Dr.喜作のブログ

2017年1月 の記事一覧

  • 1月12日 トランプさんの評判が凄く悪いのが不思議に思えます

    私は 東京都知事にだれがなろうと 現実的には殆ど自分に関与しませんから 全く興味がありませんでした。ましてや アメリカの大統領にだれがなろうと 私の人生とどれだけの関わり合いがあるのか 見当もつきませんから 皆目知りません。結果的に共和党のトランプさんが当選されたのだそうですが 下馬評では ヒラリーさんがかなり優勢であったのだそうです。私にはアメリカの大統領の選挙制度である その州の規模によって決まる選挙人を一票でも多く投票された候補者が総取りするという 一風変わった選挙制度が 本当に民意を反映する選挙制度なのかどうか 分りません。只 この選挙制度の為に 得票数だけ比較するとヒラリーさんの方が上回っていたのに トランプさんが当選してしまったのだそうです。
    下馬評では ヒラリーさんがかなり有利だと言われていたのだそうで トランプさんの当選が確定した時には アメリカ国内はもとより 日本にもかなりの衝撃が走ったそうです。私がほんのちょっとだけトランプさんについて知っているのは 根本的にアメリカ人が得をする政策を積極的に打ち出していこうとしているらしいということです。アメリカ合衆国は 非常に歴史の浅い国ではありますが ここ数十年 経済的に見ても 軍事力から見ても 世界の最強国であることは間違いの無い事だと思います。ですから 世界の国々の諸々の思惑 経済的に大きな利益を上げたいだとか 領土を少しでも拡張したい等の 私利私欲的な要求も アメリカを中心としたバランスの中で 辛うじて拮抗を保っているのだと思います。
    アメリカは 望むと望まないに関わらず 世界の国々のリーダーとしての責任をしょわされているのは間違いのない事実だと思います。そんな立場であるはずのアメリカのトップに 自国民の利益を最優先すると言い放つ人物がなってしまいましたから 世界が大騒ぎをするのも無理のない話であるのかもしれません。よほどの大きな間違いをしでかさない限りは これから四年間はトランプさんがアメリカのトップである大統領の椅子に座り続けるのです。
    私は アメリカ以外の国の人たちが どうしてそんなとんでもない主張をするような人物を大統領に選んでしまったのかと 非難するのは分らないでもありません。例えばトランプさんの主張によると TPPの問題は 自国の利益のために 完全にご破算になるのだそうです。これまでにかなりの長い年月と 多くの国々の人たちが手間暇をかけて 話し合い煮詰めてきた制度が アメリカの大統領が交代することによって 完全に水泡に帰すのです。
    勿論TPP と言う制度が その国にとってメリットがあるのか デメリットがあるのか 日本にとっては果たして如何なものなのか 自分にあんまり縁がなさそうなので 真剣に考えてみたこともありません。日本にとってもそれなりのメリットはありそうな制度でしたが 相当に深刻なデメリットを懸念する人たちが少なからずおられたのも事実ですから TPP問題が立ち消えてしまったことは 喜ぶべきことなのか 腹立たしく感じるべきことなのか 見当もつきません。しかし日本国内でも かなりの時間をかけて 沢山の人たちが懸命に考えて話し合ってきたことが トランプさんによって 一瞬で無になってしまうのは やはり残念な事の様には思います。そのようにアメリカのスタンスによって 他の国々にも少なからず影響が大きいわけですから 直接的に利害関係のある方々にとっては トランプさんが大統領になってしまったことに対する不満や不安があるのは当然だと思います。
    しかるに アメリカの国民自体が トランプさんの当選が確定した直後から 反対運動やデモが行っていることには 正直納得がいかないし 凄く不思議に思います。トランプさんは ここ数十年にわたって アメリカ大統領を選んできた選挙制度にのっとって 当選したのです。その選挙の投票をしたのは アメリカ国民なのです。きちんとした選挙制度で不正など入り込むすきのないやり方で選ばれた代表を 支持するのは 投票に参加したアメリカ国民の義務だと思います。
    多数決をしたのですから 勿論ヒラリーさんに投票した人が少なからずいたのは間違いの無い事ですが トランプさんに決まってしまった以上は 自国の代表として積極的に支持は出来ないのかもしれませんが 大統領として認めざるを得ないのではないでしょうか。国民のかなりの比率の人たちが納得のいかない選挙結果が出たのであるのなら トランプさんを批判するのではなくて 民意が正確に反映されていないかもしれない 大統領の選挙制度を非難するべきだし その制度の改正に向って行動するのなら 分らないでもありませんが トランプさん個人が 確かに多くの人の反感を買いそうな言動が非常に目にはつきますが 個人的にトランプさんを非難するのは 絶対におかしいと思います。
    それにヨーロッパなどの元首にしても かなり右に偏った 即ち自国の利益を優先することを公約にかがげた政治家が当選している傾向にあります。国を代表する政治家として 自国民の利益を最優先に考える人たちが選ばれているのは アメリカに限ったことではありません。私はトランプさんの話し方や 服装のセンス 長すぎるネクタイの結び方など 大嫌いな部分が少なからずある政治家の一人ではありますが 取り敢えずは決まってしまったものに 反対デモをいくら頑張ったところで 何のへのツッパリにもならないのですから 先ずはその政治手腕のお手並みを拝見してから 政治家として不適切な存在であることが 明らかに証明されたのなら 批判して アメリカの大統領を更迭する方法にどのようなものがあるのかも全然知りませんが 強硬な方向にも動けばいいのではないかと思います。
    そもそも 日本人がトランプさんと言う正式の手順を踏んで選ばれた アメリカの代表者を無責任な立場から批判するのは 全く筋違いだと思います。私にしたら 無能の極みのアベチャンがのうのうと日本の首相を続けていることの方が よっぽど不愉快に思います。但し残念ながら アベチャンでなければ 誰がいいのかさっぱり見当がついていませんが。無能で無責任な首相が居座り続けている日本の現状を放置しておきながら 対岸の火事であるアメリカ大統領の批判をするのは 日本の大切な領土を中国や韓国に散々現在進行形で踏みにじられているのに 領土問題は存在しない 等と臭いものにふたをして 見ないふりをしている いかにも腰抜けな国家である日本のやりそうな行動だと私には思えてしまいます。

