Dr.喜作のブログ

2015年10月 の記事一覧

  • 10月17日 1952年の本日 もたいまさこさんが誕生しました

    もたいさんは 女優さんではありますし それなりにチャーミングな女性だとは思いますが 決して美人とは言えないと思います。最近はあまりテレビではお見かけしませんが もともと舞台女優さんですから そちらの方面で活躍されているのかもしれません。ウィキペディアによるとNHKから各民放までまんべんなくドラマからバラエティまで幅広く活躍されていたみたいです。

    私もいろんな番組に出演されていたのは覚えていますが 一番印象に残っているのは 「やっぱり猫が好き」と言う画期的なドラマでした。三谷幸喜さんが脚本と書いているシチュエイションドラマでした。とあるマンションの一室に舞台を固定して 登場人物はもたいさん、室井滋さん、小林 聡美さん の演じる恩田三姉妹だけに限定する という初めてみるような特殊な状況で描かれているドラマでした。

    三谷さんの非常に個性的な脚本に芸達者な三人がアドリプのオンパレードみたいな感じで演じていて 非常に面白くて印象的なドラマでした。後にも先にもこのようなタイプのドラマは見たことがありません。軽いタイプのコメディードラマで 別に感動するようなストーリーではありませんが それなりにほのぼのとした三姉妹の仲の良さが伝わってくる 心の温まる番組でした。もたいさんは長女のかやのさんを演じていましたが個性的で優しさが滲み出ている演技は 素晴らしかったように思っていました。

    最初の頃は深夜枠に放送されていましたが 視聴率が高くて 予想以上に人気が出たので ゴールデンの時間帯に放送されるようになりました。結局は数年にわたってレギュラー放送されていました。その後はスペシャルが何度も放送されていましたが その度に楽しみに見ていました。レギュラー放送が終わってから 数年おきにスペシャルが放送されたドラマとしては 「北の国から」や「白線流し」などがありました。私はこの二つのドラマも個人的に大好きな作品でしたが 「やっぱり猫が好き」も同じくらい楽しみにしていたドラマでした。

    脚本を担当していた三谷さんは 三女のきみえを演じていた小林さんと結婚した位ですから この作品には相当に力を入れて書いていたに違いないと思います。だから面白くて当然なのかもしれません。その後残念ながら離婚されましたから 今後この作品が復活する可能性は ないのかもしれませんが 仕事として割り切って出来ましたら 恩田三姉妹のその後のその後 みたいなシチュエイションでのドラマが出来れば楽しみです。

    以前にレンタルショップを訪れた時に たまたま中古ビデオとして 「やっぱり猫が好き」が十数本もまとめて売りに出されていました。確か一巻が400円ぐらいだったと思いますが 売られているだけ全部買ってしまいました。お正月などのひまなときにまとめて鑑賞して楽しんでいましたが 現在はビデオデッキが使えない状態なので みることができません。まあインターネットの発達した時代ですから パソコンさえあればいつでも無料でみられますから それで辛抱することにしましょう。

    もたいさんの事を私はかなりのおばさんだと思っていましたが 私よりも五歳だけの年上でした。凄く魅力的な女優さんですから 年を重ねて演技力にはさらに磨きがかかっていることでしょうし 今後の活躍を楽しみにしています。

     

  • 10月16日 職業体験学習をする中学生が訪ねてきました

    昨年から近所の杉中学の二年生が 職業体験学習の為に 二日間病院にやってくるようになりました。本日は実習にやってくる生徒たちが 一応下見をして場所を確認して 私と初顔合わせをして どんな雰囲気の場所なのか様子を見るためにやってきたのだと思います。事前に中学校の先生が訪ねてきて 昨年のお礼と今年もよろしくとのことで挨拶に来られていました。

    その時に先生に昨年は女の子が二人来てくれたのだけれど 私もスケベなオッサンですから 可愛らしい女の子が来てくれたことは正直な気持ち嬉しいのだけれど やっぱり女の子だといろんな面で気を使いますから 今年は出来たら男の子が来てくれた方がありがたいのですが とお願いしたつもりでしたが 今年もまた可愛い女の子が それも三人やってきてくれました。男の子なら 多少は汗臭いかもしれないし たぶん足も臭いとは思いますが 笑わせようとすれば下ネタでも振ってやれば 簡単に笑いが取れる自信がありますが相手が女の子だとそうもいきませんし うっかり体に接触したら 嫌な顔をされてセクハラ親父とか思われそうで心配です。

