7月8日 本日は語呂合わせで 質屋さんの日なのだそうです 

質屋さんと言う職業が存在するのは 子供の頃から知っていましたが 質屋さんを実際に利用したことは 還暦を迎えてしまいましたが 一度もありません。テレビのドラマなどで 経済的に凄く逼迫した状態の時に 何か大切なものを質ぐさとして差し出して 何某かの金銭を受け取る場面は 時々見かけましたから お店の用途はなんとなく分ります。金銭的に余裕が出来た時に 利息分をプラスした金額で 質ぐさを取り戻して 一件落着するのでしょう。
私はありがたい事に この六十年間 それほど経済的に追い詰められた経験が無かったから 質屋さんを利用せずに済んだのかもしれません。客観的に考えると 岐阜大学に通っていた六年間が 一番経済的に苦しかったように思われます。何しろ 自分の勝手な判断で 二度目の大学生活を決意しましたから その六年間は意地でも親からの援助を受けずに頑張りました。生活費 アパートの家賃から水道光熱費 食費まで プラス大学の授業料 をアルバイトでなんとか稼ぎ出しました。予想外に高くついたのが教科書代です。何しろ獣医学の教科書は 全国的にも学生数が少ないので それぞれが非常に高価でしたので 教科書をまとめて購入する三月は パンの耳ばかり齧って生活していました・
ガス代や電気代がきっちりと支払えなくて 供給を止められたことも何度か経験しました。何とかお金を工面して 銀行で未払いの料金を支払 連絡して ガスレンジがまた使えるようになった時には なんとも言えずホッとした気分になりました。そのように 差し迫って現金が必要な時に 質屋さんを利用する機会があったのかもしれませんが 何しろテレビもない貧しい暮らしをしていましたから 質ぐさに出せるような 価値のあるものを全然所有していませんでしたから 利用したくても出来なかったのだと思います。
近所にあった「何でも買い取ります」という看板のあるリサイクルショップに ほんの数日分の食費にでもならないかと考えて 壊れかけた電化製品を持ち込んでみたのですが 修理するのに費用が掛かるから 幾らかお金を支払えば引き取ってくれると言われて すごすごと帰ってきたことがありました。「何でも買い取ります」という看板に偽りありじゃないかと 非常に不愉快な気分になりましたから もう30年ぐらい前の出来事ですが その店の名前も対応したオッサンの顔も はっきりと覚えています。恐らく死ぬまで忘れないでしょう。当時は 大学の生協食堂で 卵ご飯定食をよく食べていました。中ライス60円、生卵30円。味噌汁10円 詰まり一食百円でそこそこひもじいお腹を満足させられました。
生協の食堂に サンドイッチ売り場がありました。食パンの端っこのヘタの部分はどうしているのかと 店員さんに尋ねましたら ごみとして捨てるか 家畜のえさとして農場に引き取ってもらう と言う事でした。そこでいつも土曜日のお店の終い際に顔を出すから 食パンのヘタを譲ってもらえないかと 恥を忍んでお願いしたら 店員さんが優しい女性で 快く了解してくれました。ある程度の食パンのヘタがまとまって それもコンスタントに手に入るようになりましたから かなり食費が助かりました。
所が 私はそこで愚かな行為をしでかしてしまいました。学生なんてみんなバイトをしながら ぎりぎりの所で生活しているものが多いのは分っていましたが 獣医学科で新入生歓迎会を開いてくれましたが 無料だったので 私も参加してみました。新入生が一人ひとり自己紹介をしていくのですが 割と貧乏自慢のような話が受けて 笑いが取れていましたから 私が筋金入りの貧乏生活について 語るとかなり受けたので つい調子に乗って サンドイッチ屋さんから 食パンのヘタ を貰っていることを話してしまいました。
その場ではそこそこ笑いが起こりましたから シメシメと思いながら自己紹介を終わりました。私以外の学生は皆当然ですが親から仕送りを受けながらの生活ですが それなりに貧しい ひもじい生活をしていることを 忘れていました。私はその場の笑いが取れればいいかと思って 主食を無料で入手していることをバラシテしまいましたから 当然模倣犯が続出することになり 食パンのヘタがコンスタントに入手できなくなってしまったのです。後悔しても 後の祭りでした。それ以来 美味しい話は うっかりでも人に漏らさないように気を付けることを 人生の教訓としました。
お米なんかも20キロ入りの 大きな包装の一番割安なものを購入していました。袋には「自主流通米」と書いてあり 単価がコシヒカリの半分以下と 相当に割安でした。但し値段が安い分 当然ですが 質の悪い米でした。炊く前に 当然米を研ぎますが 何度研いでも水が白く濁るのです。多分古米か古古米なのでしょうから 煎餅の原料になる寸前の米のような気がしましたが そんな質の悪い米しか買えない経済状態でしたから 文句は言えませんでした。勿論炊き上がったご飯も 美味しいはずがありませんが とにかくひもじい時代でしたから ゴマ塩をかけてお腹いっぱい食べました。
とにかく質の悪い米でしたから 久し振りに米櫃を開けると 時々虫が飛び出してきました。いい加減な精米をされているので 米くい虫の卵も含まれている米でした。今なら気持ち悪くて食べる気がしませんが 貧しかった当時は 動物性のたんぱく質が取れて有難いと 思い込もうと努力していたように記憶しています。
質屋さんについて書こうと思っていましたが 岐阜大学時代の貧乏自慢になってしまいました。情けないし 恥ずかしいので本日はこの辺りで御開きにさせて頂きます。

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