  • 1月11日 本日はちばてつやさんのお誕生日なのだそうです

    お若い方にしてみれば ちばてつやさんがどういう人物なのか 見当もつかない場合が多いのかもしれません。もう二十年以上も連載漫画を執筆されておられませんから 漫画家としての活動は実質的に終了されてしまったのかもしれません。でもまだ漫画界の重鎮としての責務は果たしておられるようですし ご存命であることは間違いない様に思います。私たちの世代であれば ちばさんの作品に 程度の差はあるかもしれませんが のめり込まれた方が非常に多いと思います。
    一番の代表作は やっぱり「あしたのジョー」かもしれません。準主役である力石徹が死んだときには ボクシングジムを借り切ってお葬式が行われたぐらいでしたから 一種の社会現象にまでなっていたように思います。「トリビアの泉」と言う番組で 「力石が死んだのは ちばさんがボクシングについてあまり勉強をしていなかったからだ」等と言う説が登場した時には驚きましたが ちばさんがボクシングには体重による厳密な区分があることを御存知なかったために 最初に登場する場面で ジョーよりもかなり大きな体格で表現してしまったがために ジョーと正式なボクシングのリングで対戦するために 過酷な減量が必要となってしまい 結果的に試合直後に死亡してしまうと言うストーリー展開になってしまったのだそうです。
    ちばさんの作品で印象に残っているのは 他にも沢山あります。「ちかいの魔球」や「紫電改のタカ」に始まり 「ハリスの旋風」「おれは鉄兵」「あした天気になあれ」等は かなり熱狂して読みました。ちばさんの作品の主役は あまり品行方正ではないのが少年漫画にしては 珍しかったように思います。それから 物語が始まった時よりも ストーリーがある程度進行してからの方が 明らかに主人公の背格好が小さくなっていく傾向にあったと思います。石田国松も上杉鉄兵も 体格が小さい方が相対する登場人物との釣り合いからいって 望ましかったのでしょうが 物語が始まった時に比べて かなり小さなサイズに描かれていることは間違いありません。
    ちばさんと言えば 少年漫画の作家と言うイメージが強いように思いますが ウィキペディアをみてみると 少女マンガの方が作品数が多いのかもしれません。私も「島っ子」や「みそっかす」等少女フレンドに連載されていた漫画も 結構印象に残っています。ちばさんは 普通の男性にはない 女の子の感性も結構持ち合わせておられたので ボクシングには体重によって厳密に区分がある と言うある意味男なら誰でも知っているようなルールを御存知なかったのかもしれません。
    ちばさんの実の弟さんは ご存知の方も多いと思いますが ちばあきおさんです。伝説的な野球漫画「キャプテン」と「プレイボール」の作者 と言えばピンと来る方も多いのかもしれません。「キャプテン」と言う作品は それまであまり取り上げられていなかった中学の野球部を題材としていましたから 凄く新鮮でしたし 主人公のキャプテンが皆非常に魅力的な人物として描かれていましたから 野球漫画としては特に秀逸な作品だと思います。私は三代目のキャプテンであるイガラシが凄く好きでした。
    あきおさんは 「チャンプ」と言うボクシング漫画を描かれている最中に 恐らく事故でお亡くなりになられました。当時は自殺説もありましたが 「チャンプ」と言う作品が 凄く盛り上がりかけている時期でしたから 自殺と言う事はありえないと思っています。凄く漫画家としての才能にあふれた方でしたし遺作となってしまった「チャンプ」が非常に面白くなっていきそうな雰囲気を漂わせていましたから お亡くなりになられたのは非常に残念な出来事でした。
    久し振りに ちばさんの作品を振り返りましたので アニメ化された作品を ユーチューブででも 見直してみようかと思います。便利な世の中になりましたから 過去の興味深い作品がすぐに鑑賞できるのは 有難い事ですが 著作権などの問題からすると 作品を作り出した方にとっては 凄く迷惑な時代になったのかもしれませんね。

