4月9日 父親に振られて暇な休診日

先日父親がふらっと倒れて入院騒ぎがあったことは このブログで書きましたがもう87歳の父親ですからいつ何があっても不思議がない事を改めて思い出しました。出来るうちに親孝行をしておこうと 柄にもなく父親を本当に今年で最後になるのかもしれないので 花見に連れ出そうと自分勝手に企画をしました。枚方カントリークラブのライトアップされた夜桜でも見に行こうと勝手に予定を立てて準備の心つもりをしていました。

休診日ですから夕方まだ明るいうちに到着して適当な場所を確保して 父親も年寄だし私も地べたに座るのは辛いので組み立て式のテーブルと丸椅子でも用意してそれに腰かけて楽な態勢で徐々に暗くなりライトアップされていく夜桜でも見物しようかなと考えておりました。

それで当日つまり本日の朝 天気も良いみたいだし寒くもなさそうなので 父親に電話をしました。普段はいつも暇そうにしている父親なので無条件にOKしてくれると思っていたら 今夜は生憎旧友が大阪に来たので 予定があり夜は時間が取れないとの返事でした。87歳にもなると同級生も殆どが亡くなっているので生き残っている友人は希少価値があるのでしょう。

勿論こちらが 勝手に暇だろうと思いこみ 独りよがりで心づもりをしていただけだし 具体的には父親の同意を得てから 料理の準備もしようと思って別にまだ買い出しにも行っていませんでしたから 別段断られたからと言って 何も損したわけでもありませんし嗚呼そうですかと諦めたら済む問題なのですが まさか父親に振られるとは思っていなかったので 結構がっかりしてしまいました。

今回は柄にもなく親孝行をしようとして 一人で思い込んで勝手に心の準備をしていて空振りに終わってしまい 結構がっかりしている自分に 情けなくて何となく恥ずかしい気持ちを感じてしまいますが 今回の事に懲りないで出来る親孝行を思いついたら実行に移す努力は続けていこうと思います。

私はこのブログを読んでいただいている方ならよくお分かりだと思いますが かなり気が短くて 割と簡単に切れやすい直情的な人間ですが 私の父親も今ではかなり丸くなりましたが かなりの直情型の人間だったと思います。子供の頃にはよくひっぱたかれました。まあ、自分が悪いと思う事なので黙ってびんたを受けていました。たまに納得が行かない時には反抗しましたが子供の頃は父親にかなうはずもなく更にびんたを余計にもらいました。

所が高校生になって身長も体重も父親を上回り 叱られて反抗した時に父親をはねつけてしまいました。体が父親よりもでかくなり体力的に勝るのはある意味当然かもしれませんが 父親をはねつけた時には 自分でもかなり驚きましたし 父親もびっくりした顔をしていました。

父親には絶対にかなわないと思っていたのに 単に体がでかくなったために体力的に勝っただけにすぎませんでしたが 私としてもかなりショックでした。父親も少なからずショックだったのだと思います。勿論それ以降も父親に説教をされる機会は度々ありましたが びんたを貰う事はなくなりました。父親も私と同様に勝てない喧嘩はしない主義みたいです。こんな所も私は父親にそっくりだと奥様にいつも言われてしまいます。

高校生位からは別に珍しい事ではないのだと思いますが なるべく父親とは顔を合わさないようにしていました。下手に顔を合わせると つまらない事で口論になるからです。サラリーマンだった父親はその頃かなり早くに出勤していましたから朝私が目覚めた時にはもういませんでした。帰宅するのも大体十時ごろだったのでその頃には夕食と入浴が終わっていますから 私は自室にこもっており殆ど顔を合わせることはありませんでした。

大学時代もそんな感じで殆ど父親とかおをあわせることがないので 当然ほとんど話をすることもありませんでした。就職が塩野義製薬に決まった時も事後報告だけで取り立てて相談することもありませんでした。会社を辞めてもう一度勉強をやり直して獣医科の大学を受験することも 自分だけで決めて実行に移しました。岐阜大学の獣医科に合格してから 開業獣医師としてやっていきたいことを やはり事後報告をしました。

勝手に会社を辞めて約一年間家に引きこもりましたが 何を考えて何をしているのかすら話しませんでした。私としたらちゃんと大学を出してもらって一流の企業に就職できたのに それらを全て投げ出して もう一度やり直そうと自分で勝手に決めた以上 中途半端な段階ではなくて一応の結果が出るまで 報告のしようがないと思ったからです。

何にも話さない私に対して 好きなようにひきこもらせてくれて寝る場所と食べ物だけは不自由しない環境を作って黙ってやりたいようにやらせてくれた父親には今でも大変に感謝しています。引きこもっていてもたまに外出した時に母親が部屋の掃除をしてくれて 部屋を見れば受験勉強をしていることは当然分かったと思いますが 何も口出ししないでやりたいようにさせてくれたから現在の私があります。

岐阜大学に合格した時に 父親に合格した事と将来動物病院を開票したいことを話した時に父親は喜んで涙を見せました。自分の息子だから部屋に籠って腐ってしまう事はないと信じていたけれど 相当に大きな心配をしていたことを口にされて さすがに私も声を出して泣きながら両親にお詫びしました。

そんな事があってからは 父親ともたまに話をするようになりました。私がお酒の相手が出来れば もっと簡単にいろんな話が出来るのでしょうが 情けない事に全くの下戸なのでお付き合いできません。まあ、今日は振られてしまいましたがこれにこりないで出来るうちに親孝行に励もうと思います。

そんなことで朝から張り切っていたのに 空振りに終わったので 何にもすることが思いつかなかったので久しぶりにカレーを作りました。例によって玉ねぎのみじん切りを大量に作って こんがり飴色になるまで丁寧に炒めて 大好きなジャガイモを沢山いれて 外国産の安いスライス肉大量に加えて寸胴鍋になっぷりと作ってしまいました。とにかく私が一番おいしくなることだけを考えて作るので 少なくとも私にとっては世界で一番おいしいカレーです。テレビや雑誌で紹介された美味しいカレーの店には何軒も回りましたが やっぱり私としては私の作ったカレーが一番おいしいと思います。

ただ私は糖尿病なので普段は血糖値を気にしていますがカレーを作った時だけはそのストッパーを外してしまいます。次回の血液検査が少し不安になりますが 自分のカレーを作った時位食べたいだけ食べる生活を楽しもうと思います。

 

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