    動物病院を訪問先として選ぶぐらいですから 三人とも犬を飼っていて 将来は動物に関する仕事に興味があるとのことでした。三人ともいかにも田舎の中学生らしくて 素直で飾り気のない明るい女の子たちでした。 せっかくうちの病院にやってきてくれるのですから 少しでも勉強になるようなことがありますように それなりに準備をしておこうと思いました。なるべく動物に触れてもらおうと思いますが 何しろ女の子ですから 顔に傷でも残ってしまったら 御免なさいでは済まないのかもしれませんので 中学生の実習に来る日は 性格の大人しい安心な動物に来てもらうように配慮しておこうと思います。

    私が中学生だった頃には こんな体験学習はありませんでしたから 今どきの中学生は自分の興味のある仕事を 表面的にかもしれませんが実地に体験できる機会があることはとても幸せなことだと思います。昨年来てくれた子たちも二日間頑張ってくれて それなりに得るものがあったみたいでしたので 今年の子たちにも 何か思い出に残るような体験をしてもらえるように しっかりと準備します。そして 単なる太ったスケベ親父ではなくて 一応獣医師さんとして頑張っている私の姿を見てもらえるように努力しようと思います。

  • 1015日 毎月15日はお菓子の日なのだそうです

    私は凄く太っていますが 太った原因の一つは甘党でお菓子が大好きだったからかもしれません。勿論お酒が大好きだったら 散々お酒を飲んで そのために太っていたのかもしれませんが。お菓子は甘いお菓子としょっぱいお菓子に大別されるのかもしれません。太っている人間は大概 甘いお菓子もしょっぱいお菓子も両方が大好きなのだと思います。勿論私も両刀使いで甘いも辛いも大好きです。

    甘いお菓子の代表選手が チョコレートかもしれません。私は板チョコなどのチョコレート単体のお菓子よりも ポッキーの類やアーモンド等のナッツを含んだチョコ菓子の方が好きです。ミルクチョコなどのひたすら甘いチョコよりもブラックで殆ど甘みを感じないチョコの方が好きです。但し還暦近い太ったジジイが 嬉しそうにチョコレートを食べている姿は とてもお見せできる光景ではありませんから 一人でこっそりと食べては にっこりとしてしまいます。

    和菓子で甘いお菓子の代表選手と言えば 羊羹かもしれません。私の母の実家が 自分のところで沢山の種類の和菓子を製造する工場までもっているぐらいの大きなお菓子屋さんでした。福岡県の八女茶が有名な土地ですから 羊羹と言えば緑色の茶羊羹が常備菓子のように常に我が家にはありました。お客さんが来た時の御茶請けなどに出していましたが 茶羊羹と言うのは一般的には珍しいみたいで喜ばれていましたが 私にとっては羊羹と言えば茶羊羹 飴と言えばやはりお茶の味のする茶飴ばかりが常備されていましたから 相当に飽き飽きしていました。ですから甘いお菓子は好きでしたが 羊羹は子供の頃には嫌いなお菓子の一つでした。

    しょっぱい味のお菓子と言えば ポテトチップスやハッピーターン、柿ピーなどが代表選手かもしれません。ポテトチップスなんて 気が付けばあっという間に一袋位ペロリと食べてしまいます。残るのはまた欲望に負けて食べてしまった自分に対する悔しさと 余分に摂取してしまったカロリーに対する絶望感だけです。なんであんなに美味しいお菓子が出来てしまったのか と思ってしまいます。

    昔にはハッピーターンも一種類しかなかったのに 今ではポテチと同様にさまざまな味のものが出来てしまっていますから未知の味のハッピーターンを見ると つい食べてみたくなってしまいます。お菓子メーカーの作戦に簡単にはまってしまっているようで情けないのですが未知の味の美味しそうなお菓子の誘いには ついつい乗ってしまう愚かな人間です。