  • 1月10日 星田神社に十日戎のお参りに出かけてみました

    動物病院が商売繁盛をお願いしにお参りに行くことは ペットの病気やケガを期待しているようで 何となく不謹慎な事のような気がしますが うちもこの仕事で生計を立てております都合上 やはり売り上げが上がってくれた方が嬉しいのは事実ですので このブログを読んでくださる方々も 笑って見過ごしてやってくださいますようお願い致します。
    例年は交野市にある住吉神社が戎さんを祭ってありますので 出かけておりました。所が昨年 笹を購入した時に 幾分気分を害するような出来事がありましたので 他にも近所で戎さんを祭ってある神社がないかと探してみましたら 少し遠いけれども星田神社でも 同様に盛り上がっているらしい情報が入りましたので 試しに出かけてみました。インターネットが普及しましてからは 色んな情報が簡単に入手できますから 有難いようでもありますが 逆に恐ろしい事かもしれません。
    夜病院を閉めてから出かけましたから 初めてとおる道ですし かなり田舎の寂しい場所にある神社ですから かなり暗くて分りにくかったです。近所まで行けば 同様に神社へ向かう車が少なからずいるだろうと 予想していましたが この神社としては八時半ごろはかなり遅い時間帯だったみたいで 駐車場に着くまで寂しい状況が続きました。神社のすぐ近所にも駐車場があったみたいでしたが 初めてで上手くたどり着けなかったので 少し離れた駐車場に車を停めました。すると案内係のオジサンがすぐに駆け付けてくれて 丁寧に神社まで案内してくれましたので ホッとしました。こんな細やかな心遣いがとても嬉しく感じました。
    何しろ初めてこの神社を訪れましたので お参りの手順もよく解からないままに 取り敢えずは本堂でお賽銭を投げて 鈴を鳴らして 商売繁盛をお祈りしました。縁起物の熊手などが並んでいましたが 住吉神社に比べて かなりコンパクトな場所でしたしその種類も少なかったようです。去年が差さだったので 今年は熊手の縁起物にしようかなと考えていましたが 大きなサイズのものは既に売れてしまっていたのか 小さめのものしか残っていませんでした。その旨を伝えると 笹に熊手を飾ることもできますと 教えてもらいましたので 小振りのササを購入してその笹に熊手と小槌や俵、福袋などを色々とぶら下げてもらって 熊手だけの値段におまけしてくれることになりましたので 喜んで結構立派に飾り付けられたササを購入することにしました。
    十日戎の縁起物は 交渉するオジサンの気持ち次第で 凄くおまけしてくれる時と 何だか損した気分になることがあります。昨年が住吉神社で損した気分だったので 少し遠いけれども星田神社までやってきましたが 随分とおまけしてもらえて 嬉しかったので 来年もこちらの神社に来たくなってしまいました。縁起物を受け取ると住吉神社では福娘さんが 鈴を持ってシャンシャンシャンとお祈りしてくれるだけでしたが こちらは建物に招き入れられて 前のグループの方たちが御祈祷してもらっている間 後ろの方の席で少し待たされましたが 私たちの順番になると 何組が合同でしたが 神主さんが出てこられて 名前や住所まで書いた紙を提出していましたので 読み上げられてきちんとした丁寧な 御祈祷してくださいました。その後 意味はよく解かりませんでしたが 福娘さんが刀を持って登場してきて 一指し舞ってくださいました。その福娘さんを筆頭に何人かの福娘さんがおられましたが 住吉神社の福娘さんよりも 可愛らしかったように思います。分かり易く説明すると住吉神社がAKBで星田神社が乃木坂位に歴然とした違いがありました。もっと分かり易く説明すると星田神社の福娘さんの方が ずっと清楚で美しいと思いました。
    御祈祷が終わってから 外に出てみると 時間的には九時を回っていましたが 縁起物などがすべて片づけられて 神社の受付などもすべて戸締りされていました。私は ここ数年元旦に急患が来られるのもあって 初詣に出かけていません。この十日戎の時に ついでと申しては何なのですが 初詣も合わせて済ませていました。神社へのお参りは 最初に済ませましたが その時には商売繁盛ばかりをお願いしましたので もう一度改めてこの一年の健康と仕事の無事をお願いしました。
    何時もなら おみくじをひいて運勢を占い お守りもそこの神社で購入していましたので おみくじは諦めましたが お守りだけは神社の方にお願いして 購入しました。神社に出かけるまでは男の六十歳が厄年であることさえ知りませんでしたが 厄年と知りましたので 自分の分として厄除けのお守りを購入しました。それから車にぶら下げる交通安全のお守りと 奥様が健康をお祈りするお守りを購入しました。神社が閉まっていましたから 参拝客もどんどん帰ってしまって 寂しくなってきましたので 私たちも帰ることにしました。少し離れた駐車場に向おうとすると 先程案内をしてくれたオジサンがやはり少し暗い道を先導してくれました。
    住吉神社よりも 大分規模は小さいお祭りでしたが 逆に細かいところまで心遣いをしてくれているようで 嬉しくなりました。縁起物の扱い方も 家に飾るまでに一旦おいてしまうと せっかくついている福を落としてしまうので しっかりと抱いて一度もおかないように注意してもって帰るようにアドバイスして頂きました。こんな話を聞いたのは 初めてでしたから 余計にありがたかったです。縁起物のおまけの仕方も太っ腹で気に入りましたし 丁寧に御祈祷までしていただけました。更には福娘さんが段違いに可愛らしかったので 来年の十日戎も きっと星田神社にお参りしようと思いながら 帰りました。

