5月15日 本日はイチゴの日、お菓子の日なのだそうです

イチゴの日というのは丁度ゴロがあっているからまあいいとしましょう。特に11月なら いいイチゴの日になりますから 何となく説得力があります。ではなぜ本日をお菓子の日にしたのでしょう。お菓子の神様を祀った和歌山県の橘本神社と兵庫県の中嶋神社で毎月十五日に例大祭を開かれていたから という説が有力ですが もう一つ別の説を唱える方も結構いらっしゃるそうです。四年に一度開かれる「大菓子博覧会」が初めて開かれたのが十五日だから という説です。

まあ厳密な事はどうでもいいですが 私の母の実家が福岡県の八女にある結構大きなお菓子屋さんでした。母が亡くなってからはますます疎遠になってしまっておりますが 小学生の頃には 夏休みに毎年お墓参りを兼ねて二週間ぐらい母と妹と三人で訪れていました。子供の頃にお菓子屋さんに滞在する日々はそれこそパラダイスでした。その頃は2DKの団地に住んでいましたが ばあちゃんの家は お菓子を作る工場までくっついていて 観光バスが休憩所にするぐらいお店も広かったので住居部分も部屋の数がいくつあるのか分からない位に大きな家でした。

私は子供の頃から割と早起きだったので 起こされなくても7時ごろには起き出しました。居間というかいつもご飯を食べる部屋に行くと小学校に上がるか上がらないかぐらいの年頃の従弟が 朝からデッカイカップのアイスクリームを食べていました。自分で買って食べたことがない大きさなので正確な価格は不明ですが 当時私がなけなしの小遣いで買っていたアイスが十円か奮発しても二十円の時代に 恐らくそのアイスは百円位したろうと思います。別にその日がその子の誕生日という訳ではなくて 極ありきたりの日常みたいでした。

子供心にお菓子屋の家に生まれたかったと真剣に思いました。ばあちゃんの家がうらやましかったのは お菓子がいくらでも食べられるからだけではありません。男の子でしたから 当時はカブトムシやクワガタが大好きでしたが 枚方市の団地ではなかなか捕まえることが難しかったのですが ばあちゃんの家の近所では ミカンの入っているネットに バナナに黒砂糖で作った蜜を塗ったものを入れて木の枝の上に置いておき 翌朝まだ暗いうちに出かけていくと でっかいカブトムシやクワガタ それも貴重なヒラタクワガタやノコギリクワガタなどがわんさか捕まえることが出来ました。ヒラタクワガタやノコギリクワガタは大切に大阪に持ち帰り友達に見せびらかして自慢して回りました。

朝ごはんを食べ終わると 午前中は従弟の部屋で漫画を読みふけります。昼ご飯を食べると近所の川まで泳ぎに出かけました。プールでしか泳いだことがなかったので 流れのある川で 何度かヒヤッとしたことはありましたが 鮒やモロコ等の魚が泳いでいるのも見えて 非常に楽しく遊ばせてもらいました。夕方まで甲羅干しをしたり 魚取りをしたりしながら 思い切り遊んで 疲れ切ってばあちゃんの家に帰りました。三つ年上の従兄がいて 競ってご飯のお代わりをしたので 別にご馳走ではなかったと思う晩御飯ですが凄く美味しかったです。

雨の降る日は出かけられないので お菓子工場を見学しました。工場と言っても和菓子の職人さんが手作りで一つ一つ丁寧にお菓子を作っていく作業が まるで魔法のように不思議に見えて 面白かったです。勿論できたてのお菓子を何度も試食させてもらいました。お菓子の粉の独特の匂いのする静かな空間で 見事なお菓子が本当に魔法のように作り出されていく作業を見て 手先が不器用な私ではとても無理だと思いますが 菓子職人になりたくなってしまいました。

そんなパラダイスでの二週間は一瞬のように過ぎ去り 大阪へ帰らなければならない日が必ずやってきます。現在なら新幹線のぞみに乗れば三時間で着きますが当時は朝結構早い目の時間に博多発の特急に乗っても大阪駅に着くのは夕方でした。出かけるときはワクワクしているのでそれほど長く感じませんが 帰り道はパラダイスからまた現実の世界に戻ってくるわけで 自宅に戻って数日はかなり落ち込みました。

この前クイズ番組で小学生のなりたい職業の一番がパティシエつまりお菓子職人でしたが 何となく頷けると思いました。母は無くなりましたがお金を一万円位送ってこんなお菓子が欲しいとリクエストすると どっざりと小包にして送ってもらえます。そんな小包が届くとしばらくは奥様の御機嫌が麗しいので 今年もまたお願いしようと思っています。

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