    「アメトーク」と言う番組でお菓子のやめられない芸人の回がありました。勿論太った芸人大集合ですが 甘いお菓子を食べたらしょっぱいお菓子が食べたくなり 口の中が塩辛くなるとまた甘いものが欲しくなってしまい 甘いお菓子としょっぱいお菓子を交互に食べ続けると 幾らでもエンドレスで食べられる、と発言されていました。恥ずかしながらその気持ちはとてもよく分ってしまいました。

    しかし 私は心臓病と糖尿病を併発していますから 甘いお菓子は血糖値をあげるし しょっぱいお菓子は血圧をあげてくれるので どちらも長生きするためには食べないに越したことがないのです。どっち道今後お腹いっぱいに食べられないのなら いっそこの世の中から お菓子が無くなってしまえばよいのに 思わないでもありません。でも病院に行って検査が終わって ヘモグロビンA1cの値がそこそこ低かったら 先生にもほめられますし ほんのしばらくだけはお菓子を我慢せずに食べて幸せな気分になりますから やはりお菓子は人間が幸せに生きていくためには必要なものなのだと痛感します。

    私はきっと間近に死期を感じたら その時は思い残す事の無いように思いっきりお菓子を食べて死んでやろうと今から密かに思っています。まだまだ死にたくないけれど 死ぬ前には思いっきりお菓子が食べられるのだとしたら 死期が迫ってもそれほど恐ろしくは無いように思いますが こんな考え方はおかしいのでしょうか。

  • 10月14日 交通事故に 一応の決着がつきました

    一昨日に交通事故に遭いましたが 連休中という事で 昨日保険会社の担当者から連絡があり 今後の流れについて簡単な連絡がありました。相手の方の入っていた保険会社も同じ保険会社だったからかもしれませんが 割とスムーズに話し合いがまとまったようで 過失割合は相手方の100% と言う事になりました。

    実は連休中にかなり待たされた気分だったので 朝一番で連絡が入るものと思っていましたが 連休中に色々な事故が起こったのかもしれませんが 電話連絡が入ったのはお昼前でした。それにこちらとしては少しでも早く修理を始めてもらうために 早目に代車に乗り換えていたのに 事故車の確認がその日のうちではなくて翌日になってしまいましたから 保険会社の対応に迅速さが感じられない事と 被害者の心配な気持ちを思いやる誠意が感じられない事で 散々文句を言ってやりましたから かもしれませんが それ以降は速やかに事が運んでくれたので 安心しました。

    代車はうちの車と同じアルトでしたが もっと上等でエコカーでした。但し走行中に信号などで停車する度に エンジンがいったん停止してしまいます。ブレーキを話すたびにブルルンと再びエンジンのかかる音がしますから 慣れるまでは結構な違和感を感じて正直運転しにくかったです。停車する度にエンジンがいったん停止することで 一体どれくらいガソリンが節約されるのかわかりませんが まあ名前の通りにエコにつながり燃費が上昇するのでしょう。

    それでもこちらは 保険会社に連絡を取ったり 購入した車屋さんに連絡を取って 車を持ち込み代車と交換してもらったりと実際に手間暇かかりましたし 過失割合にしても 相手がすんなり自分の100%を受け入れてくれたからよかったものの ごねられる心配もありました。事故が無ければしなくて済む心配や諸々の手間暇があって 結局交通事故に遭ってロクなことはありませんでした。

    まあ運が悪かったとしか言いようのない出来事ですが 怪我をして仕事に支障などが出なかっただけ 有難いと考えようと思います。仕事柄毎日車の運転はせざるを得ませんが 例え自分が安全に走行しているつもりでも 何時どんな不運な出来事と遭遇してしまうか 分りませんから これまで以上に よりあんぜんを心がけた運転を 私も奥様もするように改めて決意をしました。

    運が悪ければ きちんと歩道を歩いているのに 車が突っ込んできて命を落とされる事故なども 時々ニュースで流れます。車社会の現代車と縁を切れませんが そのような不幸と巡り合わないように祈るばかりです。