  • 1月7日 例年通り この時期から  確定申告の準備が始まりました

    自営業を営んでいるものは 誰でもそのはずですが 二月から確定申告の受付が始まります。真面目な方々 と言うよりもごく普通の方々の場合は 毎日、毎週、毎月の売り上げや経費をきちんとその場その場で 台帳に記入して 伝票を作成しておられるのだと思います。私も開業した当初は 確定申告の意味さえ全然分かっておりませんでしたが 分らないままではありましたけれども 父に指導を受けて 売上帳や金銭出納帳、売上伝票などを 毎日記入しておりました。
    一年分の帳簿や伝票を何とか整理して 苦労して青色申告決算書を作成しましたが 貸借対照表の左右が一致しないで 毎年毎年かなり手こずっておりました。ある時税務署から税理士が派遣されてきて 確定申告用のパソコンのプログラムの導入を勧めてくれました。私はパソコンなどの機械にも弱くて 全然そのメリットなどは理解できませんでしたが そこは賢い奥様が一緒に説明を受けてくださって 確定申告用のプログラムの導入により 決算と申告の作業が飛躍的に楽になることを 的確に理解されましたので すぐにそのパソコンのソフトを購入しました。
    使用する伝票が これまでは売上伝票と出金伝票の二種類を使用していましたが それらが合体したような意味合いの振替伝票と言うものに置き換えられました。最初は全然慣れていなかったので戸惑いましたが 何とか次第に馴染んできました。振替伝票と言うのは 一枚の紙切れにその日の売り上げから経費 預金の出入りまで全て記入しますから 作成するのは多少手間暇がかかりますが この伝票さえ一年分を作り上げてしまえば 後は間違いのない様にパソコンにデーターを入力してしまえば 自然に決算が出来てしまう 非常にありがたいソフトでした。
    私は何しろ機械音痴なので 購入したソフトの起動の仕方から 細かい条件の設定のやり方や 入力したデーターが決算されるまでの工程は全然理解していませんが 奥様がその辺りの細かい作業は全てそつなくこなしてくださるので 何とか毎年確定申告が無事に出来ております。地道に毎日の売上票をまとめて 電卓で合計金額を出して件数とともに伝票に記入する作業はすべて私が一人でやりますが 一年分の売上票を月別に日付順に並べて 束ねてくださっているのは全て奥様です。私がこの作業をスムーズに進められるのは 一重に奥様の細かな そして確実でていないなサポートのおかげであること私はよく理解しているつもりです。
    それから一年分の領収書やレシートの類をこれまた月別にそして日付順に 並べて整理してくださっているのも奥様です。ききなれない会社名や商品名で 私がどの様な商品を購入したのか 若しくはどのようなサービスを受けた時のレシートなのか忘れてしまっていそうな内容のものには 分り易くその内容を鉛筆書きで説明してくださっているのも非常に助かっております。この歳になると 半年以上前の出来事は殆ど覚えていないのが正直な実態なのです。奥様のそのような細かい配慮の行き届いたサポートのおかげで 必要経費の振替伝票への記入と添付もとんとん拍子で毎年進みます。
    今年の分の売上票や領収書の整理も 例年通り奥様が頑張ってくださって 出来上がっていますから これから数週間は普段はほとんど縁のない机にかじりつく作業を集中してやれば 無事確定申告が出来ると思います。しばらくは 地道に真面目に事務作業に取り組みたいと思います。一年間サボっていたのですから ほんの二三週間は 苦手な仕事ですが 集中して頑張らねばなりません。まあ普通に頑張れば一月中に作業が終了するはずですから その後に自分へのご褒美で毎年旅行に出かけますので それを楽しみに事務作業に集中しようと思います。

