12月5日 高1の時の一番の仲良しの友人と夫婦同士で食事をしました

高校時代の同窓会が 学年単位で春に行われましたので 参加したことはこのブログでも報告しました。高1の時のクラス単位での同窓会が秋に行われて 参加したことも同じくブログに書きました。その時に高一時代に一番仲の良かった友人と再会しましたが 僅かな時間ではゆっくりと話が出来なかったので 改めての再会を約束して本日互いに奥さんも交えての食事会を開いたのです。彼は高校卒業後 文系のクラスにいましたから 大阪市大の本人に確認はしておりませんが 恐らく経済学部辺りをを卒業して 近鉄に就職したのだそうです。立派な大学を卒業して 一流の企業に就職してずっと勤めあげてきたのですから 順調な人生を歩んできたのだと思います。
高校の一年生の時に たまたま同じクラスになり 話が合ったので 一番一緒にいることが多かった級友でした。当時は 麻雀が男子高校生の遊びとしては メジャーな存在でしたので よく互いの家で泊りがけで徹夜麻雀を楽しんだものです。四条畷高校は 私たちの学年から 学区改変が行われて 大阪第四学区のトップ校になりましたので クラスで勉強のできる最上位の子ばかりが集まっていました。私も別に自惚れていたわけではありませんが そこそこお勉強のできる部類の人間だと勘違いしておりましたが 初めて定期試験を受けた時に ウッカリすると平均点を下回るので かなり焦ったのをよく覚えています。
私もその友人も 下手したら落ちこぼれてしまいそうな状況に 生まれて初めて感じる 相当な劣等感を共有していましたので 特に話が合ったのかもしれません。彼はもともと守口辺りに住んでいましたが 入学するのと同じタイミングで 泉南地域に引っ越したので 通学に時間がかかるから クラブ活動を諦めたようです。私は合唱部に入ろうと思いましたが 雰囲気が自分に合いそうになかったので 無理して入部して波風を立てるのも 気が進まないので 諦めて三年間部活動はしないで過ごしました。その反動で 大学に入ると 直ぐにサークル活動として混声合唱団に参加して どっぷりと浸った生活をしたのかもしれません。
一年生の時には 凄くよく話をしましたが 二年三年と 別のクラスになってしまったので 自然と疎遠になってしまったようです。卒業してからは 進学した立命館大学が 少なからずコンプレックスになってしまったので それ以降の高校の集まりには 一切参加しませんでしたので その友人とも全く縁が切れてしまっていました。そして人生の大きな節目である還暦を迎えて 催された同窓会に思い切って参加してみて その事がきっかけになって その友人とも凄く久し振りに再会しました。とても懐かしかったし ジックリと話したかったので 本日個人的な再会の場を作りました。彼の奥様とは初対面でしたが 気さくで話し易かったので 直ぐに打解けて話す事が出来て 楽しい時間が過ごせました。私の奥様は 人見知りをしないので 直ぐに誰とでも親しくなれる性格ですから 友人ともその奥様ともすぐに親しくなって 楽しくて有意義な時間をを過ごしてくれていたように思います。
私にとって 彼はかなり影響力を持った存在です。私は高校時代から 人間相手ではなくて いきものを相手の仕事をしたいと考えていましたが その事を彼に話すと かなり懐疑的な意見を述べました。高校生としては仕方がないのかもしれませんが いきもの相手の仕事と言えば 理学部の生物学科にでも進学して 研究者としての道を歩むことを おぼろげながら夢見ていましたが その方面に進んで 所謂学者として身をたてることは かなり難しいだろうと言ったのです。
確かに 名の通った大学の理学部は 入学するのにはかなりの学力の高さを求められるでしょうし 例え運よくそのような場所で勉強する為機会がつかめたとしても その後長年にわたる懸命な努力を継続することを求められ続けて行く人生が待っているでしょう。私のようなグウタラな人間に そのような険しい道のりは とても歩んでいけそうにありません。ほんの数か月同じ教室で学び 語り合いともに遊んだ友人に 私の本質的な部分を見透かされてしまったことが 初めての経験だったので かなり驚きましたが 逆にうれしい気持ちにもなりました。
私の人生は 一度普通の大学を出て一般企業に勤めてから どうしても動物相手の仕事がしたくて 結局獣医さんの道を選択しましたが 動物を相手にしていて 比較的身を立てやすい職業に進むことになったのは 彼から高校時代にもらったアドバイスのおかげかもしれませんでした。そこで 現在の私にとっての一番の懸案事項である 仕事を引退してからの移住先についても アドバイスを求めてみました。偶然かもしれませんが 彼は現在不動産関係の仕事についていたからかもしれません。
取り敢えず私は 仕事を辞めてしまったら 奥様と二人で静かにのんびりと生活していきたいのです。その為には ある程度の自然がたっぷりとある環境が望ましいのですが 病気を患っている身なので そこそこ信頼できる病院や 食料品や日用品を買い物できるお店が 近所にあると助かります。ゆったりと暮したいので 出来たら二百坪以上の土地が欲しいです。奥様と二人で 静かに暮らすだけですから 二十坪位 間取りとしては2LDKもあれば十分なので 客観的に見ても それほど贅沢を望んでいるわけではないつもりです。
私は 人よりも大きく回り道をしましたから それ程大金を貯め込んでいるわけではありませんので 金額的な上限もあまり高くありません。そんな私の我儘な望みを叶えてくれそうな土地を探すのには かなり苦労しそうです。取り敢えず彼からもらったアドバイスは いきなりそこの土地に住むことを決めてしまわないで そのご近所辺りでしばらく仮住まいでもして その場所の気候や土地柄 ご近所さん付き合い 等を体験してみて そこの土地柄をよく把握してから移住するべきだという事でした。確かに いきなり勝負をかけて移住してしまうのは 軽率な行動かもしれません。但し私の老後はそれほど時間的な余裕がなさそうなので あんまり悠長に構えてもいられないのかもしれません。
年が明けてからの旅行は 彼が地方で住むのなら大分県をおすすめしてくれました。奥様がたまたま大分の出身なので 大分県にはもともと関心がありましたし 私の注目していた移住先プロジェクトが存在していましたので 急に移住先候補地として浮かんできました。年が明けて寒い時期の旅行先として 大分県に出かけてみようかとも思うようになりました。私が移住先として一番に考えていたのは 暖かい南の島 石垣島が移住先候補の一番手でした。但しそんな南の果てに住んでいたのでは 日本全国津々浦々をキャンピングカーで回ってみたい と言う引退後の最大の楽しみにとっては 大きなハンディになると 友人から意見されて それでは日本と言うか本州の中心に位置する 長野県か静岡県辺りがいいのではないかと考えて 何度か尋ねてみましたが もう一つ決め手に欠けていました。
そんな時に 九州の大分県と言う暖かな地域が候補地として急浮上してきました。引退してからの移住先と言う 私の残りの人生がかかった 非常に重大な決め事が 友人の意見で簡単に左右されてしまいそうで 幾つになっても優柔不断な自分の性格にも呆れてしまいますが まあここは本日いただいたアドバイスに従って 取り敢えずはその地でしばらく生活してみて 本当にその場所に自分が済みたいと感じられるのかどうか 試してみることが賢明な判断をするためには いい方法なのかもしれないと考えるようになりました。
本日再会して ゆっくりと話した友人は またまた私の人生にとって大きくて有益なアドバイスをしてくれたのかもしれません。今後とも末永く仲良くしていきたいと強く思いました。

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