  • 10月12日 交通事故に遭ってしまいました

    今朝トリミングをするための犬を迎えに出かけた時の事でした。私が広い道から右折して細い枝道に入ろうとした時の事でした。その細い道から走ってきた車がいました。遠目に見ても危なっかしい運転で このまま走行すると接触の危険性を感じて 私は取り敢えず交差点の真ん中ではありましたが停車してしまいました。相手の車は 左折して私が来た道へ入ろうとしていたみたいです。私の車は相手の車の真正面に停まっていましたから当然運転者からは見えていたはずです。そのまま走行すれば 私の車にぶつかってしまいますから 当然相手の車も停まってくれることを予想していました。所が相手の車は全然停まらずに 私の車の右側面 運転席のドアに接触しました。

    勿論交差点の中ででの接触ですから こちらは停車していますし相手の車もスピードを落としていましたから 接触してもお互いに肉体的には全く無事な状態でした。ただ私の車の運転席のドアが ぶつかられてかなりへこんでしまったことと ドア自体が少し浮き上がってしまいました。ドアの開閉には問題がありませんが ドアの継ぎ目に隙間ができてしまい 雨が降ったら浸み込みそうな状況になってしまいました。

    取り敢えず交差点から外れた通行に邪魔にならないところに車を停めて お互いに免許証を確認しました。互いの住所や電話番号を確認してから 互いにこのまま走行することには問題がない状況であるし 仕事に出かける途中だったので その場で警察への通報は止めておくことにしました。

    所が午前中に事故の相手から電話がかかってきて 保険を利用するのには警察の発行する事故証明が必要なので 直ぐに現場検証をする必要がある とのことでした。私も長年運転していますから 交通事故の経験はありましたが 警察を呼んで現場検証しての 事故証明が保険を利用するのに必要であることは知りませんでしたので 取り敢えず事故現場に診察時間中ではありましたが駆けつけました。互いに身体的には無事であり いわゆる物損事故であったので 現場での検証も簡単なもので 先ず私からどのような状況だったのか警官が説明を聞いて 相手方にも間違いがないか確認するだけで 検証はほんの二三分で終わってくれました。

    本日病院に戻ったら勿論朝一番で保険会社に連絡を取りました。簡単に状況を説明しましたが 運の悪いことに連休中に起こってしまいましたから 直ぐには担当者も決まらず 取り敢えずどうすればよいのかも 適切な指示がもらえませんでした。テレビの自動車保険のコマーシャルで 事故の受付は24時間365日いつでもOKです、というのが印象に残っていましたから 取り敢えず連休が明ける火曜日の朝まで待っててください という不親切な対応しかしてくれませんでしたから誠意の感じられない対応だなあと思いました。

    私の自動車保険は損保ジャパン日本興亜 という立派な名前の そこそこ有名な保険会社でした。別にこの保険会社を選んではいったわけではなくて カミタケモータースという車屋さんから購入した時に勧められたので 入っただけの保険会社です。現場検証の時に聞いたら 相手の方も同じ保険会社だったようなので 同じ保険会社同士なら 連休明けにはスムーズに話が進むだろうと 少し安心しました。それにしても今回の事故に関しては 少なくとも私は被害者のつもりですが 過失責任を問われるのか問われないのか など不安な気持ちも少なからずありました。なのに保険会社からはその辺りについてのアドバイスなども全くありませんでしたから ちょっと腹が立ちました。

    しょうがないので車を買ったカミタケモータースに連絡を取ると 修理はカミタケさんでしてくれるし 同タイプの代車も無料で貸し出してくれるという事でした。連休明けに相手方の保険屋さんが車の状況を確認してからでないと 修理がはじめられないけれど 早目に代車に取り換えておいた方が その後の流れがスムーズにいくとアドバイスをもらって 早速カミタケさんに出かけて代車と交換してもらいました。

    カミタケさんの対応は迅速であり かつ親切さを感じましたが 保険屋さんの対応には 腹立ちを覚えました。まあ会社が休みならしょうがないので取り敢えず連休が明けるまでは待たざるを得ないのだと思います。どこの保険会社も似たような対応しかしてくれないのでしょうか。私も交通事故が初めてではありませんが 勿論ベテランでもないので あと数日は不安な日々を過ごすことになるのでしょう。まあ運悪く交通事故に遭ってしまいましたが 怪我をしていないだけでもありがたいと考えた方がいいのかもしれません。

