8月6日 二重被爆について

 本日は広島に原子爆弾が投下された日です。それほど原爆に興味があるわけではないし、世界で唯一の被爆国である、という事も身内にその被害で苦しんでいる方でもいなければ それほど実感がわきません。以前ならこの日の前後には原爆をテーマとした討論会やドラマ、映画などが放送されたりして いやでも原爆について某かの思いを胸に抱いたものです。所が 今日のテレビの番組表をみても 原爆についてニュース番組などでは冒頭にそれなりに触れられるのかもしれませんが 仰々しく取り上げている放送局は見当たりません。徐々にではあるけれど原爆を投下されて被害を受けたという歴史が風化していっているのかもしれません。日本には軍隊が存在しないし、当然徴兵制度もないので どんどん戦争が遠い存在になっていくのは必然的なことかもしれません。
 所で、私が「二重被爆」という言葉を知ったのは ほんの数年前の事です。たまたま聴いていたラジオでこの言葉をテーマにした番組を耳にしました。この言葉の意味は まず広島で被爆された方が三日後に長崎へ移動してまた被爆された かなり特殊なケースです。正式な調査は実施されていないので正確な人数は明らかになっていないけれど 百数十名いらっしゃるそうです。たまたま広島へ仕事や里帰りで出かけてこられて運悪く被爆して、命からがら本来の住処である長崎にもどられて また被爆された方々が多いと言われています。
 原子爆弾による被害が普通の空襲による被害とどのように異なるのか見当もつきませんし ドラマや映画の映像でしか想像できませんが この世のものとも思えない地獄のような状況を経験された方が やっとそこから脱出したと思ったら 再び地獄のような状況に追い込まれたのだから 肉体的にも精神的にも極限状態に追い込まれて なんとか切り抜けられた方々だと思います。現在もお元気に暮らされている方がいらっしゃるそうです。お元気でいらっしゃるという事と被爆による苦痛などの被害との戦いは別の次元の話だと思います。ですから、その方々のお気持ちを考えたら 世界で唯一の被爆国である日本の国民としては 被爆体験を決して風化させてはならないと思います。
 話は変わりますが、神戸で震災が起こってかなりの年月が経ちます。東北の震災が起こってからもそこそこの日にちが過ぎました。地震大国日本としては 何時また何処で同じような被害を受けるのか分からないのに 震災に対する準備や備える気持ちは 震災直後に比べてどんどんゆるんできているのではないでしょうか。備蓄食料には一般の食品に比べれば長いけれど賞味期限があります。懐中電灯や携帯ラジオにセットされている電池はどんどん消耗していきますからいざという時に役に立ってくれないかもしれません。震災備蓄袋の中身も少なくとも一年に一回は点検が必要なのです。 東北の津波に対する避難所では食料や水を十分量備蓄していたにもかかわらず 現実の津波を想定して準備していなかったものだからそれらの備蓄品はすべて一階に保管されていたためすべて津波にさらわれてむだになったそうです。準備はしているつもりでも現実に被災した時にきちんと役立つ備えをするには それなりに頭を使い手間暇を惜しんではいられないのだと思います。
 私も含めて一般庶民は日常の生活を乗り切るのに一生懸命で 過去の戦争体験や被爆経験 震災による被害について時間の経過とともに忘れていくのは仕方のないことかもしれませんが 安倍政権は自衛隊を軍隊にかえようとしているし、地震はいろいろな予測が尤もらしい顔で発表されていますが少なくとも私は全くあてにならないと思っていますから その恐ろしさを忘れずに十分な準備を心がけるようにしたいと思います。

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