9月21日 1933年の本日 宮沢賢治さんが38歳でという若さで亡くなられました

宮沢賢治さんといえば 詩人であり、童話作家としても有名です。私たちの年代(現在57歳)なら、中学だか高校だかの国語の教科書で「雨にも負けず」という詩を学んだことを覚えておられる方が多いと思います。結びの言葉「そういう人に私はなりたい」というのが かなり印象的でした。

まだ大人になっていない年齢の人間には なかなかそういう達観した人生観は 本音の所では理解できなかったように思います。正直申し上げますと 賢治さんが亡くなられた年よりもずっと年上になった今でも なかなかそこまで達観した人物にはなれそうにもありません。

賢治さんの一番有名なこの詩は 作品として発表されたわけではありません。死後 彼の手帳に書き残されたものが発表されました。ですから、途中で出てくる言葉「ひどりのとき」は「日照りのとき」の書き間違いとされて、私も教科書では「日照りのとき」として習いました。所が日照時間の短い東北地方では 日照りはむしろ有り難いものであるのに「涙を流し」と続くのは文脈的におかしいという説が持ち上がってきました。原文の通り「ひどりのときは」にすると日取りとは日雇いの事で 日雇いに出なければならないほど困窮している時には 涙を流しと文脈がつながると言いう事です。

賢治さんはほかの文章でも 何度か[で]と書こうとして「ど」と表現する間違いをくりかえしているので「ひどり」よりも「日照り」の方が正しいのではないかという説もあります。どちらが正しいのかは ご本人に確認するしかありませんが 既にお亡くなりになられていましたから 確認の仕様がなかったみたいです。

宮沢寛治さんは 童話作家として相当数の童話を残されています。有名な作品としては「銀河鉄道の夜」とか[風の又三郎」などがありますが 童話と言っても幼い子供に読み聞かせるような内容ではありません。感受性の豊かな中学生か高校生ぐらいが読んでやっと理解が出来そうなないようだと思います。

いずれも賢治さんの死後に有名になった作品なのだそうです。代表作には他にもいろいろありますが「注文の多いレストラン」等は童話というにはかなりシュールな物語で自分勝手な大人に対するメッセージを強く感じます。

まあ、何にしても38歳の若さで 急性肺炎で亡くなられたのは とても残念に思います。もっと人生経験を積まれてからの作品は更に深い内容の詰まったものになっていたのかもしれません。でも物理的には生きておられた時間は長くありませんが 亡くなられてからその作品が評価されて かなりの年月が過ぎた現在でも多くの人たちに愛読されているのですから 少なくとも作家としては十分に充実した人生を過ごされたのかもしれません。私の人生もあとどれだけ残っているのか分りませんが それなりに充実して 死ぬ時に後悔しないような生き方をしたいと思っております。

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