     

  • 10月11日 1947年の本日 山口 良忠さんが 餓死されました

    山口良忠さんの名前を聞いても ピンと来られる方は少なくなっているのかもしれません。戦後に裁判官を務められて 闇米を扱った人を裁く仕事に携わられました。仕事柄 闇米を自らが食することを潔しとされずに 配給された食料だけを食べ続けたために 僅か33歳という働き盛りの年齢でありながら 栄養失調となり餓死されたのです。その時代には 闇米などの不法な食糧に頼らなければ 配給食糧だけでは生きていけない時代でしたから 同様に法をかたくなに守って餓死された方が何人もおられたのだそうです。

    戦後の本当に食糧事情が悪かった時代であり 戦後の日本を統括していたGHQは 食糧事情の極端の悪さに対する己たちの責任を追及されることを嫌って これらの事件の報道を規制していましたが 山口さんの一件は新聞の一面に報道されてしまいました。結局その時代を何とか生き抜いた方たちは 多かれ少なかれ闇で取引された食料のお世話にならざるを得なかったのだと思います。

    決められたルールを守ることは勿論大切ですなことですが 時には「嘘も方便」という言葉のように 生き抜いていくためにはルールを破ることがあっても致し方のないことなのかもしれません。かたくなにルールを厳守して あたら優秀な人材を若くして失われたことは日本という国にとっても少なからぬ損失だと思います。良忠さんの周囲の人間からは配給された以外の食糧を口にすることを散々すすめられたみたいですが 意固地に拒否して栄養失調になり 餓死をされてしまったのです。

    だから周囲の方の悲しみも尋常ではなかったと思います。法を守る職業についているからと言って かたくなにルールを守ることも立派なことですが 自分の家族や周囲の人間の気持ちを推し量って 闇米を食して元気に生き抜くことも人の道のように思います。こんな悲しい国情に陥らないためにも 二度と戦争など起こってほしくはありませんが 日本の大切な領土が外国人によって踏みにじられている現在 勇気を持って立ち上がるべき時期なのではないかと思ってしまう私は おかしいのでしょうか。どなたか私の納得できるようなお答えをお持ちの方是非教えてください。

  • 10月10日 本日は体育の日のはずでした

    1964年の本日に東京オリンピックが開催されましたので それを記念して随分長いこと十月十日が体育の日でした。ハッピーマンデーとかいうシステムによって 2000年から十月の第二月曜日に変更されましたが はっきりと意味合いがあって定められている祝日を 連休にするために変更してしまうのは やっぱり納得がいきません。まあ私は現在連休があっても 間違いなくずっと仕事ですから猶更憤りを感じるのかもしれませんが。

    まあ本日から三連休ですから シルバーウィーク(今年は五連休)ほどではありませんが ペットホテルでお預かりしている犬たちがいてくれて 朝夕散歩に出してご飯をあげるだけで何某かのお金を稼がせて頂けるのですから この連休を増やす制度に感謝しなければならないのだと思います。

    以前は小学校や中学校の運動会が九月の末から十月の頭で終り 十月十日の体育の日は 毎年大人から子供まで参加する市民体育祭の日であったのをよく覚えています。元旦と同じくらいに体育の日は雨が降らなかったみたいで 毎年それこそ大人から子供まで参加する体育祭に熱狂していたのを覚えています。私も子供の頃はこんなに太っていませんでしたから そこそこ走るのには自信がありましたので リレーの選手に選ばれたりして 学校の運動会よりもずっと責任重大でかなり緊張しながら走ったことを覚えています。

    小学校の校区を地区ごとに区切って 地区対抗の形で 点数を競って勝敗を争いましたが ある地区に陸上競技一家みたいなのがいて 中学生と高校生の子供 更にはその両親までが滅茶苦茶走るのが速くて その一家だけで大きく点数を稼がれたので なかなかその地区には勝てず悔しい思いをしていましたが ある時にその一家が引っ越してしまいいなくなったので やっとうちの地区が優勝できた年はすごく嬉しかったのを覚えています。

