3月9日 東日本大震災から七年が経ちました

関西人としては どうしても阪神地方に起こった震災の方がずっと昔の事ですが 印象に残ってしまっています。その時も自分には 全く被害がありませんでしたが 沢山の方が亡くなられました。毎日被災して亡くなられた方の人数がどんどん増えていくのに 凄くやりきれない気持ちになったのを覚えています。東日本の震災は 同じ日本 狭い日本ではあっても 殆ど行ったことがないので 全然馴染がない地方の事なので 同じ日本の方が凄くひどい目にあわれたのに 時がある程度過ぎ去ってしまうと 申し訳ないけれども 忘れ去ってしまっています。
たまに東北の現状がニュース番組などで 報道された時に 未だに仮設住宅で暮らしておられる方がいらっしゃることなどに 驚くとともに 正直な気持ち悲しくなってしまいます。仮設住宅なんて 現物を見たこともありませんが 恐らく寒くて 不便だし プライバシーも十分に守られていない環境だと想像します。帰れるものなら一日も早く自宅に戻りたいはずです。仮設住宅が気に入ってしまって 居座っている人なんて恐らく一人もいらっしゃらないと思います。人間はのどもと過ぎればあつさをわすれるといいますし、靴を踏んでしまった方はその事をすぐ忘れるが 踏まれた方はその事をずっと覚えているとも言います。
震災などの大事件も 自分が被災者になってしまい 直接関わり合いを持たなければ いつの間にかニュースなどで報道されることも少なくなり 知らず知らずのうちに記憶が薄れていくのは 致し方のない事かもしれません。日本が世界で唯一の原子爆弾による被爆国であることなども 世代的にも 地域的にも 正直私には全く関わり合いのない事なので どこか他人事のような捉え方しかできず どんどん風化していっています。人間嫌な事 不幸なことは忘れることが 唯一の心の傷の治療法なのかもしれませんが 時を経ても忘れ去ってはいけない キチンと語り継がなければならない事があるのは 間違いない事かもしれません。
ニュース番組で 震災の年に生まれた子供たちが 震災と自分たちの関わり合いについて考えてみる特集が組まれていました。自分が生まれた年に起こった出来事だし 遠く離れた地域であるわけですから 自分たちの国に関わる事として捉えて 考える事なんて 無理な話だと思います。でも子供たちが純粋な気持ちで 同胞が受けた大きな被害を 何とか自分たちにも関わる出来事として捉えようとしている姿には 心打たれました。
年月が過ぎ去ると 自分と直接関わり合いのない事だと どうしても忘れ去りそうになります。本日もたまたまちょうど七年目と言う事で ニュースで報道されていましたので 久し振りに震災の事を思い出しました。同じ日本人が 何にも悪い事をしていないのに それまで順調に歩めて来ていたかもしれない人生を 棒に振ってしまった方も少なくないのだと思います。でも人間はどんな不幸に突然襲われても 何時までも嘆いてへこたれていられないのです。元気に 立ち直る方向に向かって 歩きださなければならないのです。
私の人生も これまで普通の人よりも大きく回り道しましたから 順調とはとても言えたものではありませんが 何とかのんびりした老後を過ごせそうなので 取り敢えず現在の時点では 感謝しなければいけないと思っております。勿論今後に どんな不幸に見舞われるかもしれません。たとえどんなつらい出来事が起こったとしても 奥様さえ傍にいて にっこりとほほ笑んでくれていたら きっと乗り越えられる自信があります。只もし万が一にも 奥様が私のもとを去ってしまったら 私は一日でも元気に生きていけないのは 間違いありません。くれぐれも奥様がどこかに行ってしまわないように 出来る限り大切に大切にしようと考えております。

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