6月11日  橋本市長の発言について思うこと

 私は不勉強なので 歴史的な真実について殆ど知識がありませんし 客観的な判断ができるとは 到底思いませんので あくまで私が個人的に感じることを述べさせて頂きます。
 まず、「従軍慰安婦」についでですがその呼び方自体が適切なのかどうか疑問です。日本でこの問題を語るときには 当然 この呼び方をされます。少し前までのアメリカでもこの呼び方が受け入れられていたようですが、韓国の積極的なロビィ活動により いつの間にか「性奴隷」という言葉のほうが浸透してしまったようです。私が問題視したいのはそんな呼び方などはどうでもよくて、少なくともアメリカの言葉にも従軍慰安婦を意味する言葉が存在したことです。橋本さんが言いたかったことは戦争中の特殊な状況下で兵士の性欲のはけ口にされた女性の存在を否定することではなくて、日本にだけそのような制度が存在していたかのような事実認識を改めるべきではないのか、ということだと思います。
少なくとも英語には「従軍慰安婦」を意味する言葉が存在したわけだから そのような組織がアメリカにも存在したのではないのか、ということです。
 唐突ですが、私の知人(女性)から聞いた話をはさみます。その女性のご主人は小さな商社を営んでおられて、東南アジアが主な商売相手だったそうです。どこの国かは知りませんが、ご主人が出張で出かけているときにクーデターが起こり、隣の事務所で死人が出るほど 危険な状態から 運よく無傷で日本に戻られたそうです。当然ご主人は死を覚悟された時もあったのだと思います。家に帰り着いたとき
出迎えに出られた奥さんの体を玄関で激しく求められたそうです。勿論、普段はそんなことをされるご主人ではありません。
 何が言いたいのかというと、人間は命のやりとりをするような場面に遭遇すると、生き残りたい、もしくは己の種を後世に残したいという、という欲望が強まるのは当然のことかもしれない、ということです。
 戦場で命のやりとりをしている兵士の方の 性欲がすごく高まるのはごく当たり前のことかもしれません。勿論私にはそのような経験は皆無なので あくまで想像で自分の主観を述べているだけです。戦時下では 占領軍の兵士が 占領された地域の女性で強引に性欲を満たすことは 古今東西ごくありふれた事実だと思います。終戦直後 日本の女性も占領軍の被害にあった方の数は相当数に上ると思います。一般の女性を守るために 国が占領軍の性欲を処理するための組織を作らざるを得なかったことは 悲しい現実として受け止めるべきだと思います。
 話のポイントがぼやけてしまいましたが、戦っている兵士の皆さんの性欲を処理する組織が どこの軍隊でも必要であったのではないでしょうか、ということです。日本人は被虐的な民族で、主張するべきことをせずに ひたすら耐えることを尊ぶ風潮が強すぎます。例えば教科書問題でも 中国や韓国の教科書に客観性のかける表現がいくらでもあるかもしれないのに 日本の教科書の「侵略」を「進出」と変えただけで散々叩かれて「あんたらの教科書には客観性を欠く表現が一つも存在しないのか?」と全く反発しないのだから もっと主張すべきところでははっきりと自分たちの主張をすべきだと思います。
 「従軍慰安婦」のような組織は 決して誇れるような事実ではないので どこの国でも見ないふりをして通り過ぎたがるのは当然ですが、決して日本軍にだけ存在していたわけではないと思います。
橋本市長は 皆が避けて通りたがる事実と真摯に向かい合ったうえで 誤解を受けるのを覚悟で発言されたのだと思いますから、敢えて言わせていただくなら、立派な信頼できる政治家だと思います。

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