    この懐かしい市民体育祭の思い出はやっぱり十月十日とセットで記憶されていますから やっぱり本日を体育の日に戻してほしいように思いますが まあ無理でしょう。紅葉にはまだ時期的に早すぎますが お出かけには最適な気候ですから 大いに束の間の連休を楽しめる方たちはお楽しみください。

  • 10月9日 本日は語呂合わせで 塾の日なのだそうです

    私は塾に生徒として通ったことはありません。素直な性格ではないので 人から個人的にものを教わることがあまり得意ではないからかもしれません。でも岐阜大学に通っていたころには 塾の先生のアルバイトで生計を立てていました。最初は規模の小さな塾で働いていました。一人である地域の教室を任されて 小学生から中学生まで 全教科を教えていました。

    岐阜という田舎の 更に片田舎の地域でしたから 教える内容も教科書に毛が生えた程度のかなりレベルの低い授業内容でしたから 教えていてもあんまり張り合いが感じられませんでしたが 週に四日働けば月に十万円以上は稼げましたから 生活のためにそれなりに頑張っていました。

    大学の同じクラスで やはり塾の先生のアルバイトでガンガン稼いでいる友達がいました。その友人はかなり大きな規模の塾に通っていました。話を聞いていると いわゆる高校受験を目指した塾で 生徒もそれなりにやる気がありそうで 面白そうに感じました。一度見学に出かけてみると 私が普通の大学生よりも年齢が上なので それなりに貫録もありそうに見えたのかもしれませんが 何時頃から働けるのかとか 担当したい科目を問われました。

    一応中学生相手なら どの科目でも教えられる自身はありましたが 数学や英語はライバルが多いだろうと考えて 一番競争率の低そうな国語を担当したいと答えました。案の定 国語の先生は数が少ないみたいで 見学に出かけたその日のうちに 中一のクラスの国語の授業を試しにやるように 指示されました。

    初めてみる教材だし 勿論教室も受け持つ生徒も初めて なのでかなり途惑いもありましたが まあぶっつけ本番で授業を始めてみました。塾の偉いさんが教室にやってきて私の授業の様子を見るのかと思っていましたが 教室には生徒しかいませんでした。取り敢えず自己紹介をしてから 面白おかしく授業を始めました。私も一応は関西人ですから 中学生をおだてて透かして 関西から来たおもろいオッサンになり切り50分間の授業を終えました。

    後から知ったのですが その教室にはマイクが仕掛けられていて 授業の最初から最後までが一言残らず 塾長たちのいる部屋に流れていたのだそうです。その授業の様子から判断して 私は無事その塾の国語の講師として採用が決まったようでした。大きな塾ですから 各科目ごとに担当の講師が複数いました。国語の講師としては もと中学校の教師崩れのおばさんが何人かいました。しかし私は そのおばさんたちに負けたくなかったので 自分なりに努力して 中学レベルの国語の文法などを徹底的に勉強し直して 中学生に分かり易く かつユーモアたっぷりと面白おかしく説明しては 中学生が苦手な文法の知識を理解してもらうべく 懸命に授業を頑張りました。

    その結果 その塾で進路指導に大変重要視される模擬試験の予想問題を作成して売り出しているのですが その問題集の国語の編集責任者のような役割を任されるまでになりました。塾からは正式に国語の講師として働かないかとの打診まで受けましたが 私としてはあくまで大学に通うための生活費稼ぎでしかありませんでしたから勿論丁重にお断りしました。

    と言う訳で塾は 一時期の私の生活を支えてくれる大切なアルバイト先でした。その節は大変お世話になりました。勿論現在でも直ぐに塾の国語の先生としてバリバリ働ける自信がありますが 残念ながらこの歳になってはどこも雇ってくれないでしょう。中学生の職業体験学習で 今年も十一月にまた中学生が病院にやってきます。その子たちと話すと塾の教室で生徒と馬鹿話をしていたことが懐かしく思い出されることでしょう。

     

  • 10月8日 久し振りに髪を切りました

    私も若い頃には髪のボリュームがありすぎて 正直面倒に思っていました。所が現在は 年をとってきたので必然的な変化が起こり 髪のボリュームもかなり寂しくなってきました。奥様と一緒になってしばらくした頃ですから もう十年以上も前の事だと思いますが 奥様が非常に器用な方なので 犬のカットも上手にこなされるようになったころに 私の髪のカットもお願いするようになりました。

