9月13日 1912年の本日 乃木大将ご夫妻が殉死されました

日本人なら誰でも知っている出来事だと思いますが 最近の若い方はご存じないのかもしれません。乃木大将という方は日本の陸軍の将軍で日露戦争の時に第三軍司令官として旅順攻囲戦の指揮を執られました。日露戦争最大の激戦地203高地は 映画にもなった位の大苦戦になりました。地形的に極端に攻めるに難く、守に易い戦場でした。攻める日本軍としては 正面から正直に突撃するしかなくて いたずらに大量の戦死者を出しました。乃木将軍の実の息子さんまでが二人もこの戦いで戦死されています。

この時期よりも後の戦いのように飛行機や長距離砲があれば 先に爆撃や砲撃で徹底的に敵側の要塞を潰してしまえますから それほど兵力を消耗せずに済んだのかもしれませんが この時代の戦争としては 正攻法で正面から突撃をかけて攻めるしかなかったのかもしれません。但し、損害を受けていたのは日本軍だけではなくてロシア軍も確実に兵力を消耗していきました。

日本が最終的に203高地を攻略する攻撃の時のロシアの守備兵には少年や老人まで駆り出されていたのだそうです。ですから、乃木将軍の再三にわたる正面からの突撃は少しずつではありますが 効果があがっていたのです。そして最後の攻撃が勿論一番の激戦になりましたがついにロシアの要塞を陥落させて 203高地を占領して旅順を攻略できたのです。後に行われる日本海海戦で日本艦隊がロシアの誇るバルチック艦隊を全滅させて 日露戦争に勝利しました。

乃木将軍は日露戦争勝利の立役者の一人であったことは間違いありません。その将軍としての功績と能力は世界でも高く評価されていました。でも乃木将軍は自分ではたくさんの兵隊を死なせてしまったことを 悔やみ恥かしく思っておられたのに違いないと思います。兵隊は当時の考え方として天皇陛下からの預かりものであり 非常に大切な存在なのに 凄くたくさんの兵隊を死なせてしまったことに 天皇陛下に対して凄く申し訳ない気持ちでおられたのだと思います。

乃木将軍としては 戦後天皇陛下にお会いして 沢山の兵を失ったことをお詫びしたかったのだと思いますが 陛下からは労いとお褒めの言葉しかなかったのだそうです。この時の天皇陛下とのやり取りが のちに将軍が殉死されるきっかけになったのだろうと想像されます。

乃木将軍の殉死については 日本国内でも賛否両論あったみたいですが そのニュースは世界各国の新聞でそれも一面に取り上げられたのだそうですが、そのほとんどが賞賛されていたみたいです。

殉死という行為は 一応法律で禁じられています。自ら望まないのに立場上周囲から望まれて強制されることを防ぐためだと思いますが、もし殉死したいほど大切に思える出会いがあったのなら それはそれですごく幸せなことだと思いますし 殉死という行為を否定的に見るのは良くないように思います。私自身は幸か不幸か 殉死したくなるほど大きな影響を受けた人物と 今の所出会っていません。一般庶民として暮していれば 毎日を生きていくのが精いっぱいであり ある人物の死に自分の命を殉じて自ら断つような行為を考える余裕などないのが普通だと思います。

乃木将軍の殉死が尋常でないのは ご婦人もともに殉死されていることです。夫唱婦随ここに極まれりだと思います。乃木将軍は大将閣下であり身分も伯爵であったにもかかわらず 最後まで質素に暮らされていたみたいですし その人生が幸せに満ちていたのかどうかは よく分りません。でも 殉死しようと思える御方と巡り合えて、ともに殉死してくれる伴侶に巡り合われただけでも 最高にお幸せな人生だったと思います。

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