキュラムも全く変わってしまっていたからです 。私が現役の頃にはそもそも共通一次試験さえありませんでした。獣医学科も私立なら多少は合格偏差値の低い大学もありましたが 授業料がべらぼうに高いので 国公立大学が必須条件です。

 地理的には大阪府立大学がベストであるのは間違いありませんが だとすると自宅から通学することになります。私は一度私立の大学を卒業させてもらっているので 二度目の大学生活は学費も生活費も全て自分で払いたかったので 自宅から通学することを避けるために二番目に近い岐阜大学を選びました。

 会社を辞めてからまず私がしたのは立命館を同期で卒業して高校の教師をしているものを捜して まず教科書を譲ってもらう事を頼み 受験のシステムを教えてもらいました。大学時代に混声合唱団に所属していたのでその伝手が役立ちました。受験勉強は高校生の頃には 勉強する範囲は広いし何をどこまで勉強すればよいのか曖昧で 無計画に手当たり次第頑張ってみたのですが 合格点に到達できませんでした。

 一旦仕事を経験すると受験勉強にも応用できました。要は受験日までに合格できる技術を習得すればよいのです。過去の問題を分析して合格に必要な点数を割り出し その得点に到達する準備のスケジュールをきちんと立てて あとはそのスケジュールに従って勉強をするだけでした。二十歳前後の頃に比べて記憶力や理解力が多少衰えていたのかもしれませんが 厳密にスケジュール通りに勉強して予定通りに得点する力を身に着けていきました。

 それから 私は根性なしのあがり症ですから 試験慣れするために 模擬試験をやたらと沢山受けました。受験料もばかにはならないけれども本番で落ち着いて実力を発揮するためにしつこく模擬試験を体験しました。そのおかげか 本番の共通一次は京都大学で受験しましたが 非常後ついて受験できました。ただ隣に座った受験生から 「何だこのオッサンは」と冷たい視線を感じましたが 実際に大学に入学すればそんな視線と六年間過ごさなければならないわけで そのような視線にも慣れられたので 模擬試験は有難かったです。

 共通一次を無事に終えて 二次試験を岐阜在住の合唱団の先輩のお宅に一泊させていただき受験しました。その先輩は合唱団にいた頃から凄くお世話になっていましたが 岐阜大学に行ってからもまたまた大変お世話になってしまいました。その先輩が福井に転勤された時には 福井にちょくちょく遊びに行ってお世話になり 現在は東京に転勤されたので ディズニーランドに遊びに行った時などに 食事をご一緒したりして更にお世話になっています。大学の先輩は本当に有難いものです。

 さて六年かかってなんとか岐阜大学農学部獣医学科を卒業して 二年間ほど動物病院で研修してから 現在の地で開業してなんとか今日を迎えております。開業してからすぐに結婚をしましたが 上手くいかず離婚を経験してから 現在の奥様と巡り合えました。少なくとも私は奥様と死ぬまでお付き合い願おうと思っていますが いつ見捨てられるか分からずひやひやしながら 毎日を生活しています。今日のブログを書き出した時には こんな私の暗い過去をダラダラ書くつもりはなかったのですが 勢いで書いてしまいました。人生波乱万丈と申しますが 私の人生はこれまでで十分に波乱に富んでおりますので これからは平穏無事にのんびりと過ごせればよいと願っております。

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