  • 1月6日  1957年の本日 ラジオドラマ「赤胴鈴の助」が始まりました

    私が生まれた年にこのラジオドラマは 始まったのだそうです。声の出演者には 吉永小百合さんの名前もありましたから 結構豪華な顔ぶれが揃っていたのかもしれません。このラジオドラマがどれぐらいの期間放送されていたのかも 全然知りませんが 勿論そのラジオ放送を私がきいた覚えはありません。でもラジオで放送されるドラマと言うのは 割と好きです。テレビのように映像を伴いませんから その場面を自分で勝手に想像の世界を繰り広げるのです。
    つまり挿絵の殆どない小説を読むようなものだと思います。小説は自分で本を広げて 独力で読み進めなければなりませんが ラジオドラマは 放送時間にラジオのダイヤルを合わせるだけなので 楽ちんです。現在はラジオを聴くのは 車を運転するときぐらいのものなので あまりラジオドラマに接する機会がありませんが たまにラジオから流れてくると すごく嬉しくなって聞き入ってしまいます。五分位の短い作品でも 登場人物が二人だけであったりしても 上手な声優さんが演じてくださると 無限の可能性が広がっているように感じます。
    お若い方からすれば 「赤胴鈴の助」と言う作品自体が 全然見当がつかないのかもしれません。私が知っているのは 勿論ラジオドラマは全然知らなくて 辛うじてアニメーションの「赤胴鈴の助」です。内容的には 鈴の助と言う少年剣士が成長していく姿を描いたストーリーだったはずですが 詳しい事はよく覚えていません。確か「真空切り」等の特殊な剣法の業があったと思いますが 目に見えるアニメーションですら 伝わり辛い場面だったと思いますから ラジオで音声だけで現実には存在するはずのない剣法の業を表現するのは 相当に難しかったろうと思います。
    私がラジオを一番聴いたのは 中学から高校時代です。小学生の頃には 全くラジオとは無縁の生活でした。なぜ中学生になったとたんに ラジオを聴き始めたのか その理由はよく覚えていませんが 恐らく学校の友人たちからの情報で ラジオを聴いていなければ 友人たちの会話についていけない状況だったからのような気がします。それまではラジオの放送を聴く機会があるとしたら プロ野球の中継を聞くときだけだったと思います。テレビでのプロ野球の放送が九時で終わってしまうので 結果が気になるときだけ ラジオ中継を聴いていました。
    当時はよく言われたのが 「ながら勉強」と言う勉強法です。小学生の頃には 晩御飯を食べてから 机に向かって勉強する事なんてありえませんでしたが 中学に進むと運動部などの部活を終えて帰宅すると 取り敢えずは風呂に入って テレビを見ながら晩御飯を食べます。そんなにがり勉ではなかったと思いますが 晩の八時から十時ごろまで机に向かって勉強をしていました。その時にラジオを聴きながら勉強するのを「ながら勉強」と言われていました。勿論ラジオを聴きながら勉強すると 集中力は欠けるので 勉強としての能率は低くなるはずですが ラジオを聴きながらだと 楽しく勉強できるし 長続きしましたから ラジオを聴かずにいたら 恐らくは すぐに寝てしまっていたはずで 例え「ながら勉強」であっても継続している方が 学力はついていたのではないでしょうか。
    私は 小学生の頃 早寝早起きの習慣を両親から義務付けられていましたので 特に中学生の頃は夜更かしが苦手でした。十一時ぐらいには 眠たくてたまりませんでした。所が当時人気のあったラジオの深夜放送 と言うのは早くとも十一時位から始まりました。別に勉強を頑張りたいとは思いませんでしたが 学校で友人たちと楽しく会話をするためには 何とか頑張って眠い目をこすりながらラジオ放送にかじりついていました。現在でも続いている「オールナイトニッポン」と言う番組は 深夜の一時からスタートします。何とかその番組を聴いてみたくて 夏休みなどに 昼寝をたっぷりとして頑張って聴いてみました。名前だけは聞いたことがあるパーソナリティーの声を実際に耳にしたときは感動したのを覚えています。
    私がきいていたのは 全てAMラジオの放送でした。大学に入ってからの友人たちは どちらかと言うとFM放送を中心に聴いている人が多かったみたいです。その影響で たまにはFM放送にダイヤルを回してみましたが 確かに音楽放送は 音質が良かったのかもしれませんが パーソナリティーの話し方が 何となく気取っているような気がして あまり馴染めませんでした。少し前にこのブログで書きましたが 城達也さんの「ジェットストリーム」と言う番組だけは 気に入ってよく聴いていましたが 他の番組はどうしても馴染めなくて AM放送に舞い戻ってしまいました。
    現在は もっぱらテレビの放送が どんどん録画されていきますので 何とかその番組をみては消去するのに追われていて ラジオを聴くゆとりが全然ありません。たまにはゆったりした気持ちでラジオの放送に耳を傾けるのも悪くないとは思いますが その為にはまず部屋で聴けるラジオを購入するところから始めなければなりませんから 現実にはなかなか難しいように思います。

  • 1月5日 昔ブログに書いたことについて お小言のメールを頂きました

    このブログを書き始めたのが何時かさえ全然覚えていませんから もう何年ぐらいこのひたすら文字だけの面白みのないブログを書き続けてきたのでしょうか。何時ごろかいたのが全然記憶にないぐらいに昔のメールの内容について お小言メールを頂いてしまいました。メールの送信者は キチンと名前を名乗っておられますし メールを送れば必然的な事かもしれませんが メルアドもこちらに伝わっていますから 正々堂々とした方みたいで そんなに腹立たしくは感じません。
    お小言を頂戴したのは ある芸能人が 私の高校の三年先輩にあたる方なので 生まれた年は私にはほぼわかっているわけです。所が三年も先輩の方のはずなのに 私と生まれた年が殆ど変らないように発表されていました。ですから その方は年齢詐称である と私が告発してしまったような内容のブログを書いてしまったわけです。お小言の内容は 年齢の詐称なんて 当時の芸能人にとっては珍しい事ではないし 本人の意思ではなくて 所属するプロダクションが決定した方針に従ったわけだから 年齢の事はファンも周知の事実であったわけだし 本人に責任はないのに 今更告発するのは如何なものか と言った内容でした。更には 既に芸能界を引退してしまったのだから 今頃年齢詐称を指摘して何になるのか と指摘しておられました。
    私は その方の仰ることに全く納得がいきません。まず第一に 今から約四十年ぐらい前には 芸能人の年齢詐称が そんなに珍しくもない出来事であったとは思いません。勿論当時デビューした芸能人にも 昨日今日デビューした新人でも年齢詐称をしている芸能人はいるだろうと思います。しかし生年月日をごまかしている芸能人がそんなに沢山いるとは思えません。そもそもそんなに珍しくもない出来事であったのなら 後年に告発されたとしても ご本人としても気にも留めておられないのでしょうから ご本人となんの関わり合いもないはずの方が わざわざメールで文句を言うほどの出来事でもないのではないでしょうか。
    次に 所属するプロダクションの方針で 年齢詐称を提案されたとしても それを本人が受け入れたのであれば 勿論自らの発案ではないのかもしれませんが やっぱり周囲の人間に嘘をついたのですから 嘘つき呼ばわりされても致し方の無い事だと私は思います。そして 年齢詐称の事はファンも周知の事実であったと 送られたメールには書かれていましたが 周知の事実であるのなら 今更改めて発表されても 何にも問題はないのではないでしょうか。要するに嘘をつくことは 恥ずかしい事だと私は思いますから 嘘をついた人の真実を このブログでつづったとしても 誰から文句をつけられる筋合いの事だとは思いません。
    更には 既に引退した人のことを穿り返すのは 如何なものか とメールにかかれていましたが この点にも私は納得がいきません。女性芸能人ですから 現在も芸能活動をしているとは 私も思っていませんでしたが 引退したことなど全然知りませんでした。けれども既に引退した人の事だから ほじくりかえすのがおかしいとは全然私は思いません。自分のブログの内容を かなり昔の分なので 確認はしていませんが 恐らくその時にもう一人女優さんの年齢詐称について触れていたはずです。その方は私と同じ年なので はっきりと生まれた年を認識しているのですが 現在のプロフィールをみると 明らかに私よりも年下になる生年月日を発表されていました。その女優さんは現在も現役で活躍されていますから その女優さんについては引退していないから 年齢詐称を告発しても問題がないのでしょうか。
    芸能人である事は それもある程度顔と名前が知れ渡っている場合 有名税などと呼ばれる 一般人にはない損な立場に置かれているのは 間違いない様に思います。しかしデメリットもあるけれども それなりに人気のある芸能人の場合は 一般人では絶対にこうむれないような 大きな恩恵にあずかっていることも少なからずあるはずです。芸能人を公人であるとは思いませんが 平凡な一般人とは一線を画する存在であるのは 間違いの無い事だと思います。例え芸能界を引退したとしても ある程度名前と顔が売れていれば 例え引退した後でも その恩恵にあずかれることは少なからずあるはずだと思います。ですから例え引退したとしても 嘘をついたことが事実であるのなら その事を指摘されるのは致し方の無い事ではないのでしょうか。
    まあ偉そうなことを書き並べている私にしても 色んな嘘をついている事は 否定しません。嘘も方便 と言う言葉もありますから やみくもに嘘を否定するわけでもありません。但し嘘をつくのであれば 少なくともついた相手には絶対にばれないようにつくべきだと思います。最後は嘘を肯定してしまう発言になってしまいましたが やっぱりばれてしまうような下手糞な嘘はつくべきではないように思いますが このブログを読んで頂いている方はどのように思われますか。

