2月1日 沢村投手の誕生日だそうです

 プロ野球の沢村賞で有名な沢村投手の事です。今でも語り草になっていて 沢村投手を伝説化する投球が1934年の11月20日 静岡県草薙球場での全日本選抜とメジャーリーグ選抜の試合です。この試合で沢村投手は先発完投して ルーゲーリックの本塁打による一失点にメジャーリーグ選抜打線を抑え込んだのです。(試合結果は0対1の惜敗)この年の全日本選抜の対メジャーリーグ選抜の成績は0勝16敗で他の15試合は大差のボロ負けでした。当時の日米野球の実力の差は歴然としていました。

 その状況での沢村投手の快投は確かに特筆すべきかもしれませんが この対抗戦で他に四試合投げてその全てで沢村投手は滅多打ちにあっています。当時の草薙という地方球場の事ですから マウンドや球場の構造などグラウンドコンディションが 何かしら沢村の快投に味方したのかもしれません。 現在のプロ野球でも年間二、三勝しかできない程度のピッチャーが たまたまベストコンディションで 相手チーム打線が手も足も出ないような快投を見せることが 極ごくたまにあります。沢村投手の草薙球場での快投も たまたまその様な幸運に恵まれたのかもしれないと私は思ってしまいます。

 その根拠はプロ野球選手となってからの成績です。通算五年間で63勝22敗防御率1.74はそこそこ立派な成績です。度重なる兵役に駆り出されて肝心の右肩を故障したり、負傷したりして野球選手として万全の状態ではなかったのは事実でしょう。但し相手チームはプロ野球の創成期ですから一応プロ野球チームと名称はついていますがアマチュアに毛の生えた程度の寄せ集め軍団です。

 沢村投手の投球の鮮明な映像が残っていないので 現在のプロ野球の投手と客観的に比較することはできませんが 少なくともプロ野球選手としての成績だけを見れば 勿論素晴らしい成績だとは思いますが 伝説的に語られているほどの投手であるのかどうかは疑問だと思います。只、27歳という若さで戦死されたので ジェームスディーンのように余計に伝説化されやすかったのかもしれませんが 戦死された時には沢村投手はプロ野球選手を引退していました。現在の感覚なら27歳といえばプロ野球選手として脂の乗り切った全盛期かもしれませんがすでに現役選手ではありませんでした。正確に表現すると巨人を解雇されていたのです。

 沢村投手は京都商業を中退して全日本選抜に加わりました。本来なら京都窯業を卒業すれば慶応大学に推薦入学が決まっていたのに 巨人の正力ナンチャラという嘘つき男が 「一生巨人でめんどうをみるから」と言って強引に中退させて巨人に引っ張り込んだのです。従って沢村の学歴は中学中退となり頻繁に兵役を課されたのです。もしも、慶応大学で理系の学部にでも進学していれば 兵役は免除されて 軍隊で肩を故障したり 負傷したりして選手寿命を縮めることもなく 勿論戦死することもなかったのかもしれません。「一生巨人で面倒をみる」という巨人の大嘘を信じたために何度も兵役に駆り出され それがもとで故障や負傷を抱えて 実力が低下したら 直ぐに解雇されて 失意のうちに戦死されたのです。

 全く巨人の自分たちさえ得すればそれでいいという体質は 昔も今も全然変わっていなかったという事だと思います。本日はそんな巨人という卑劣な球団によって 野球選手としての寿命も 人間としての寿命も縮められた とっても不幸な沢村投手のお誕生日というお話でした。

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