3月25日 本日は25日ですから サラリーマンの人たちはお給料日なのでしょうか

私は一つ目の大学を卒業してから 三年ほど塩野義製薬と言う立派な会社でサラリーマンをしていました。その時の給料日が毎月25日でした。当時数人の友人に聞いたら その会社は給料日が 十日と二十日でしたから 会社によって全然異なるようですが やはり25日がお給料日の会社が一番多いのではないでしょうか。公務員の場合 月半ばと言うイメージがありましたから 調べてみると一口に公務員と言っても 仕事の内容によって16日、17日、18日辺りが一般的みたいです。
私は サラリーマン時代 分不相応な待遇を受けていました。一人暮らしなのに 2LDK位のアパートを用意してもらっていましたし 家賃は勿論会社が支払ってくれていました。車も支給されていましたし ガソリンもカードを預かっていましたから一銭もかかりません。仕事は 他の会社に勤めたことがないので比較できませんが それなりに相当にハードだったとは思います。お給料も薬屋さん業界では 中ぐらいだったように思いますが いわゆる営業手当的な収入も含めると 入社一年目から かなりの高額を頂いていましたから 金銭的に切迫したことは全然ありませんでした。何しろ私は 当時から全く自分では飲みに行きません。営業の仕事ですから お医者さんを接待して 結構上等のお店でご相伴には預かっておりましたけれど。
勿論ギャンブルなども一切しないし 煙草などのカネのかかる嗜好品には 一切手を出しておりませんでした。性欲は人一倍強かったように自覚していますが 彼女持てない私ですから 勿論出来なかったし お金のかかる風俗遊びも これには大いに興味がありましたが 性病などが怖くて全然手をだしていませんでした。もっぱら一人でしこしこしていましたから ティッシュの消費量は多かったかもしれませんが かかるお金は知れています。そんな訳で殆ど食費しか出費していないような生活でした。私は自炊が得意でしたから と言うか作ってくれる女の子がいませんでしたから 仕方なく自炊の腕が上達したのでしょう。その為に外食するよりはかなり安く上がっていたはずで お金は銀行の口座に貯まる一方でした。
給料日と言っても 塩野義は 銀行振り込みでしたから 会社の自分の書類入れの中に 橋梁明細の紙切れが入っているだけで 普段と全然生活が変わるわけではありません。紙切れ一枚受け取るだけなので 全然嬉しくもないし 気に留めてもいませんでした。二三年先輩の方がいましたが その方は暇さえあれば 飲み屋さん通いをしていましたから 給料日前になると手持ちの金が足りなくなるみたいで 何時も給料日にはニコニコしながら 飲み屋さんに繰り出していました。私は飲む事やギャンブルには一切興味がありませんでした。性欲だけは二十代前半でしたから ふつふつとわき立っておりました。
別に性欲のはけ口を求めていたわけではありませんでしたが 会社の事務の女の子をコッソリとデートに誘ったりしました。その子が凄く可愛くてスタイルもよかったのに 私の様なもてない男からの誘いを 嫌な顔一つしないで いつも機嫌よく受けてくれていましたから 周到に準備をして 丁寧に手順を踏んで 上手に雰囲気を作れば ものにできたのかもしれませんが 私は女性にもてた経験が一度もありませんでした。高校時代の修学旅行の時に 好きな女の子に告白して 凄く冷たくあしらわれてしまったことが トラウマになってしまっておりましたので 可愛くてスタイルの良い 非常にチャーミングな女の子が 私なんぞと付き合ってくれるなどとは 決して考えらませんでした。今思うと犯罪行為になるのですが 深夜の絶対に誰も戻ってこない時間帯に こっそり会社に戻って その子のロッカーにかかっている制服の臭いを嗅ぎながら オナニーするのが関の山でした。まるで高校生みたいで 恥ずかしい事この上ありませんが 本当に申し訳ございません。
給料日にまつわるエピソードを書こうと思って書き始めましたが とんでもない恥ずべき行動を告白してしまいました。給料日についての思いでは 塩野義時代には全然ありません。岐阜大を卒業して 動物病院で修行を積んでいる時には はっきり言って非常に安月給でしたから 年がら年中金欠病でした。給料日が来てももらえるのは ほんのスズメの涙でした。塩野義時代の方がよほど恵まれておりました。常にお金がない時代には 例えわずかでも受け取れる給料日は やはり月末の25日でしたが 楽しみにしていました。従業員一人一人に現金が手渡されましたから 非常に薄給ではありましたが 一応は嬉しそうな表情を浮かべなければならず 複雑な心境でしたが その日だけは 帰り道にちょっと豪華な外食をして帰りましたから ほんの一瞬幸せを感じました。やはり給料日と言うのは 貧しい時代には 嬉しいものだと思います。
自分が開業してからは 必要に応じて病院にある現金から 自分の財布に入れておりました。開業当時は 自分で申告の作業をするわけでもないので 毎日真面目にコツコツと働いておりましたが 一体自分の病院が儲かっているのか儲かっていないのか全然見当がつきませんでした。只 月々の経費などを支払い 借金を返済し 何とか生活できていましたから それなりに利益は出ていたのだと思います。奥様には 毎月月末に決まった金額を生活費として渡していますが 経営者である私には当然給料日がありません。ここ十数年は 完全に自力で決算して 確定申告書を書き上げておりますが 未だにうちの病院が儲かっているのかいないのか 殆どピンときておりませんから 自営業とはその辺りの状態が分り辛いのかもしれません。まあ毎年目標とする金額を貯蓄できていますし 奥様と最低限度ではありますが それなりに楽しく生活できていますから これ以上の事は求めません。何とかこんな状況があと数年続いてくれたら のんびりとした老後につながることを信じて 日々頑張っていこうと考えております。

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