  • 1月4日 本日を仕事始めに決めましたので 水曜日ですが診察を始めてみました

    お正月と言う楽しい時間は 誰にとってもあっと言う間に過ぎてしまうようです。私にとっては 患者さんが少なからず来院して頂きましたので それなりに忙しくはありましたが かなりの売り上げになりましたので 楽しくて有難いお正月でした。本来なら水曜日なので休診日に当たりますから うちの病院の常連さんなら閉まっていると考えられるのかもしれませんが 初診の方が数人来院されましたから わざわざ病院を開けた甲斐がありました。けれどもうちの病院も開業して二十年以上が経ちますが 水曜日が休診の病院と認められていない様で 幾らか寂しい気持ちにもなりました。それから本来なら 水曜日なので来週以降は閉まっていることを患者さんにしっかりとお伝えしました。
    私たちの仕事は 基本的に患者さんが来院して頂くことから始まります。ですから こちらがやる気満々でいても 来院して頂けないと 空振りに終わってしまいます。極端な話 病院を開けてお待ちしていても 一人も来院して頂けなければ 一銭の儲けにもならないのです。その代りこちらの期待以上に患者さんにお越しいただいて 予想外に大いに稼がせて頂けることもあります。言ってみれば狩猟民族のような生活かもしれません。狩猟に出かけても一匹も獲物が取れない事も少なくないのかもしれませんが 予想外の大物をゲットできるのかもしれないのです。
    日本人はどちらかと言うと 農耕民族が多いように認識されているみたいです。毎日の生活にはそれほど変化はないけれども きちんと仕事を積み重ねていけば 時期が来ればそれなりの収穫が ほぼ確実に期待できる生活です。昨年 立命時代の友人たちと久しぶりに再会を果たせましたが 男性二人は 日本を代表するような生命保険会社と 家電メーカーを勤め上げてもうすぐ定年を迎える 典型的なサラリーマンです。女性三人も それなりの会社に勤めるサラリーマン夫人でした。サラリーマンと言う人たちは 農耕民族のような安定した生活を基盤としているように思います。私はそんな農耕民族の中に 一人だけポツンと狩猟民族が存在しているように感じて 少し違和感を感じてしまいました。
    私が 既に老後をのんびりと ある程度は優雅に過ごせるだけの蓄えが出来そうなので もう数年で引退しようと考えていることを伝えると 皆から驚かれました。定年がないのだから 稼げるだけ稼いだ方が安心じゃないの と言われてしまいました。現在の制度では 年金が受け取れるのが65歳からなのだそうですが定年は60歳のままの企業が多いのだそうです。つまり年金を受け取れるまで五年間空白の時期があるのだそうです。一流の企業を勤め上げたのですから それなりの額の退職金を受け取るはずの方々ですが 全くお金の入って来ない時期がしんぱいなのと まだまだ働けるから と言う理由で当然のように再就職を考えておられました。
    私はほんの数年ずつ サラリーマンを経験しました。塩野義製薬に三年ほどと豊中の動物病院にやはり三年ほど勤めました。その分の厚生年金は受け取れるはずですが 基本的にはスズメの涙の国民年金だけしか受け取れません。奥様の年金と合わせても 月に十万円を超すのがやっとの金額だと思います。ですから 老後の慎ましい生活費は何とか年金で賄えると思いますが 優雅に旅行に出かけたり 小さなクルーザーでトローリングを楽しむ費用は 蓄えから切り崩していくことを覚悟しています。まあ私の人生は長く見積もっても二十年しか残っていませんから 無茶な切り崩し方をしなければ 何とか蓄えで足りるであろうと見込んでいます。
    ですから サラリーマンの方たちの それも経済的にはかなり恵まれているはずの人たちの まだまだ働けるからと言う理由で再就職をする気持ちが理解できません。体が元気なうちだからこそ 旅行に出かけたり 趣味やレジャーを満喫出来たりするのではないでしょうか。私は 恥ずかしながら 糖尿病と心臓病を患っておりますので いずれは体が思い通りに動かせなくなる時期が来ることを覚悟しております。かかりつけの先生から 私の死亡する原因は 脳梗塞の可能性が高いと 言われています。もし脳梗塞を発症してしまったら 一切治療をして延命することは拒否するつもりです、生きている間さんざん奥様に ご迷惑とご心配をかけながら生きてきたことを自覚しておりますから 死に際ぐらいは 迷惑な死に方 家族に負担のかかるような亡くなり方は絶対にしたくありません。その分元気なうちに 自分の才覚で蓄えたお金で 人生の最後のロングバケーションを 十二分に楽しみたいのです。
    なんか正月早々に 暗い話題になってしまいました。申し訳ありません。このブログも 出来たら病院を閉めるまでは続けたいと考えておりますので 後そんなに長いことはない様に思いますが どうぞよろしくお付き合いください。

