3月1日 1810年の本日 ショパンが生まれました

ピアノに全く興味も縁もない人でも ショパンの名前を知らない人は おられないように思います。私は 見た目からは意外に思われるかもしれませんが ピアノを十年以上 先生について習いましたので 下手したらピアノで飯を食おうかと考えたことがある位の腕前なのです。幼稚園の時に友達に誘われて木琴教室に通い始めました。小学校に上がると 木琴の発展した形の楽器 マリンバを習うようになりました。
妹が 幼稚園の時オルガン教室に通いだして やはり小学校に上がった時に 近所のピアノ教室に通うようになりました。私は小学校の三年生になっていましたが 妹がピアノを弾いているのを見ていて 私も弾いてみたくなり 両親に頼んで ピアノとマリンバの二足のわらじを履くことになりました。練習は毎朝三十分ずつ頑張る習慣がつきました。当時は 2DKのアパートに住んでいましたから 相当にご近所迷惑だったろうと思います。何しろ私は毎朝 六時半から 三十分ピアノの練習をして 七時から三十分マリンバの練習をしてから 朝ごはんを食べて学校に出かけていました。勿論日曜日も同様の時間帯に練習をしていました。
私が朝に強いのは 血圧が高めだからかもしれませんが 子供の頃から早起きの習慣が叩き込まれていたからかもしれません。まあ小さな子供が弾いているのですから 大したボリュームではなかったのかもしれませんが 周囲の人を楽しませるレベルではなかったはずですし 薄い壁一枚の安物のアパートですから ご近所さんたちが 温かい心で受け止めて頂いていたおかげで 大したもめ事も起っていなかったように思います。妹は昼間の普通の時間帯に練習していましたが 私は学校から帰ってからは 友達と普通に遊びたかったので 朝の練習は それなりにしんどかったけれど それほど苦痛には感じておりませんでした。
それとある程度大人になってからは 男がピアノを習っているというのは 恥ずかしくありませんが 子供の頃には恥ずかしくて とても友達には話せない習い事でした。特に私はマリンバとの二足のわらじでしたから 楽器の習い事を二つなんて 絶対に友達には秘密にしていました。只中学校の時の部活は 何とバレーボールでしたから 突き指をしやすいスポーツで ピアノと並行してやっていくのは 相当に苦労しました。
そんなに苦労しながらもピアノの練習を頑張っていた私にとっては ショパンはやっぱり一番好きな作曲家でした。大学に入ってからは 好き勝手に自分の弾きたい曲を練習するようになってからはベートーベンのソナタにもチャレンジしましたが ショパンのワルツやエチュードをよくチョイスしておりました。同じ学科の友人に ものすごくピアノの上手なのが一人いました。私も十年以上習っていたので そこそこピアノには自信がありましたが 正直足元にも及ばない位のレベルの達人でした。
その友人が ショパンのバラードやスケルツォ等の凄く難しい曲を さらりと弾きこなしていました。私も己の実力をわきまえず 無謀にもショパンのバラードにチャレンジしてみましたが 人間は器の大きさが決められているみたいで どれだけ繰り返し練習しても 自分で納得のいくテンポでは弾きこなせませんでした。ショパンは作曲家であるとともに 勿論一流のピアニストでしたから 間違いなく自分の作品は 思い通りに弾きこなしていたはずです。わずか39歳で亡くなられていますし 幸せな家庭を持っていたわけでもなさそうですから 客観的に見て本人としても それ程幸せを実感していなかったのかもしれません。でも自分の作品を 自分の好きなように弾きこなせたのなら 私にすれば羨ましい事この上もありません。私はショパンのバラードの一番のコーダの部分を自分の思い通りに弾きこなせたなら 最高に幸福を感じられると思います。
私の人生の三分の二よりも短い生涯でしたが 没後二百年近く経っても 未だにピアノを弾くものにとっては 憧れを抱く存在ですから 凡人の私などには理解できるはずのない 素晴らしく充実した人生であったはずだと信じております。私の一番の親友は モーツァルトの信奉者で ショパンの音楽をチャライとか薄っぺらい等と 小馬鹿にしております。私から言わせれば 確かにモーツァルトの作品は多岐に渡りますし 一つ一つの作品の完成度も高いとは思いますが それは彼が単に才能に恵まれていて その才能を楽譜に書き記しただけのように感じてしまいますので あまり尊敬の念を感じる作曲家とは思えません。
久し振りにショパンのバラード集を ずっと昔から一番大好きなピアニスト アシュケナージの演奏で 聴きなおしてみて 若かった頃 ピアノに情熱を傾けていた時代を思い出してみようと思います。

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