    それまでは 普通に髪の長さが煩わしくなってきたら 近所の理髪店に出かけていましたが 時間的に一時間以上かかりますし 料金的に3000円ぐらいかかっていました。奥様にお願いしたら 病院でパンツ一丁になって 髪を水で湿らして椅子に座り 奥様の前に座ると 時間的にはほんの五分位で さっぱりと髪を刈ってくれます。勿論料金はかかりません。あっという間にさっぱりと髪を切ってくれますから そのまま二階に駆け上がってお風呂に入って頭を洗えば 終了です。短時間で済みますし お金もかかりません。奥様に言わせると 犬のトリミング用のハサミが切れなくなってきた頃に 砥ぎ屋さんに出す前に 切ってくれます。私の髪は犬よりも硬いので ハサミの消耗が進むので 砥ぎに出す直前に私の散髪をしてくれるのだそうです。

    まあ犬の毛を刈れば何某かの売り上げになりますが 私の髪を切っても一円にもなりませんから 犬よりも下に扱われても文句が言えないでしょう。取り敢えずサッパリとしましたから ホッとしました。私はこれからも一生散髪屋さんのお世話になることはなくて 髪が煩わしくなったら 奥様にお願いすると思います。散髪料金が浮いた分で 奥様にプレゼントを買ってあげれば それで奥様も喜んでくださると思います。

  • 10月7日 映画「心が叫びたがっているんだ」を鑑賞してきました

    この映画はアニメでありますし 青春真っ只中の高校生を描いたドラマなので それ相当の切っ掛けが無ければ見に行かなかったと思います。そのきっかけとは この映画の主題歌を私の大好きな乃木坂46が歌っていたからです。それと数年前に公開されたやはりアニメ映画で「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」というやはり高校生の一夏を描いた青春映画のスタッフが 同じ秩父を舞台として描いた映画だったから 余計に見たくなってしまったようです。

    「あの日…」は先月に実写版で放送されたばかりでしたが うっかり見逃してしまいました。アニメ版はUチューブで有難いことに 無料で簡単に見ることが出来ました。私はもうすぐ還暦を迎える 頭の薄くなった太った爺さんですから致し方のないことなのかもしれませんし、病院の受付にあるパソコンで再生したために どうしても映画に集中できにくい状況であったためかもしれませんが それほど感動した、心が揺さぶられた という実感はありませんでした。

    ただ若い人たちにの心は大いに揺さぶったみたいで 映画に描かれている場面が 非常に秩父の現状を正確に再現したものであったらしくて 映画の印象的なシーンの場面を若い人たちが訪れて 登場人物のポーズをまねて写真を撮ることが 聖地巡礼として流行している というニュースを見て それほど感動的であったのかなあ と感受性の鈍った年寄りには 素直に理解しがたかったです。

    今回見た「心が・・・」も同じく秩父を舞台として描かれていましたし またこの映画も現実に忠実に場面を描かれているのだそうなので この映画の名場面もやはり若い人が訪ねていって ポーズをまねて 写真を撮る 聖地巡礼が流行するのかもしれません。ただこの映画は映画館で 夫婦50割引きで2200円支払って鑑賞したわけですが やっぱり期待したほどには感動できませんでした。

    それなりに 映画のストーリーに引き込まれはしましたが 感動して涙を流すほどのことはありませんでした。自分としては感受性が鈍くなってきていることを殆ど自覚できていません。肉体の衰えは 髪が白くなりボリュームもなくなり 体力の衰えを痛感させられてはいます。最近 感動して涙を流した経験も殆どなくなってきているのは事実ですが それはたまたまそのような場面と遭遇していないだけなのかと思っていましたが 恐らくは心の感受性も老化現象によって鈍くなっているのでしょう。

    肉体的な衰えは受け入れざるを得ませんが幾つになっても心の老化現象は 正直な気持ち受け入れたくありません。若い頃に感動して涙した小説や映画を見直してみて 感受性の若返りを図ろうと思ってしまいました。心のリハビリに頑張ってみます。