  • 1月3日 高野豆腐の煮物を作りました

    私は 元々豆腐が好きなので 夏場は冷奴を毎日のように食べています。豆腐料理の代表的なものに 湯豆腐と言うものがありますが 私はあまり湯豆腐が好きではありません。何故かしら暖かい豆腐に違和感を感じるのです。子供の頃に 父が湯豆腐が好物なので 冬場の日曜日にはしょっちゅう湯豆腐が晩御飯でした。でも私は 生のままの冷たい豆腐に醤油をかけて食べる冷奴の方が美味しく感じたので 自分だけ冷たい豆腐を食べていました。勿論父親には冷たい視線で 嫌味を言われましたが 美味しいと思う食べ方で頂く方が正しいと考えていました。
    子供の頃から 辛いものは好きだったので 麻婆豆腐は 熱々だけれども大好物でした。今なら 麻婆豆腐用の合わせ調味料が 何種類も市販されていますが 私が子供の頃には そのような物が無かったのかもしれませんので 母が味噌 勿論豆板醤なんて洒落た味噌ではなくて 普通のお味噌に中華味の出汁の素 ラー油や一味唐辛子、山椒などを加えて味付けをしていたのだと思います。それこそ母のさじ加減で辛さや風味が変化します。母としては同じ味付けをしているつもりなのでしょうが この麻婆豆腐だけは作ってくれるたびに 趣の異なる味付けになってしまっているのが不思議でしたし 変化があるのでそれなりに私は楽しみにしていました。
    子供の頃から 高野豆腐の煮物も大好きでした。普通の豆腐とは似ても似つかない食感の食べ物でしたが 噛んだ時にお出汁がしみだしてくる食べ物は基本的に好きでした。ですからガンモドキなども子供にしたら 珍しかったのかもしれませんでしたが 好物でした。母は付け合せに 人参や椎茸、蒟蒻、竹輪などを炊き合わせていましたが 私は高野豆腐が大好きでしたので他のつけ合わせは何故いつも同じ皿に盛られるのか 納得がいっていませんでした。
    本日は おせち料理に飽きてきたのかもしれませんし 高野豆腐の煮物は 煮物の割には短時間で出来上がりますから 作ってみました。子供の頃から 私はどちらかと言うと肉 特に塊肉がにがてでした。逆に野菜 私が子供の頃の嫌われる野菜と言えば 人参が代表格でしたが 人参は全然苦手ではありませんでした。勿論苦手な野菜はありました。カリフラワーのもそもそとした食感が大嫌いでしたし、缶詰の白いアスパラガスはその匂いだけで吐きそうになりました。大人になってからは セロリとニラなどの臭いが個性的な野菜は食べられませんでした。
    肉が好きではない分 野菜や豆腐などの煮物が好物 と言う子供の嗜好としてはかなり変わっていたのかもしれません。二十代になると塊肉が食べられるようになりましたので 焼肉やステーキなども私の好物に加わりましたが 相変わらず煮物は好きでした。人間も中年以降になってくると 肉などの油濃いものよりも 和食系の煮物 高野豆腐やひじき、切り干し大根等の煮物 おからの炊いたものなど あっさりとしたものが好きになってくるのだそうですが 私はその類の食べ物が子供の頃から好きでしたから 特に好みに変化は感じていません。焼肉などは今年還暦を迎えますが 時々凄く食べたくなってしまいます。
    そんなわけで 子供の頃からの好物であり 簡単に出来る高野豆腐の煮物を作って食べました。一応大人なので 付け合せに有り合せの人参と竹輪を加えて煮込みました。簡単で短時間にできた割には 美味しかったです。高野豆腐の煮物などが スーパーで販売されていて それを購入する人を見かけますが こんなに簡単に作れるものなのに なんで自分で作らないのか不思議に思います。自分でたっぷりと作った方が 断然安上がりだし 味付けも自分好みにできるし お腹一杯に食べられます。
    お腹一杯に食べることは これだけ太っている私ですから 改めていかなければならないことだとは思いますが 料理を作ること自体が好きなので これからも自分でできる料理は作っていこうと思います。でも元気で長生きしたいので 食べる量は いい加減セーブできるぐらいの大人になることが 今年の最大の目標になるのかもしれません。

  • 1月1日 元旦はやはり気持ちが改まり 引き締まります

    ありきたりのご挨拶ですが 新年明けましておめでとうございます。今年もこのブログを一生懸命書き込みしますのでこんな文字だけで書き綴った 面白味や華やかさの欠片もない 地味で退屈なブログを 読んでいただける物好きな方はそんなに多くはないと思いますが どうぞよろしくお願い致します。
    本日も 急病で来院してくださる患者さんの為に スタンバイしておりますので 正月早々動物の怪我や病気を 待ち望んでいるわけではありませんが 御用の方は 遠慮なくお電話くださることをお待ちいたしております。取り敢えずはホテルでお預かりしているペットたちの面倒をみました。犬は裏の運動場に出して散歩させます。フェンスで囲ったスペースにつなぐだけですから 運動と言うよりも排泄してもらうための時間です。犬舎の中にされると臭いし掃除が面倒だから 便と尿を排泄してくれたら交代してもらいます。
    以前は外につないでいる間に犬が吠えることが ご近所迷惑になることを心配していました。かつては小さな犬が 五分位吠えただけで 文句の電話がかかってきたこともありました。言葉面だけお詫びをしていましたが 最近はそんな苦情が来ることもなくなりました。近所で大型犬を外飼いしているうちが出来たので その犬が結構なボリュームで 早朝や暗くなってからも吠えています。その犬のおかげで うちへの犬が吠えていることに対する苦情が無くなりましたから 有難い事です。
    犬は散歩に朝夕出しますが 猫はトイレの掃除とエサや水の補充だけですから簡単にすみます。結構な数がいますから それなりに時間も手間もかかりますが 預かって面倒をみるだけで 結構な収入につながりますから これまたありがたいことだと思っております。犬猫の面倒を見終わってから お餅を焼いて朝食をとりました。私は白ごはんやお餅などの 炭水化物が大好物ですが 糖尿病を患っておりますので 食べたいだけ食べられるわけではありません。次回の私が診察を受ける日が二月の七日ですから 取り敢えずお正月の間はそんなに辛抱しないで食べようと思っています。
    私は若い頃の不摂生な生活がたたったのだと思いますが 現在では膵臓が殆どインシュリンを分泌してくれていない様で 炭水化物を少し食べただけでも なかなか血糖値が下がらない体質になってしまっているようです。なるべく体を動かして 血糖値が下がるように心掛けてはいますが 思うようにコントロールできていません。病院に行く一月前から 出来る限り炭水化物を辛抱していますが ヘモグロビンA1cがなかなか六より下にはなりません。お若い方々は 糖尿病なんて自分と関わりを持つ病気としては認識していないでしょうが 日本には糖尿病の方は その予備軍も含めるとかなりたくさんの方々に関わっている病気です。若いうちからなるべく血糖値が上がらないように 食事の内容や食べる順番を気を付けるだけでも心掛けられることをお勧めしておきます。
    元旦から 暗い話題になってしまいましたが 子供の頃は 年末年始はテレビで特番が流れますので 特にお笑い番組を楽しみにしていました。しかし現在はインターネットが普及してしまいましたので 普段から おきにいりの漫才師のネタなんか簡単に視聴できますので それほどテレビにかじりつかなくなってしまいました。それからスポーツもラグビーやアメリカンフットボールのテレビ観戦が大好きでしたから その中継を楽しみにしていましたが 年末から忙しかったので 高校生や大学生、社会人の試合を全然見ていません。わが母校立命館大学のアメフト部が強かった頃には凄くワクワクしていましたが 今年の甲子園ボウルの関西代表校さえ知りません。明後日ごろライスボウルがあるはずですが 放送されるのかどうかも知りませんが 恐らく忘れてしまっているのだと思います。
    元旦から景気のいい話が全然出てきませんが 年の始めですから 今年の目標なんぞを掲げてみようと思います。ここ数年は 私にとって一つ目の大学である立命館大学時代のサークルの友人たちと数人規模でいいから再会して食事でもしてみたいと申しておりました。昨年末にその目標は何とか達成できました。ですから今年からの目標としては 二つ目の大学である岐阜大学の同級生と 既に卒業してかなりの年月が過ぎておりますので 再開することを目標に掲げようと思います。当然ですが岐阜大学時代の同級生たちは 十歳くらい年齢が離れておりますので 再学していたころでさえ 十分なコミュニケーションが取れていたのかさえ疑問ですが 私も今年いよいよ還暦を迎えます。あと数年で仕事を引退しようと真剣に考えていますから 旧友たちとの再会は出来るうちに頑張ってみることが必要だと考えます。獣医学科の同級生30名のうち 何人ぐらいが関西に在住しているのかさえ全然情報がありません。年賀状のやり取りをしている友人が 辛うじて数人いるぐらいですが その辺りから現住所などをかき集めて 何とか再会を果たすべく頑張ってみようと思っております。まあ慌てずに地道に前向きに 行動していれば きっとそのうちに何とかなるでしょう。
    最後になりましたが 今年は還暦で 同時に厄年なのだそうですから 健康に気を付けて 元気に病院の仕事に取り組む所存ですので 昨年までと相変わりませず どうぞよろしくお願い致します。

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